見出し画像

天気の子 〜今更ながら少し書いてみる〜

地上波で「天気の子」を観たので、今更ながら思ったことを書いてみます。

個人的には、この時代を象徴しているなと感じました。
父性の対象とも言える「大人」はほとんど登場しない。帆高の両親は登場せず、陽菜は母親が亡くなり姉弟で過ごしている。子供たちが全て自分で切り開いている。自分の中に「父性」があり、自分で発揮するしかない。

ラストはまさにそんな感じ。
帆高は、たとえまた雨が続こうとも、陽菜を選んだ。
結果として、東京の街は水に沈み、それを後悔するところも見せるけど、立花さんや須賀さんの言葉を聞きながら、思い直す。
自分が信じた道を進んだ結果なんだと。
それがつながるラストが、陽菜とのハッピーエンド。
「僕たちはきっと大丈夫だ!」
まだ「きっと」と言ってるけどね。
他人への影響なんてない、自分の決断は自分のためだけにあるというのが、はっきり出ています。


新開誠監督のストーリーは、「君の名は」もそうだけど、大人や親の存在はほとんどない。だから、全ては自分で決めて、それに向かって突き進むことを求められる。
これは、今の社会もそう。
仕事をしていても、自分で決めて動く人でなければ、一応雇ってもらえるかもしれないけど、給料は上がらないし、いつか切られる可能性もある。
ただ、文句をいうだけ言って、解決策は人任せという人がすごく多い。
そうゆう人に対する一種の警告なのかなと思いました。

人に何かやってもらう、という時代はもう過ぎ去っている。
自分がやるべきこと、やれることを、前向きにやろうよ、というメッセージを強く感じたからこそ、
最後にハッピーエンドになったのは良かったなと思いました。

涙というよりも、また明日から頑張ろうという共感が生まれた、そんな映画でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?