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911当日カーライル投資家会議主賓はビンラディン バイデンに別荘を貸すカーライル・グループ創業者 生物兵器編⑧

炭疽菌攻撃のFBI容疑者かつ炭疽菌ワクチンメーカーオーナーともブッシュ家ともつながる米投資会社カーライル・グループの話を、2022年イアン・ガーニー氏の「ビンラディンは米国の炭疽菌ワクチン製造で利益を得ている?」を参考に続けます。
全文は
https://whatreallyhappened.com/WRHARTICLES/binladenprofits.html
で今も確認できます。
まずは、座っていただけましたでしょうか。
 
<カーライル・グループは長年にわたり、オサマ・ビンラディンの家族との経済的関係を維持してきたが、それらの関係は9月11日以降断絶されたとされている。関係者全員にとって、この関係が少し気まずいものになりつつあったからだ。
カーライル・グループの背後にある物語と、ジョージ・ブッシュ・シニアとビンラディンとのつながりは、控えめに言っても魅力的だ。
1970年代、オサマ・ビンラディンの55人の兄弟姉妹の長男であるセーラム・ビンラディンは、ジョージ・H・W・ブッシュの最初の事業であるアルブスト・エナジーに多額の投資をした。セーラムは、将来のアメリカ大統領の親友であるジェームズ・バスを通じてブッシュのビジネスパートナーとなった。セーラムはバースをテキサス州ヒューストンの代表者に任命した。ブッシュの会社アーブストに5万ドルを投資し、オサマの兄に代わってヒューストン・ガルフ空港を買収したのもバースだった。それ以来、特にブッシュ・シニアがカーライル・グループに加わって以来、ブッシュ・シニアとビンラディン一家との間のビジネス上の結びつきが盛んになった。昨年9月27日、ウォール・ストリート・ジャーナルは次のように報じた。
「ブッシュ大統領の父であるジョージ・H・W・ブッシュ氏は、国際的な投資コンサルティング会社であるカーライル・グループを通じて、サウジアラビアのビンラディン家の事業に従事している。ブッシュシニアはビンラディン一家と少なくとも2回面会している」
オサマ・ビンラディンは、サウジアラビアで数十億ドル規模の建設業を営むサウジ・ビンラディン・グループを経営する家族から「勘当」されたとされる。しかし、オサマの義理の妹は、アメリカのABCニュースとの最近のインタビューで、家族が今でもオサマ・ビンラディンを支持していると信じていると述べた。
カーライル・グループのバイオポートへの投資に関する噂が正しければ、ビンラディン一家が米国で炭疽菌ワクチンを製造できる唯一の会社の投資家である可能性は十分にあり、彼らの最愛のオサマがその一部を持っている可能性があるため、家族は富を築くだろう。実際、現在撤回されているFDAの禁止令によって生じたワクチン不足により、市場の力でワクチンの価格が上昇するため、バイオポートに関わるすべての人々は非常に裕福になるだろう。とても居心地の良いアレンジメントである、ブッシュ家、エル・ヒブリ家、ビンラディン家(そして時折共謀する提督)は皆、アメリカ人の恐怖と死で金儲けをしている可能性がある。
それでは、バイオポートに関連する文書がカブールのビンラディンのアルカイダネットワークの所有物から発見されたのは不思議なことだろうか?>
 
※提督というのは、元米国統合参謀総長で元駐英米国大使のウィリアム・J・クロウ・ジュニア提督です。前回バイオポート所有者の一人として紹介しました。
炭疽菌ワクチンを媒介として、ブッシュ家、エル・ヒブリ家、ビンラディン家の富豪たちが結びつく疑いは濃厚です。
また、複数のメディアが報じています(カーライル・グループのウィキペディア英語版参照、もちろん日本では一切報じませんが…)が、911の当日、偶然にもカーライルの年次投資家会議がワシントンであり、主賓としてオサマ・ビンラディンの別居兄弟であるシャフィク・ビンラディンが出席していたといいます。
 
カーライル・グループの創業者の一人、デービッド・ルーベンスタイン氏についての興味深い記事も紹介しましょう。
2022年11月28日のブルームバーグ記事からです。
<バイデン米大統領は感謝祭の休暇をマサチューセッツ州のリゾート地ナンタケット島で家族と共に過ごし、肌寒い静かな環境の中で重要な問題に取り組んでいる。2024年大統領選で再選を目指すかどうかについてだ。
バイデン一家は米投資会社カーライル・グループの共同創業者、デービッド・ルーベンスタイン氏所有の別荘に滞在し、浜辺の散歩や地元レストラン、買い物を楽しんでいる…>
 
この記事を見て一番に思い出したのが、大統領選中デラウェアの自宅地下で著作を読みふけっていたというバイデンが尊敬するフランクリン・ルーズベルトが、晩年に病気静養していた別荘地について、ハル回顧録に書かれていたエピソードです。
 
<1944年4月13日に私はその頃ロンドンにいたステチニアス次官から電報を受け取った。…私はこの電報を、当時サウス・カロライナ州のジョージタウンにあるバーナード・バルークの別荘で、病後の静養をしていた大統領のところへ送った。>
コーデル・ハルは、ハル・ノートで知られるフランクリン・ルーズベルト政権の国務長官。バーナード・バルークはフランクリン・ルーズベルト大統領顧問を務め、経済皇帝と称されたウォール街の投資家です。

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