若者のすべて について

若者のすべての歌詞はどうとでも捉えられる。
あえてそう書いているのかもしれない。
そもそも歌詞に、運命なんて便利なものでぼんやりさせて
とある。ぼんやりとした未来や過去のこと、
今現在を生きているくせに世間を遠くから他人事のように見ている。
そういう自分がふらっと出てくる瞬間の空気感みたいなものを
たぶん一人称を印象付けないように歌っている。
君って呼ばれる相手もどこか定まっていない節がある。
個人的に、抽象的なフレーズだらけの歌はあまり好きじゃない。
凡人のセンスではしっくりと言い表せないことを
手触りのある言葉にしてもらいたいから。
かゆいところに手が届いた気分が味わえる詞は良い、孫の手のようで。
でもだからと言って、どストレートな歌詞ならいいかと言うと、んなこたない。胸焼けがする。イメージがはっきりし過ぎて騒々しい。
ありのままを正確に書くっていうのは簡単ではないし、
そもそも現象を逐一正確に記録していったら詞には長すぎる。
かといって要約するのともまた違う。
ある現象をどういう側面から見て何に置き換えるのかを試行錯誤した、
その線引きの結果こそが読みたいわけで。
滅茶苦茶具体的な詞の中に詩情を感じさせるフレーズが
放り込まれていると良質なスパイスとなる気がしないでもない。
例えば、
湘南の風が真夏にセックスをしまくってるだけの歌を詰め込んだアルバムを発表したとして、一曲だけなぜかキリンジのような歌詞の曲を混ぜていたとしよう。
どう感じるだろうか、スパイスとなってアルバム全体の評価を爆上げし、世間に一石を投じる、なんて結果になるだろうか。

永遠にバーベキューしてろクソが、としか俺は思わん。

やるならアメリカ人みたいに毎日庭でやれ。野菜も焼け。
出勤前のシェービングくらいの感覚でやれ。クソが。

何が言いたいのかよくわからなくなってきたが
つまり湘南の風の歌詞だけ読んでみると、マジで頭が悪くなるってこと。
煙で何も見えないくせにタバコを咥え肉を焼いて花火をする姿は、
寺で線香の煙をわけもわからず頭にかける老いぼれの群れと同レベルである。
燻製を見習え。
工程ではなく中身の方な。

要はフジファブリックは良いバンドだということね。

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