見出し画像

米大統領VS中央銀行総裁~中央銀行は欠点をコピーし悪行を重ねた 17章要約 

こんにちは、シン・説です。
★インフレは最も不公平で政治家と銀行家にのみ都合のよい徴税システムであることを告発したG・エドワード・グリフィン著の「ザ・クリーチャー・フロム・ジキルアイランド(ジキル島で生まれた怪物)」の要約(※翻訳本に要約はありません)をじっくり紹介しています。
インフレの本質は、物価高というよりお金の価値が下がることです。インフレ徴税は国民に気付かれず、隠れる場所もありませんから、政治家にとって最高の徴税システムです。
一見物価高にしか見えないインフレの本質は、無から無制限に発行できる紙切れ通貨の購買力が政府に収奪され続けることを意味します。江戸時代の貨幣改鋳とそっくりですが悪質さは比べ物になりません。流通する貨幣を回収し、含有する金や銀の品位を下げて(量を減らして)、含有量を減らした貨幣を再流通させるのが貨幣改鋳です。減らした分が改鋳益として幕府の収入となるのです。
インフレは、貨幣の回収も品位を下げることも再流通することも必要ありません。借金マネーをただただ増やしていくだけで、貨幣はどんどん品位を下げていきます。そして、購買力は雲散霧消するわけではなく、幕府・政府に収奪されます。江戸時代は品位を上げる改鋳もありましたが、借金ひもづけマネーの品位を上げれば(借金を返済すれば)、マネーが消えてなくなります。
インフレ徴税は国民に気付かれない財源で、国民の資産もインフレから逃れられませんから、政治家・銀行家にとって最高の詐欺システムです。
では17章要約です。洋書訳と邦書訳を今回は併記します。
 
17章 洋書訳・毒蛇の巣窟 (邦書訳・大統領と銀行総裁の闘い)
政府は1812年の米英戦争中に、手形を支払うための手段として広範囲にわたる銀行詐欺を助長し、これが国を金銭的混乱に陥らせた。
戦争の終わりに、不正な銀行が倒れるのを許し、自由市場が損害を癒すのを許す代わりに、議会は、銀行を保護し、詐欺を組織し、損失を永続させることを決定した。これは、米国の第2銀行と呼ばれる国内で3番目の中央銀行をつくることによって行われた。
新しい銀行は、以前の銀行のほぼ正確なコピーだった。連邦政府のために通貨をつくり、州の銀行を規制する権限が与えられた。それはより多くの資本に影響を与え、古い銀行よりも州の境界線を越えてよりよく組織化された。その結果、その政策は国の通貨供給の創造と消滅に大きな影響を与えた。私たちの歴史の中で初めて、影響は地理的な地域に限定されるのではなく、全国に飛び散り始めた。好不況のサイクルの時代がついにアメリカに到来した。1820年、世論はジェファーソン共和党が信奉する健全なお金の原則を支持するように揺れ戻し始めた。しかし、共和党はその時までにそれらの原則を放棄していたので、マーティン・ヴァン・ビューレンとアンドリュー・ジャクソンが率いる民主党と呼ばれる新しい連立が形成された。その主要なプラットフォームの 1 つは、銀行の廃止だった。ジャクソンが 1828年に選出された後、彼は本格的にそれを実現し始めた。

アンドリュー・ジャクソン第7代大統領 ウィキメディアコモンズより 


ニコラス・ビドル第二合衆国銀行総裁 ウィキメディアコモンズより


銀行の総裁は、ニコラス・ビドルという名前の手ごわい敵だった。ビドルは優れた個人的能力を持っていただけでなく、議会の多くの議員が彼からビジネス上の恩恵を受けてた。その結果、銀行には多くの政治的友人がいた。ジャクソンの最初の任期が終わりに近づいたとき、ビドルはジャクソンが再選の年に論争の危険を冒さないことを期待して、議会に銀行の憲章の早期更新を求めた。
法案は簡単に可決されたが、ジャクソンはその挑戦を受け入れ、法案に拒否権を行使した。したがって、銀行の将来をめぐる戦いは、大統領選挙の主要な争点となった。
ジャクソンは大差で再選され、彼の最初の行動の1つは、銀行から連邦預金を取り除き、それらを民間の地域銀行に移すことだった。
ビドルは、新規融資条件を厳しくし、古い債権の回収をする(金融引き締めを行う)ことによって反撃した。これはマネーサプライを減少させ、国家的なパニック・デプレッションを引き起こすように計算され、実行された。彼は、ジャクソンの預金の撤去が景気後退の原因であると公に非難した。
計画はほとんどうまくいった。ビドルの政治的同盟者は、ジャクソンを上院で公式に非難することに成功した。
しかし、ビドルの戦略に関する真実が最終的に漏れたとき、それは彼に対して裏目に出た。彼は議会の特別調査委員会の前に呼び出され、彼の行動を説明した。ジャクソンに対する非難は撤回され、国の第三の中央銀行は忘れ去られた。
 
シン・説の独断と偏見
過去の中央銀行には更新時期というものが存在しました。現在の連邦準備制度にはそれがありません。詐欺システムが実に110年以上続いた原因でもあります。本書の後半に出てきますが、連邦準備法は195回もの改正を繰り返しています。
目標は法案を通すことで、仕上げはあとでいいということです。こうして、制度の権限と対象範囲は拡大しました。理解増進法の皮を被った差別禁止法であるLGBT法案とよく似ています。
ユースタス・マリンズ著「民間が所有する中央銀行」(秀麗社)によると、ウッドロー・ウィルソン大統領が連邦準備法に署名するのを拒んだ際、同大統領のキャンペーンの筆頭寄付者であるバーナード・バルークから「些細なことで、のちに調整される」と説得され、クリスマス休暇を狙った1913年12月23日に署名したといいます。バーナード・バルークは、第一次世界大戦後ドイツに莫大な戦後賠償金を課した首謀者とされています。
第一次大戦でのアメリカ参戦の汚い裏事情については、

を参照してください。

著名な飛行家でアメリカの英雄チャールズ・リンドバーグの父親で、第一次大戦にも反対したリンドバーグ・シニア下院議員はウィルソン大統領署名の日、下院で「時代の最悪の法的犯罪行為がこの銀行法案によって仕掛けられている」と述べたそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?