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全国戦没者追悼式への参加とIVUSAの取り組みについて

全国戦没者追悼式

2020年8月15日。
全国戦没者追悼式に参加させていただきました。場所は日本武道館です。
この追悼式は日本国政府の主催で1952年から行われており、第二次世界大戦で戦死した旧日本軍軍人・軍属、空襲や、原子爆弾により亡くなった一般市民等を合わせた日本人戦没者計約310万人が追悼の対象となっています。

写真①
写真②
写真③

追悼式の式次第は以下のとおりです。
1.開式
2.天皇皇后両陛下御臨場
3.国歌斉唱
4.式辞 内閣総理大臣
5.黙祷
6.天皇陛下のおことば
7.追悼の辞 衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、戦没者遺族代表(1名)
8.天皇皇后両陛下御退場
9.献花
10.閉式

今回初めて追悼式に参加し、戦没者ご遺族の方の言葉を直接聞かせていただきましたが、その言葉と、話されているその姿から、今後の平和を願うお気持ちを感じました。
IVUSAはこれまで戦没者の遺骨収集活動に携わり続けて、若い世代が過去の戦争の歴史に触れ、平和を考える機会を作ってきました。本日の追悼式に参加し、今後も引き続きそうあり続けなければならないと改めて強く感じました。

IVUSAが行う戦没者遺骨収集活動

私たちIVUSAは、1995年から厚生労働省(当時:厚労省)が主催する戦没者・戦時抑留者遺骨収集事業への団員派遣、2011年からは沖縄県での自主事業としての戦没者の遺骨収集を行うスタディツアーを実施しています。
この事業の関連で2011年から追悼式にもご招待いただいています。

IVUSAがこれらの事業を始めたのは1995年。第二次世界大戦終結から50周年の節目の年でした。その当時、
「南方で亡くなった、祖父の遺骨を日本に持ち帰りたい」
という学生が現れたことで、IVUSAとしてその学生の夢を実現させるために動き始めました。

上述した通り、遺骨収集事業は厚生労働省(当時:厚労省)が主催していたため、当初はIVUSAの自主事業ではなく、その派遣団にIVUSAの学生3名が参加するという形でスタートしました。
最初の遺骨収集事業の場所は硫黄島でした。その後本格的に戦没者・戦時抑留者遺骨収集事業に参加し、その年は、モンゴル、ロシアのチタ州、プリモルスク地方、ニューギニア島、サイパンで活動を実施しました。
それ以降も定期的に活動を行い、2011年からはIVUSAの自主事業として沖縄県で戦没者遺骨収集活動を開始しました。

1995年から2019年までの期間で、計101回の団員派遣・自主事業を実施、延べ1,178名が参加しました。
今後も継続して遺骨収集活動に取り組んでいく予定です。

写真④
写真⑤


1995年シベリア 戦没者・戦時抑留者遺骨収集事業に参加した学生の所感

1995年のシベリアへの派遣団として参加した当時の学生の所感をIVUSA物語から一部抜粋し、ご紹介させていただきます。


この夏、私は戦後シベリアで亡くなられた方々の遺骨を収集する派遣団に参加することができた。「戦後50年」という節目の年に…。参加するにあたり、シベリア抑留の歴史や状況、さらに骨格等について学んだ。抑留された方々の気持ちは、私たちのような若者にとって到底理解できるものではない。しかしながら、少しでもその気持を推し量ることができればと思い、出発するまでの日を過ごした。

シベリア ペトロフスクの地に眠っておられる方を、試掘の時に初めて見た。顔から足までとてもきれいで驚いたのと同時に、日本から遥か遠く離れたこの地に50年近く眠っておられたのかと、胸が詰まる思いであった。その後の収集作業では何も考えずにいたものの、現地の追悼式で戦友会の方が追悼の辞を述べた時、再びなんとも言い難い気持ちになった。
ペトロフスク滞在期間中、悩んだこともあった。それでも、毎日、作業を行なった。

そして帰国した時、新潟で出迎えてくれた方々、千鳥ヶ淵での遺骨引渡士気に来てくださった遺族会や戦友会の方々を見て、初めて心の底からこの派遣団に参加してよかったと思った。現地で悩み辛かったことが、千鳥ヶ淵で流れた涙と一緒にすっと心の中から無くなっていった。
この活動を通じて、「戦争」というものに区切りをつけても「戦争」を決して忘れてはならないことだと改めて認識した。そして、ソ連抑留中死亡者遺骨収集事業に関わっている方々、これまで関わったすべての方々に「ボリジョイ、スパシーバ!」と言いたい。
(国士舘大学 大学院1年)

写真⑥


戦争を知らない世代の一人として

私たち若い世代にとって、戦争というものは歴史の中の話という認識になりがちで、どこか遠くのものに感じてしまいます。
終戦から75年が経ち、当時を経験された方々もご高齢になり、直接お話を伺うことも難しくなっていきます。
報道によりますと、昨年の追悼式に参加した戦没者のご遺族らの8割が70歳以上だったとのことです。

私個人の話になりますが、終戦を18歳の時に迎えた祖父がいました。
今年の春に亡くなってしまった祖父は当時色々な経験をしており、私が小学生の頃にも当時の話をしてくれていたような記憶があります。ただ、正直なところその話の内容は今となってはあまり覚えていません。

今回、実際に追悼式に参加し、戦没者のご遺族の方々を見、お話を聞くと、若い世代の一人としてもっと祖父から当時の話を聞いておくべきだったと感じました。
当時の経験を聞き語り継ぐことは、戦争を知らない世代の務めの一つでもあるのだろうと思います。

#もし75年前にSNSがあったら

写真⑦

戦争を知らない世代へ向けた取り組みの一つとして、とてもよい企画だなと感じたものがありましたので、ご紹介させていただきます。
『1945ひろしまタイムライン』というNHK広島が行なっている企画で、1945年当時の広島で書かれた市民の日記をもとに、当時の様子をSNSで発信していくというものです。

3名のTwitterアカウントがあり、一人ひとりモデルとなった方がいらっしゃいます。
一郎さん
やすこさん
シュンちゃん

詳しい企画の概要や、もとになっている日記の原文はこちらの『1945ひろしまタイムライン | NHK広島放送局』をご覧ください。

若い世代に関心を持ってもらう、当時のことを知ってもらうという意味で、この企画は非常に有意義だと感じました。私自身も3人のアカウントをフォローしていて、タイムラインに流れてくる3人の投稿はやはりいつも気になります。特に8月6日、広島に原爆が投下された時の投稿を見ると、これまで以上に「75年前の同じ日、同じ時間に広島に原爆が投下された」という事実を強く認識させられました。

最後に

最近ではテレビを見る若い世代も少なくなってきましたし、今回ご紹介した企画のように、これまでとは異なる新しい形で若い世代に歴史を伝えていくことも求められています。
その一方で、戦争を知らない世代が自ら過去の歴史を学び、自分ごととして考え続けることも欠かすことはできません。
戦後80年、90年、100年と今後の日本がずっと”戦後”であり続けるために、過去に起きた歴史を忘れず、平和への思いを持ち続けていくことが必要です。

IVUSAは今後も沖縄県戦没者遺骨収集活動を通じ、一人でも多くの学生に過去を学び平和を考える機会を提供していきます。

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