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【LIFE】「自分の頭で考える」こと・「自分の考えを発信する」こと

「辰巳天井」と呼ばれる演技のよい年のはずですが・・・

2024年の干支は辰年。株式格言では「辰巳天井」と呼ばれ、株価が上昇していく縁起の良い年ということですが、どうにも先行きに不安な事故や天災が相次いでいます。「景気」の「気」とは気分の「気」から来ている、というような話を聞いたことがあります。それだけ人間の持つ「気」というものが重要なのでしょうね。

本来なら、せっかくの新年、あれこれと「決意表明」だったり、「今年の目標」などを高らかに宣言し、明るい一年に・・・と気持ちを高めていきたかったのですが、どうにもそういう気持ちが起こらず、気づくと5日が過ぎてしまいました・・・。

気を取り直して、今年の「心持ち」をご紹介したいと思います。

とはいえ、刻一刻と時は過ぎていくわけですから、こうした時代背景を鑑みつつ、今年は「どうあるべきか・どうありたいか」ーなんて話を少ししてみたいと思います。そんな大それたことではないです。本当にフツーのことなんですが、今こそ、そういう「心持ち」が大事なんじゃないかな、と改めて思わざるを得ない出来事が相次いだため、もし良かったらお付き合い頂ければと思います。


常に「自分の頭で考える」

ま、当たり前と言ってしまっては、そこまでなのですが、そこを改めてこの姿勢を大事にしていきたいと思います。というのも、これだけSNSが発達していくと、自分が共感した考えに偏った考えが色濃くなることがあります(エコーチェンバー現象でしたっけ?)。もちろんある程度、自分の考えについて同調する声、賛同する声を欲しがる、探したくなる気持ちは誰にでもあると思います(私もそうです)。どうせなら、自分の意見に賛同して欲しいですからね。

SNSによるバイアス、さらには影響力の強さに要注意

とはいえ、SNSとの付き合い方は慎重にならないと危険な側面があることも分かって付き合う必要がありますよね(ま、こんなこと私が今更偉そうに語るまでもないのですが・・・)。無料ツールということは、どうやって収益を上げているのか?そうした側面も考えながら付き合わないと、気づくとどっぷりハマってしまう、なんてことが起こりかねません。特に自分の考えを作りつつある10代、20代の若者層は要注意です(あ、でももしかしたら、デジタルツールとの付き合いについては彼らの方が得意かもしれませんね)

一人一人が(ある意味)「勝手批評家」になろう

かくいう私もついつい影響されやすい、フツーの一般人ですので、なんとなく考え方や思想に偏りを感じたときには、あえて「勝手批評家」精神でツイートや発言に接するようにしています。これは、自分のフォローしている方の発言をすべて受け入れるのではなく、「これは賛成」「これはちょっと違うかな・・・」と自分で取捨選択するようにしている、ということです。このように意見の同意・違いを自分の頭で考えて判断する、こうした発想を取り入れることで、盲信することが少なくなってきたように感じています。ぜひ、なんとなく思想が偏ったり、誰かの意見を強く共鳴しすぎていると感じた際には、この感覚をぜひ取り入れてみてください。

「自分の考えを表明する・発信する」難しさ

私にとってnoteによる発信は、常にトレーニングだと思っています。自分が感じたこと、考えたこと、そしてそこから周りの方へ伝えたい、シェアしたいという内容を考え、頭でまとめてアウトプットする作業です。まだまだ下手くそで、他の方の上手な表現、うまい構成を見かけると、羨ましい反面、自分の拙さに落ち込む日々ですが、これはもう練習あるのみだと思って発信を続けています。

noteのようなブログ形式の場合はともかく、リアルなディベートだったり、それこそX上でのやりとりなどは、より高度なテクニックが要すると思います。訳も分からず感情的に相手を攻撃するような内容は、本人の溜飲は下がるかもしれませんが、恐ろしいことに一生残ってしまいます。ただでさえ言葉のやりとりでも、言った言わない・そういうつもりじゃなかった・・・という論争は日常茶飯事です。ましてや顔の見えないX上でのやりとりとなると・・・もう恐ろしい世界です。

私は基本的に実名の著名人の方の発信をフォローしているだけなので、一般の方やニックネーム等で発信されている方のコメントは極力見ないようにしているのですが、時に著名人に絡みたい(のかな?)がゆえに、わざと食ってかかっているコメントが目に入ってしまうことがあります。これは本当に精神安定上良くないです。相手は実名で発信しているのに、素人(おそらく)である相手は名を名乗らない。これは非常にアンフェアですし、内容などもわざと挑発して、自身を著名人と同じ土俵にいるかのようなどこか「楽しんでいる」ようにも感じるのです。

こういうご時世だからこそ、もう一度立ち止まることも大切

とくに最近のような、大事件・大災害などで人々がナーバスになっている時期には、ちょっとしたコメント、普段であればさして気にしないような内容に関しても、切り取られたり、揚げ足を取られるなど、本来とは違う方向で一人歩きしてしまう恐れもあります。発信をする際には、念には念を(といいながら、この文章もまた、どなたかを不愉快な気持ちにさせてしまっているかも・・・)。

こういう時は「リンカーン大統領の逸話」が参考になるかもです

こうしたSNS時代を予見していたような逸話が、アメリカのリンカーン大統領の話として残されています。有名なストーリーなのでご存じの方も多いと思いますが、ちょっと触れさせてください。

米国大統領になる前、リンカーン氏は弁護士として働いていた。彼は些細なことでも非常に怒りっぽく、常に誰かと口論をしていた。そしていつも腹の虫が治まらない彼は、相手に手紙を書き、ありとあらゆる罵詈雑言で相手を論破するのが常だったとか。そんな相手への悪口を一通り手紙に書き、すっきりした彼は、奥さんにその手紙を渡し「ポストに投函するように」と頼んで、ぐっすり就寝したという。リンカーン家ではそんなことを繰り返していたそうですが、翌日以降、彼が再び手紙の相手と口論になるようなことはなかったという。なぜか?なぜなら、奥さんはその手紙を投函せずにしまっていたそうなのです。

すみません、頭の中で覚えている内容を書いているので、あちこち間違っているかもしれませんが、私はこの話が大好きで、頭に血が上ったときは、このリンカーン大統領と奥さんのエピソードを思い出すようにしています。まず手紙に自分の「怒り」を書き殴り、本人は気持ちが収まる、そして奥様はその「怒り」を相手にぶつけるのではなく、静かにそっとしまっておく。そんなやりとりがとても微笑ましいと思うのです。リアルの口論もX上のやりとりも、基本的にディベート下手な日本人が、口げんかをしているに過ぎないようにも見えます。そんなことをしても怒りが増幅するだけで、精神衛生上もいいことがありません。ここはリンカーン大統領の話を思い出し、ガーっと怒りを書き殴って、あとは「忘れる」。これくらいがいいのかな、と思っています。

今こそ「自分の頭で考える・思いを伝える」力のアップを!

これは何もみんなでディベートの練習をしましょう、とか、芸人さんのように話し上手になりましょう、ということではありません(もちろん、ああいう風に話せたらカッコいいなと憧れますが・・・)・。普段から常に「自分だったらどう考えるだろう?」とか、「この意見には賛同できるけど、ここはちょっと違うかな」というように接してみる。そしてできることなら、自分の考えを発表できる力をつけてみる。やっぱり「思う」だけでなく、言葉にすることで、より自分の考えが固まってくるなんてこともあります。

私自身、まだまだ発展途上ですが、こうしたスキルもつけながら、発信者としてもレベルアップしていける一年にしていきたいと思います!

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