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生活困窮者支援での学び

私は、2016年から東京都内の生活困窮者支援団体の活動にボランティアとして参加している。

内容としては、炊き出しや駅周辺・公園で夜回りをしながら路上生活をされている方々に生活、医療、法律相談の紹介、チラシの配布などであった。

そこには、ネットカフェに泊まりながら派遣で働く若者、パートナーのDVから避難してきた女性、低年金・無年金の高齢者、刑務所から出所後住まいがなくて困っている人、障害があって働けず実家にいるものの両親と折り合いが悪く、なんとか実家を出たいという人、生活保護でいったん施設に入ったままなかなかアパートに入居できずにいる人、役所のケースワーカーとの関係に悩んでいる人などがいた。


ある日、初老男性は大きなカバンと荷物を地面に置き駅の入り口付近で横になっていた。

私は、挨拶をしてチラシを渡そうと近付いたところ、男性は「てめえなに気安く話し掛けて来てんだよ!」と怒鳴り声をあげ、傘を振りかざしながら私に向かってたのである。

「はいはいありがとね」「いつもご苦労さん」というような被支援を受容している方が多かったため、私は反射的にその場から走り出してしまった。

しかし、追いかける男性の怒りは収まらず、人が混みあう駅前で、通行客や警察が男性を制止した。

男性は制止されながらも「ぶっ殺す!ぶっ殺す!」と傘を振りかざしており、その目は本気であった。

私は距離を取って謝罪をすることしかできなかったが、男性は「今度話しかけたらただじゃおかないからな」と駅の中に戻っていたのだ。

私は、厚かましくも男性を”支援に繋げる”にはどうすれば良いかを考えていた。

しかし支援団体の職員の方から、「そもそもそのように考えること自体が極めて利己的で、”基本的人権の尊重”を考えると望まない支援を押し付けてしまっている。つまり”人権侵害”である。また、もし男性が何らかの要因(精神疾患、アルコール依存、薬物依存など)により感情を抑えられずに私に暴力を振るっていたら加害者になっていた。そうなれば、”望む生活”どころか”犯罪者”としてのレッテルが貼られ今後の人生を阻害してしまう可能性だってある。」

上記のことから”声を掛ける”あるいは”チラシを配る”という行為は極めて思慮深い判断が必要であり、継続的に炊き出しや夜回り活動を続けることで存在を認識してもらうこと、そして、その方が困った時に手を差し伸べられるような地域社会を育んでいくことが大切だと学んだ。


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