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「初めて健康体になれた」末期乳癌からの生還者の声

「初めて健康体になれた」末期乳癌からの生還者の声~「B17 第2巻 癌クリニックの体験」(1979年初版発行 著者:ジョン・A・リチャードソン 訳者:渡辺正雄、河内正男、小笠原治夫 監修:河内省一 ノーベル書房)を紹介します。
※で囲んだ文章はシン・説が僭越ながら解説している部分です。
 
B17を使用しないで、かわりに正統派の治療法を選択すると、患者のうち3人に2人は5年以内に死亡するだろう。かりに癌性の「しこり」がわずか1か月間あっても、この短い期間内に、患者の50%は転移を起こしてしまう。
 
※本書では癌の部位別に五、六例のB17療法奏功例が掲載されていますが、端的なケースを選んで部位別に一、二例紹介していくことにします。
B17でウソのように回復することも驚きですが、正統派治療は効果がないうえに副作用で激しく心身を傷めつけること、その過程で正統派医師から捨て台詞のように余命宣告がなされていたことに驚きを禁じ得ません。
医学的なことは素人だとしても、自分の身体のことはよくわかるはずです。その感覚を大切にすれば、正統派治療を継続することへの悪い予感が、働くのでしょう。強くすすめられながらも正統派治療をなるべく最小限に止めた結果、この元患者たちはB17と出合うことにもつながりました。
私たちは、良薬は口に苦し、癌治療は辛いものだという正統派医療側による過剰な刷り込みがされているのですから、「これは本当に私(家族)のための治療だろうか?」という直感を大切にしたいものです。
私見ですが、B17第1巻、第2巻を通して見えてきたのは、患者を助ける気などさらさらない者たちによって牛耳られている正統派癌治療の不都合な真実です。アメリカに盲従し、閉ざされた日本の現代医療において、彼らに大切な自分の身や家族を預ける気は全くありません。癌になれば、B17ビタミン代謝療法をできる医師を探しますが、できなければ、“放置”を選ぶのみです。※
 
【I125M】乳癌の女性
右乳房根治切除術を受けたが、患部に感染症を併発したため、術後6週間も入院した。手術の1か月後から2か月間放射線療法を受けた。その間、身体に放射線による火傷が現れたので十日間治療を中断した。
彼女がリチャードソン診療所に宛てた手紙によれば、
 
<次は化学療法を受ける手はずになっていたが、わずか2本の化学療法剤の注射を打っただけで、勘定は全額支払って全コースの治療計画をやめた。
B17の本を読み、(手術をした病院の)医師と相談すると、医師はその本を放り投げ、真っ赤になって「これは全く駄目だ!」と怒鳴った。
それでも私は、1975年3月10日からB17療法を始めた。私は初めて正常な状態に立ち戻ったと感じ、もう一度人間らしい生活も送れるようになった。1975年3月10日以降、B17の注射だけでなく、ビタミン類の服用や菜食養生も忠実に実行しつづけた。いまはもう1976年の3月4日になった。私は普通の仕事はなんでも出来るし、毎晩8時間の規則正しい睡眠をとり、とてもエネルギッシュで、昔のように友人と楽しい生活を過ごせるようになっている。私は自分が受けてきたB17療法には強い確信を持っている。外科手術や放射線療法はいずれも障害を起こすだけの「役立たず」だと思うし、B17療法をやってから、初めて健康体になれたと痛感している。>
 
【B145C】乳癌の34歳女性
1974年8月ごろ、34歳になる婦人が左腕に痛みを覚え始めた。かかりつけの医師にはその原因が発見できなかった。1975年3月になると、彼女は自分の左乳房に「しこり」を発見した。再び医師をたずねたところ、それはしこりでないといわれ、単なる気のせいにされてしまったと述べている。
その3か月後に、別の産婦人科に診察を受け、しこりが触診されたので、外科医にも診療を受けるようにすすめられた。数回の相談を経て入院と決まり、1975年8月1日に、左乳房の根治切除術を受けた。これは患者が異常を感じてから実に1年目であった。病院の外科手術報告書によると、
<胸壁上で最高位の腋窩腺と腋窩背面のリンパ腺から組織片を切り取った結果、腫瘍とその転移が確認された。>
この報告書には転移については何も述べていないが、コロラド州デンバーにあるセント・ヨセフ病院の病理レポートでは、<浸潤性の乳腺癌、根治切除術を行ったが、全部は切除できない癌であり、わきの下のリンパ節の転移も残っている>と述べている。
患者の夫は、彼女の癌が肩にまで拡がっていて、外科医としては癌の全部を切除できないといわれた。そして、放射線療法と化学療法をすすめられ、その次に卵巣切除の必要があることも告げられた。
この時点に来て、患者も夫もこんな治療法を止めてリチャードソン診療所に行くべきだと決心した。そして、1975年9月10日からB17を中心とする代謝療法を始めた。患者は1976年3月30日の手紙に自分の体験の一部を次のように要約して寄せている――
<第三、第四回のB17注射のあと、手術をしても消え去れなかった腕の痛みがなくなり、ほとんど普通に自分の腕が使えるようになった。私は、どんな治療法であれ、建設的な治療法を選べば、破壊的な治療法よりずっと奏功するものだと痛感している。>
この患者は代謝療法を始める時期に、癌がすでに拡散転移していると知らされた。この彼女の予後は正統派療法から見た場合、生き延びられる条件は極めて少なかったはずである。しかし、彼女はB17療法で見事によい反応を起こした。健康と活力は全般的にずっとよくなった。この患者の場合は“典型的に不完全な癌の切除”の例であるが、その後一年以上経過しても再発とか進行する兆候はまったく見られず、癌は十分に満足できる状態で制御されつづけていると思われる。この患者が自ら異常を覚えたのが1974年の8月であり、乳房の根治手術が1975年8月で、そのころすでに転移も起きて手遅れといわれた。その直後に代謝療法にとび込み、以後すっかり元気な生活に戻っている。
 

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