寿司を食えばよかった

図書館からの帰りに喫茶店に寄った。駅から徒歩3分の店で外観は新しかった。好立地にも関わらず、利用者無料の駐車場が設けられているという点は他を圧倒している。これなら多少値段がボっていても、たぶん許せる。東京と埼玉がギリギリでせめぎ合う地域の標準的な武装こそ、無料の駐車場というわけだ。店に入ると喫煙の有無を聞かれ、吸わないと答えると空いている席にご自由にどうぞと案内された。カウンターで注文するシステムではないらしい。正直ありがたい。窓に面した二人がけのテーブルを選び壁際のソファに座る。ウェイトレスがおしぼりと冷水を並べ注文を聞いてきたので、ニュージャージーだかジャンバラヤだかの珍しい豆のアイスコーヒーを頼む。これが600円もした。足下見やがって、最初の30分は一滴も胃袋に流さねえからなクソが。そんな気分はさておき、目的の読書に勤しもうと本を三冊取り出した。メインは『三体』である。流行に飛びついてはみたが数ページで頓挫中だった。専門用語が盆踊りで、登場人物の名前のルビにいたっては一回で消える仕様。ふりがなを腕にメモしないと一向に進まない。メメントか。今日図書館に行った目的がそもそも『三体』読破に使えそうな資料を探すためだったのだが、結果的に、中国近現代史を中学生用に噛み砕いて説明した新書と、相対性理論や宇宙科学を死ぬほど簡単に解説してある図解本、の二冊を借りた。後者はジュニア用のコーナーにあったが、うろついているだけで小学生グループに凝視されて苛ついた。バカやろうがブラックジャックでも読んでろ、半ギレでその場を離れた。それぞれの本の配置を考えたところ、膝に『三体』、脇に資料二冊、テーブルにスマホという布陣が最も隙がない。おしぼりを目元に当ててから読書する。最初の30分は非常にスムーズに滑り出せたなという実感があった。反動的という枕にも動じずに、静的宇宙モデルについて、まあそれはないかな、反証は容易いといった態度で氷をかき回す。問題は、この順調な時間帯はレッドゾーンへのフリであるということだった。落とし穴へ転がり落ちるための運動エネルギーを蓄えているのに過ぎなかった。異変に気づいたのは入店から約1時間後。1時間かけて三体を20ページまで読み進めたあたりで寒気が止まらなくなる。店内が異様に寒い気がする。ハーフパンツにTシャツ1枚という軽装だが今は真夏、これが正装だ。こらえて読書を続けていたが、如何せん寒さは留まるところを知らない。末端神経がギクシャクする。他の客たちも心なしか縮こまっているのではないか。隣りの男性は両腕と足を密着させる妙な姿勢で、トイレへの異常な侵入回数を示した。空調の故障が疑われるのではないか。そのまま1時間10分を過ぎたあたりで店側はとある行動に移る。温かい緑茶を無料サービスしてくれたのだ。冷えた内臓に熱いお茶。身体に熱が生まれたと同時に、ある仮説が組み立てられる。バラバラだった点が星座のように繋がっていく感覚。なるほど、空調の暴力は意図的なものであった。ホットコーヒー、ホットドリンクを頼ませるための北風、そして我慢する客へは「あがり」つまり太陽で攻める。一度温かい布団を知ってしまったら冷たい路上には耐えられない。店内をそのものを冷蔵庫にすることで、初手コールドドリンクの客は長居できないカラクリだ。ホットドリンクを頼まなければ凍えて死ぬ。そこで都合よく差し出されるのがサービスのあがり。仮にあがりだけ飲んで店を去ったとしても、客の回転率は上がる。初手ホットドリンクは一見妙手に思えるがこれも実は違う。チルド室化した店内でのホット効果は持続してせいぜい20分。熱を補給するために何杯も、少量の割りに高くてまずいホットコーヒーをコンスタントにアンデルセンさせる。悪辣な集金回路。激しく怒髪天を衝いた。もはや、おあいそするのに理由はいらないな。


「全然読めねえじゃねえかっ!

なあにがあがりだボケ!

寿司でも握ってろ

カス!」

帰りの車の中で、俺は寿司ネタじゃねえ!冷やしやがって!とあらん限りの罵倒を繰り返した。少し走ったところで、三体を店に置き忘れたのに気づいて急いで取りに戻った。


もういかねえからな
ベローチェ以外全部店畳め

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