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二次癌発生の恐れのないB17療法

甲状腺の癌、リンパ系の癌~「B17 第2巻 癌クリニックの体験」(1979年初版発行 著者:ジョン・A・リチャードソン 訳者:渡辺正雄、河内正男、小笠原治夫 監修:河内省一 ノーベル書房)を紹介します。
※で囲んだ文章はシン・説が僭越ながら解説している部分です。
 
甲状腺の癌
 
甲状腺癌は一般にゆっくりと成長するので、五か年の生存率を含む症例は正統派療法でも決して珍しくない。しかし、甲状腺を手術で除去すると、神経の麻痺を起こしやすい。また、この癌を放射性のヨウ素で処理すると、後で白血病になる例もある。これらの事実を念頭に置いてB17の病歴例を読んでいただきたい。
 
【A156JC】甲状腺の癌の女性
1973年3月頸部のしこりを切除したが、癌の疑いがあったので追加手術を行った。甲状腺造影法で陰性だったため医師は大丈夫と保証したが、患者はいつも疲れやすく半年後に同じ検査を行ってみると陽性で癌と確認。根治的甲状腺切除と周辺の筋肉やリンパ腺も切除した。しかし、1974年7月には絶えず疲れやすく、初めてB17の話を聞いた。
リチャードソン博士は、何一つ約束はしなかったが、B17を始めて10日もたつと、快方に向かっていることがわかった。皮膚も普通の色を取り戻し、体重も減らなくなった。ひどい疲労感は消え、苦痛もなくなった。友人や親類は驚きの目を見張っていた。
 
リンパ系の癌
 
これは「ホジキン病」の場合である。この患者がB17療法を受けないで、正統派の治療法を行った場合でも、他の癌の例と異なって比較的、長期生存率は高い。この癌は一般的に急進しない。しかし、五人のうち一人は、放射線療法や化学療法の副作用のために死ぬようである。その典型的な死因は、肺炎、敗血症、結核、そしてかびの感染などである。
ホジキン病で放射線療法や化学療法を受けると、それをまったく受けなかった患者に比べて二十九倍も二次癌を発生しやすいB17代謝療法では、このような危険性はまったくない。この事実を念頭において、次の病歴例を読んでいただきたい。
 
【J154LT】結節硬化性のホジキン病、第四期―Bの16歳女性
16歳の誕生日の直前、積極的で活発な少女がホジキン病と診断された。1974年3月故郷アイダホ州の病院で頸部リンパ節を生検したことが悪夢になった。翌月脾臓が取り出され、この手術跡が回復したら直ちに1か月間コバルト照射を毎日受けなければならないと彼女の両親は忠告された。さらに化学療法も8月末から9月末まで行われた。放射線療法、化学療法ともに彼女に激しい副作用をもたらした。化学療法の後の咳の悪化は放置できなかった。
両親は化学療法後の咳の悪化でリチャードソン診療所に行く決心をした。1974年10月からB17療法を始めた。父親が会社の保険担当者に送った1975年4月の手紙によると、「6日後に咳は止まり、脚の痛みは止まった。初めの20本のB17静注を終えると、娘はもう学校に通い始めた。食欲も出てきた。娘はぐんぐん体力を増して、気分も壮快となり、ボーイフレンドとも外出するし、週二回、三時間の夜の学級にも参加するほどだ」
B17代謝療法では、コバルト療法や化学療法の半分の費用しかかからないが、不幸にも保険会社は代謝療法には一銭も支払わなかった
 
【K112MJ】ホジキン病、第二期―Bの26歳女性(当時、妊婦)
1975年10月のどの奥にかたまりを感じたとき彼女は妊婦だった。分娩後のX線と生検で「ホジキン病」で多分「第二期、B」と診断された。病気の拡がり具合を確かめる手術を強くすすめられたが、宗教上の理由からそれを断った。むしろ、放射線療法や化学療法を考えていた矢先、B17療法のことを耳にした。
1976年1月リチャードソン診療所を訪れた。そのときの印象について彼女は、「祈りを繰り返してからリチャードソン医博の予約を求めた。最初の二、三日は多少動揺していた。地元の医師のすすめを断って来たから。診療所の待合室に数日間座ってみて、他の患者がビタミン療法で救われるのを確かめながら私の心は決まった。地元の医師は病状が良くなってきたのを大変よろこんでくれた」
 
※正統派医療による長期生存率が高い癌あっても種々の激しい副作用や別の病気の発生リスク、二次癌の発生のリスクがあります。その意味でもB17療法の優れた点が明らかです。今回も保険会社が支払いを拒んだケースが出ていますが、保険会社は何を判断基準としているのでしょうか。※

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