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あの人が居るからできることは、あの人が居なくなれば辞めていい

なにかを始めると、または、なにかが始まると

・続けること
・仕組みにすること
・お金を稼ぐこと

が、なぜか必須かのように
語られる場面に出くわすことは少なくない

僕は、このどれもが、あってもいいけど、
必須じゃないと思ってる。

⭐️続けること

始めること<続けること
という風に語られがち

続けることの価値はもちろんありますが
必ずしもそれを前提になにかをすることに
違和感が僕はあります。

むしろ、辞め方、やめ時を見失い
やることのテーマや、本質的なサービスよりも
続けることに囚われているがために、
時代に合わない、想いも、人手も足りない
そんなプロジェクトになってしまうリスクがある

続けることよりも、やめ方の方が前提となってもいい。

そしてなにより、始めることを、
チャレンジを、はじめの一歩を応援したい。

三日坊主にも拍手を送りたい

⭐️仕組みにすること

仕組みとは、コスパや、効率と近い話で語られ
『誰でもできる仕組み』と言い換えることができるかもしれない。

創業者や、発起人が亡くなったり
去ったりして、人が入れ替わっても
プロジェクトはできる(動く)状態にする

続けられる状態を担保する機能が
仕組みにはあると思います。

もちろん、仕組みや、ルール自体は
否定されるべきものでもありませんが。

やはり、なにかを始める際に
必須、前提として意識するのに
僕は違和感がある。

仕組みには、どこか、属人性を極力抑え込む
という機能がある気がします。

むしろ、僕はなにかをする際に
属人的でありたいと思う派です。

⭕️⭕️さんとだからやりたい
⭕️⭕️さんとイベントしたい

そういう、固有名詞で認識し合える関係性や、
そうした人たちとの、期間限定の熱狂を楽しみたい

仕組みにせずとも、その時に集まったメンバーで
最適な役割分担ができたらいいんじゃないかなぁ
と僕は思うのです。

逆に言うと、仕組みが先にあることで
個々の特性を枠内におさめなくてはならない
という気がしちゃう(または無意識にしちゃう)んじゃないかなぁと僕は思います。

⭐️お金を稼ぐこと

お金に関しては、短くは伝えにくいんですが
(また別に)
端的に言うと、お金を枠にしすぎたり、
金額の多寡だけで収支をみるのは、
あまりにもったいないし、自分のやりたいことの
幅も、価値も、狭めちゃうよ

人とのコミニケーションや、一緒に楽しむことは
金額になおしにくい。

価値や、エネルギーや、行動の意味などの多様さに目を向けずにいると、『儲かった』『損した』だけになっちゃう気がする。

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古賀市に新たに誕生した
食と人の交流する空間
『るるるる』に行き交う人と
触れ合いながら、そんなことを
考えていました。

いつか自分が死ぬ中で
その場を去る中で
残すことが呪いや呪縛にならぬよう
生きているうちに
固有名詞で繋がり合う中で
楽しいことをしたり
自分より若い世代を支援したり
(ニーズにそくして)
していきたいです。

ぜひ、皆様と限りある命を楽しみたいので
いろいろやりましょう😆

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