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ピンクの自転車とバレエとマイケル・ジャクソン

小学生の頃、自転車を買った。
もう35年くらい前、大昔の話だ。

その頃、みんなが乗ってたのはこんな自転車だった。

いわゆるスポーツ自転車ってやつだ。
80年代半ば頃、こういうのが流行ってた。

ただ、ぼくが買ったのは、ピンクの自転車だった。

ちょうどこういう、いわゆる“ママチャリ”だった。

もちろんものすごく周囲から浮いてた、と思う。

なんでピンクのママチャリだったか。

それはマイケル・ジャクソンの影響だった。
いや、べつにマイケル・ジャクソンがピンクのママチャリに乗っていたわけではない。

ただ「ピンク、かっこいい」って思ったのは、マイケル・ジャクソンの影響だった。

小学4年生の時にスリラーに出会った。

1983年の暮れか84年の頭頃だったと思う。
「なんかこれがすごいらしい!」って、母親が買ってきた輸入版「スリラー」のVHSのビデオテープ。
ただ、うちにはビデオデッキがなかった。
このテープを観るために我が家はその週末にビデオデッキを購入した。
当時小学4年生だったぼくは、脈打つ血の滴りで書かれたタイトル「THRILLER」を読むことができず、字幕がないため大半何をやってるのか分からず、狼男になったりゾンビになって歌ったり踊ったりしている男が何者なのかすら知らなかったけど、圧倒的パワーを持った14分の映像に完全に魅了された。
取り憑かれたように連日そのビデオを見まくった。

連日のように繰り返し、テープがすり切れるまで見ていたビデオ。
ミュージックビデオ本編はもちろん好きだったけど、後半に収録されていたメイキング映像も好きだった。
お気に入りはダンスリハーサルをしている場面だった。
稽古場でマイケルと共演のオーラ・レイが2人で夜道を歩くシーンのリハーサルをしている場面。
このとき、マイケルが着ているのがピンクのミッキーマウスのトレーナーだった。
恐らく普段着だろう。

普通にピンクの服を着る大人ってかっこいいな、そう思った。
戦隊ものでもピンクは女性の色だったし、男が好む色じゃないことはもちろん知っていたけど、ぼくはこれでピンクが好きになった。

自転車を買う時に形はどうでもよかった。
ただ色だけは絶対にピンクがよかった。
そこを譲らないと選択肢が限られてしまう。
で、結果的にピンクのママチャリを買うことになったのだった。

自分の持ち物で「絶対これ!」って決めて買った初めてのものがピンクの自転車だったかもしれない。たぶん、そうだ。
すごく気に入っていた。
けど、やっぱり周りからはちょっと浮いていた。
ちょっとイヤな目にあったりもした。
ふつうの自転車にしておけばよかったな〜と思うことも、あったような気がする。
ただ、けっこう長く乗り続けていた。
5年は乗ったと思う。
ある日、盗難にあってなくなったんだった…。

もう一つマイケル・ジャクソンの影響で始めたことがあった。

それはバレエだった。

これじゃない。

こっちのバレエだ。

スリラーを見てすぐのことだったと思う。
あんなふうに踊りたい!
そう思って親にねだって習い事をさせてもらった。
ただ、80年代当時、ダンス教室なんてものはほとんど存在してなかった。
周囲にダンスをやっている人も誰もいなかった。
やっと調べて見つけてきたのが、バレエの教室だった。
やりたいダンスと違うのは見学してすぐにわかったのだけど、他の選択肢がなかったのでバレエを始めた。
始めてみて驚いた。
まったくの「これじゃない感」。
だいたい練習の時に身につけるものからして驚きだった。
何?このぴっちりしたタイツは…。
かつてみたことのない物体だった。
そして、待っていたのは苛酷なレッスンだ。
とてつもなく身体が硬かったので、足を上げるのも、ちょっと足を開くのも激痛で、さらには布団叩きの柄の部分でビシビシ叩かれるスパルタレッスンで、泣きたいほど痛い毎日だった。
もっと驚いたのはバレエをやる男の人数の少なさだった。
教室に女子は4、50人いるのに対し、最初、男子は2人だけだった。
(その後ちょっとして、もう1人加わって3人になる)
明らかにバレエは女子の習い事だった。
他に男子が1人でもいたことが奇跡だと思うけど、やっぱり圧倒的マイノリティ。
居心地が悪いどころの騒ぎじゃなかった。
教室には男子更衣室すらなかった。
お世辞にも居心地がいいと思ったことはないけど、肩身が狭いってことはなかった。
レッスンがはじまってしまったら、男も女も関係はない。
ただきつい練習が待っているだけだった。
大きな公演のために、夏休み返上で毎日練習ということもあって、学生時代のかなりの部分はバレエに費やしたような気がする。
一時期は自分の全てだと思っていた。
「これじゃない」と思って始めたけど、結局7年以上つづけることになった。
やめた原因は自分でも情けなくなるほどくだらないことだったし、結局プロにも何にもなれなかったのだけど、貴重すぎる体験をした。

ピンクの自転車に乗って、バレエ教室に通う。
このとき、自分の人生が動き始めたんだろうなって思う。

きっかけはマイケル・ジャクソンだった。

結果的にはちょっと、いや、かなり違った方向に行った気がしなくもないけど、自分が決めたことに従っていい、人と違うことをやっていいってことを、ここで学んだんだろうなって思う。
自分の頭で考えて、自分で選んで行動していくクセのようなものだ。
それは今の自分の根底にしっかり根付いていると思う。

週末、一本の映画を見てきた。
ぼくの人生を変えるきかっけになったマイケル・ジャクソンをデビューさせたレコード会社モータウンについてのドキュメンタリーだ。

マービン・ゲイ、スプリームス、スティービ・ワンダー、テンプテーションズ…
それほど音楽に詳しいわけじゃないけど、耳に入ってくるのは知ってる曲ばかりだった。

映画自体もメタクソ面白かった。
売れる音楽を生み出すために自動車工場をヒントに作ったヒット曲の生産ラインのシステム。
発掘して、育成して、品質管理をして、ベルトコンベアー作業のようにラインが組まれている。
会議では民主的に全員が意見を出したあって、リリースするかどうか決める。
60年代にして女性の重役がいたり、モータウン=黒人音楽のイメージだったけど、社員には白人もいて肌の色は関係なく平等に働いている。
すべては音楽を「売る」ために存在しているという合理性。
とんでもなく先駆的な組織構造だったんだなと感動した。
もちろんいい面しか描いてないのだろうけど、それでもモータウンの果たした功績は、はかり知れず大きい。
そして創設者べーリー・ゴーディーの言葉はことごとく胸に刺さる。
とにかく売りたい、そのためには肌の色も男も女も関係ない。
「人種がなんだ俺は勝ちたいんだ!」
「アートに色は関係ない!」
モータウンは音楽を通して世界を変えていった。

そして、そこから生まれたアーティスト、マイケル・ジャクソンに、ぼくは人生を変えられた。
遠く離れた世界の片隅にもしっかり影響を与えている。
うん、世界はつながっているな!!

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