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wont to kill

 薄暗い部屋の中に細く太陽の光が入っている。よく見るとたくさんの埃が浮いているのがわかる。こんなに汚い空気をあたしたちは吸って吐いて生きながらえている。こんなに汚い空気でもないと一瞬で死んでしまう。空気清浄機の音がブーンとうなってぎょっとなる。
「もう夏のように昼間は暑いね。あの、ほら、ジャンバーに扇風機がついているの今年も着るのかな? あれさ、体が風で膨らんでなんだかロボット見たいだよね」
 しゅうちゃんは隣で目を閉じている。こんなに薄暗くても横顔が見事に整っているし陽に焼けた顔がとても精悍に見える。
「あたしのこと好き? あたしはね、あ、もうわかってるよね。好きっていうかさ、もうだめ。しゅうちゃんのいない世界なんて考えられないんだ。好きを通り過ぎると怖いね。もうまるで依存患者だよね」
 ははっ、と笑って布団をはがす。
 しゅうちゃんも裸なのでその胸に思いきり抱きつく。奇麗な肌。無駄な肉のない均等の整った体。あたしをもっともおそろしくさせる男性器。しゅうちゃんの胸に顔を埋めながら男性器に手を添える。どうしたのかな。そっか。疲れてるんだね。とひとりごとをいいながらそれを愛おしそうに持ち上げたり降ろしたりする。
 あたしのものだもん。
 窓から入ってくる細い太陽光線がちょうどあたしの顔にかかり、あっ、とつい声をあげる。

『もうメールしてくるな』
『なんで』
『なんでも』
『訳がわかならない』
 2日前。唐突にきたメールに困惑しあたしは我慢の限界で彼のうちの前で待ち伏せをした。
 メールで簡単に別れを告げるなんて入社したての新入社員が『もうやめます』というメールのようで呆気にとられる。あたしの6年という時間を返せ。あたしの中のこのモヤモヤをどうにかしろよ。そう念じながら彼の家の前でうずくまっていた。
「は? まじで?」
 あたしを認めた最初の言葉が、は? まじで? だったので、は? まじかと真顔で言い返したら、なぜか、ははっと彼は笑った。ストカーじゃん、警察行く? とまでつけくわえて。
「どうぞ。ご自由にしてください」そんな顔をしていたと思う。彼は作業着のままあたしの手を引いて、ここはまずいからと往生際の悪い子どものように呟き、セブンに行くから待っててと一旦うちに帰った。どうやって出てくるのか謎だった。今帰ってきた分でまた出てくるなんてことが出来るのだろうか。それでもあたしは待っていた。コンコンと助手席のドアが叩かれ彼が開けてと口の動きでいう。
「来ないかと思ったよ」
 来ないつもりだったんじゃないの? といおうとしてやめる。
「来ないつもりだった」
 へえ、あたしはそれ以外の言葉は発しなかった。
「いいから。車出して。黙って出てきたから」
 切羽詰まった声だった。セブンイレブンにはたくさんのチャリンコ軍団がいてこんな時間にねぇと思いつつ時計を見たらまだ20時前だった。
 ハンドルを握りしめながら冷静に見せてるけれど本当は心臓が口から出そうになっていた。手汗がすごい。
「ど、どうして、」
 信号が赤になる。その先の言葉がうまく出て来ない。今夜が会うの最後かもしれない。あたしはもうその覚悟だった。待つのも好きでいるのも愛してしまっていることにも。もう本当に疲れてしまっていた。好きないや愛している人がいるという精神の安定剤。安定剤は飲みすぎると効かなくなりさらにもっと効く薬が欲しくなる。恋も全く同じ。もっと、もっと、もっと、と相手の心が体が全てが欲しくなる。そんな自分に酔いしれそんな不毛な恋真っ只中にいるあたしって悲劇? みたいな自分が好きなだけかもしれないしどこかで冷静さを取り戻したとき、はっとなのかもしれない。それでも恋は麻薬で中毒で死ぬまでわからない盲目な世界なのだ。
「疲れたんだよ。ただ……、ご、ごめんな」
 はいはい、また謝ればいいってやつですか? という憤怒ももう湧いては来ない。あたしは黙ってハンドルを握りしめるだけだった。
「え?」
 彼の指があたしの頬に触れ、ええ? と首をひねる。
「涙」
 あたしはどうやら泣いているらしかった。声も出さずに。ただ目の中から溢れかえる涙はただただ無駄に信号や夜の道を見えずらくした。

 しゅうちゃん。しゅうちゃん。あたしは何度も何度も名前を呼んだ。あたしの下でもがいているしゅうちゃんの声がだんだんと小さくなっていく。足をバラバタとさせながら苦悶の形相であたしの方に目を向ける。なに? あたしは微笑む。もっと苦しんでいいのよ。あたしはその何十倍、いや何百倍も苦しんで家族も友達も信頼も仕事も全部失ったんだよ。ねぇ。あなたは何も変わっていなくって何も失ってはいないでしょ。これでおあいこだからね。グッと両方の親指が喉仏に食い込み鬱血して血が出てくる。溢れてくる血をあたしは舐めた。しゅうちゃん。返事がない。しゅうちゃん、ねぇ。用意してあったくだものナイフで首の静脈を探してぶっさす。ピュー血が噴水のように吹き出てその返り血を思いきり浴びた。そのまま裸でしゅうちゃんを抱きしめる。しゅうちゃんの手を握り今度は両手首をスパッと切っていく。何本も線が出来て血がさらに溢れてしまう。真っ白なシーツは真っ赤に染まりあたしもしゅうちゃんも真っ赤に染まって動けないでいた。そのまま目を閉じる。
 やっと、あなたはあたしのものになったんだね。やっと。慄きよりも安堵があった。もうこの人のために涙を流さないでもいいしメールが来ないとハゲてしまうほど悩まなくてもいい。依存もしなくてもいいしあたしのだけのものになったからもう何も望まなくてもいい。
 そっか。と、そっか、とつぶやく。はじめからこうすればこんなに悩まないでもよかったんだ。なんで気がつかなかったんだろう。
 
 うつらうつらと3日程ホテルの中にいる。今が何時なのかまるでわからない。ただしゅうちゃんのスマホだけが何分かおきにブルブルと震えその度にあたしも震えて涙を流す。
「もう、お迎えがくるかも。しゅうちゃん、あたしもそっちに行くから。待ってってね」
 睡眠薬を大量に用意し練炭も用意する。
 血が固まって顔色もよくわかならないしゅうちゃんを浴室に連れていきその床に寝かす。
 大量の睡眠薬を飲んでしゅうちゃんに抱きつき目を閉じる。
 心中とは思われないかなとか痴情のもつれでしょうとかなんでこんなこと! という奥さんの顔が浮かんでは消えそれでもあたしはクスクスと笑っていて、ザマアミロと奥さんに唾をかけその場から早足で立ち去る様が脳内を駆け巡る。あ、そういえばあたしとても足が遅いんだったよ。しゅうちゃん。これじゃあさ、奥さんに捕まるね。
 死ぬほど好き。死んでも好き。死んだら終わり。
 カー、カー、
 カラスのような鳴き声がし、ああ今夕方なのかなとぼんやりとした意識の中目の前が真っ白になったり真っ赤になったり真っ黒になったりしてフワフワと雲の上を浮遊している。

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