肉薄

近しい友人に、スプラトゥーン2を4000時間

プレイした人間がいる。

4000時間、日数に直せば166日と16時間。

公認会計士の資格を取るのに必要とされる

勉強時間に相当する時間である。

敬意を込めて、彼を「4000時間さん」と呼ぶ。


4000時間さんは、スプラ2を仲間内で買った際は

一番興味がなさそうだったのだが、

蓋を開けてみれば一番ハマっており、

仲間内以外にスプラトゥーンのコミュニティを作り

我々以外ともリーグマッチをしては

ウデマエを上げていった。

私も500時間くらいはプレイしたと思うが、

その経験値の差は8倍。

スプラトゥーン3が発売する頃には

彼はOJT担当者になっていた。

「今のは引いた方が良かった」

「スペシャル使うタイミングを揃えた方がいい」

一緒にプレイする度に適切なアドバイスをくれる。

彼は教え方が優しい。

優しいが、私は段々しんどくなっていた。

毎回プレイの審査をされるようで窮屈だった。

勘弁してくれ。

もっと雑談とかしながら楽しくゲームしようや。


しかしながら、ここで気づく。

「楽しく」とは何か。

4000時間さんは皆で勝つことが楽しいから

皆が適切な動きができるように

アドバイスをしていたわけだ。

その基準に照らせば、楽しさを阻害しているのは

4000時間スプラトゥーンをやっていなければ

公認会計士の資格も持っていない我々の方だ。


たかがゲーム、されどゲームである。

スプラトゥーンなどは最早"eスポーツ"であり

実際のスポーツとさして変わらない。競技の域だ。

専らオンラインを利用した対人ゲームが

主流になり、ゲームが上手い・下手のカテゴリは

ただやったことがある・ないだけではなくなった。

ひと昔前までは「地元最強」を名乗るスマブラーが

跳梁跋扈していたように、

「それをやったことがあるから

やったことない人よりも上手い」という

事実さえあれば、一定のコミュニティの中で

その分野を自己の属性として

鼻にかけることができた。

それがどうだろう、今や何につけても

世界おける自分の立ち位置を確認できる時代だ。

「勝つこと」を楽しみとして見出すためには

上を見続けなければならない。

上を見続けるためには、やはりそれだけの

情熱と時間とを捧げなければならない。

スプラトゥーンを、スマブラを、

自らの"生活"とするのである。


これはゲームに限った話ではない。

スポーツにしろ芸術にしろおしなべて

同じことが言える。

ある物事を自分の生活にできるかどうか、

それで上達の如何は変わってくる。

圧倒的な才能があったにせよ、無かったにせよ、

凡人にとってはそれを生活にできた人間と

自分とを比較して、できないことに

打ちひしがれるしかない。

4000時間さんに感じる我々の

「もっと楽しくやろうよ」という気持ちは

同時にある種の敗北宣言なのだ。


だからと言って、凡人である私の「面白い」と

思う気持ちが損なわれていいはずがない。

友達とは楽しくゲームしたいし、

高校から続けている剣道だって

もっと強くなりたい。

勝って負けて、勝ち負けの世界で

「楽しい」と言いたい。

それに全てを捧げられるほどの、

それを生活にできるほどの才能が無かったとしても

「楽しいからやる」を続ける理由にしたい。


私は高校時代に、全国制覇なんて

絶対にできないことは分かっていながら

部員を鼓舞して、「都大会3回戦進出」なんて

"自分たちなり"の目標に向かって

頑張っていたわけだが、いつだって

施設の差、練習時間の差、強豪校との交流の差、

場数の差、部員の層の差、そういった差に

諦観の念を覚えずにはいられなかった。

それなりにちゃんと向き合っていたからだ。


社会人になっても、

費やす時間の差、コミュニティの差、

根本的な熱情の差、向き合おうとするほど、

それを生活にし切れない自分が

かつては並んでいたはずの仲間の後ろ姿を

見ていることに気づき、

自尊心が傷つけられていく。

それに蓋をするように、防衛機制として

「もっと楽しくやろうよ」と言って

自ら一線を引くのだ。


だから私はそんな連中に肉薄する術を

模索していくしかない。

差を自覚した上で、

4000時間さんたちの鼻を明かすことに

楽しみを見出すのだ。

どれだけ実力が足りなくても、

実力を埋めるだけの時間さえ足りなくても、

そんなことで気落ちしては、

何を楽しむことさえできないのだから。




こうして、私は公認会計士のテキストを購入した。



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