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人生の恩人と憧れの人たち②

こんにちは
ShimoUです。

今日は、僕の過去の恩人紹介シリーズです。

僕のnoteに目を通してくださる方、
僕のnoteをじっくりを読んでくださる方、
いつも本当にありがとうございます。

疲れたら遠慮なくブラウザバックしていいからね?



前回、小5・6の担任の先生のことを綴っていて、とても複雑な気分になりました。
その理由は、僕のとても親密な人にだけ、タイミングが来たらお話させてください。

簡潔に言うと、
僕の過去の闇がとても深い理由がわかった気がする、ということです。

触れない方がいいよ、僕の過去は。




さて気を取り直して!

…前々回の山本ファイト、書くって言ってフライングで終わりましたね。
…前回で、また山本ファイトの名前を出しましたね。

今回は山本ファイトをはじめとする、「中高生時代」の、ShimoUの恩人たちを紹介させてください。

それではよろしくお願いします。

恩人②:塾の先生(山本ファイト)

ファイト先生ってこんな人

はい。
前々からちょこちょこ出している山本ファイトです。

ファイト先生とは、僕が中2の頃に出会いました。彼は講師1年目、僕は入塾から数ヶ月、みたいなお互い塾初心者同士みたいな感じでした。
その先生は、僕らに本気で向き合ってくれた先生でした。

ファイトの指導科目は文系全部。男性の先生です。
先生の好きなことは「釣り・ピアノ・野球・料理」
 (やっべ、誰かバレる笑)
誰よりもまっすぐな性格で、とにかく声がデカい先生でした。そして頭のネジが外れてる、The塾講師みたいな人でした。

あ、彼がファイト先生って呼ばれていた理由を言ってなかったですね、
教室内でずっと「ファイトォーー!!!!!!!!!」って発狂してたから。そしたら、いつの間にか彼はファイト先生と呼ばれるようになっていた、ただそれだけの話です。

ね?シンプルでしょ?笑
ね?あたおか(褒)でしょ?笑

塾の先生って、どっか頭のネジが外れてないとつとまらないなって思います。
それが子供達に“ウケる”要素になるんだから。

あ、ちなむと
山本はシンプルに彼の苗字です。
日本全国に山本さんいるから、流石にばれないっしょ笑


ファイトの人物紹介はザッとこんな感じ。
僕が釣りに行ったよ雑談とかをその先生にすると、めちゃくちゃ食いついてくれてノッてくれる、そんな先生でした。
そして、当時の塾の先生たちの中で誰よりも自分の可能性を信じてくれて、誰よりも僕の頑張りを認めてくれた、そんな素敵な先生です。
このことはこの記事でめちゃくちゃ書きます。

たぶん根にある真面目さとかが似てたんでしょうね、
僕は出会った時から、その先生のことが大好きでした。
絶大な信頼を置いていました。


授業担当を“見放した”のに…

当時の僕は、「勝つためなら手段を問わん」的な思考を持っていました。


※こっからは当時の思考で書いていきます。今思うと不敬罪極まりないですね笑

中3当時、授業でお世話になっていた国語科の先生が本当にわかりづらくて、絶対に成績上がらんやろ、とずっと不満を持っていました。

そこで、僕は授業を担当してもらっていない、でも絶大な信頼を寄せていたファイト先生に国語の質問をしに行っていました。
ファイト先生の言う通りにすると、ちゃんと点数が取れる!っていうことに気づいたから。
だから、当時は授業担当の先生そっちのけでファイト先生のもとに行っていました。
模試が終わった後、授業でわからないことがあった時、などなど。授業を持ってもらっていなかったのに、彼は僕のことを笑顔で受け入れてくれました。尊敬でしかない。

僕の住んでいる地域の入試には作文がありました。課題文についてのお題が与えられて、それについて180~200字で自分の考えを纏めるもの。配点は10点。通称「200字作文」です。

初めて作文を書き、ボコボコに打ちのめされた9月の模試の個人票を山本ファイトのところに持って行きました。

そしたらファイトは、作文の書き方を丁寧に教えてくれました。
そして、僕にこう声かけをしてくれました。

「ShimoUくん、作文はちゃんとトレーニングすれば絶対に満点取れるから!だから、トレーニングしよう!」

そう。ファイト先生は僕のためにだけに特別メニューを組んでくれて、僕だけに作文の課題を用意してくれたんです。それも、自分の授業担当でなかった僕のために。

当時、山本ファイトと会っていたのは水曜日と土曜日の週2回。ファイトに作文を提出すると、僕をファイトの席の横に座らせてくれて、隣で丁寧に作文を添削してくれて、また次の作文を渡してくれる。
いつもこのルーティンでした。確か先生がバタ付いてた日は、僕からお題貰いに行ってたっけ笑
帰り際にお題を伝えてもらったこともあったっけ笑

そしてその時、必ず“良かったところ”と“次に気をつけるべき”ところをセットで教えてくれていました。
今思うと、ファイト先生の存在が、当時僕が高校受験勉強を頑張る一番のきっかけをくれていたのかもしれません。

山本ファイトとトレーニングを積みまくったおかげで、僕は一生モノのスキルである文章力を手に入れることができました。

作文も、模試で当たり前に10点が取れるようになりました。

時が巡り巡って、今こうやってnoteに自分の考えを綴ることもできています。
noteに反響をいただけることも、有難いことに増えてきました。
本当にありがとうございます。

これは周りの人にも、そしてファイトにも。

こういう理由から、僕は彼に頭が全く上がらないのです。

年明けの話・・・

僕の目標としていた高校は、内申がオール4、当日点380点あれば受かるよ、って言われていました。(英数国理社)

当時、オール4は取れていたので、あとは当日点380取るだけ。
そう意気込んで頑張っていた矢先・・・


・・・国語、点数取れなくなっとるやん。

合格点に遠く及ばない点数しか取れなくなっていたんです。
それこそ、本当にボロッボロでした。

正答率が半分とか当たり前の世界。
今思うと、ガチで焦っていたと思います。
そんなんで受かる高校じゃなかったです。

そんな中迎えた入試前日。
確か火曜日の夜でした。今でもよく覚えています。

いつものように教室に行くと、普段は出勤していない筈のファイト先生が教室にいました。

そして僕らが自習していた部屋に来て一言。

「先生、今日は授業ないんですけど、君たちのために教室に来ました。だから、何か不安なところとかわからないところがあったら、何でも質問もっておいで」


僕はファイト先生に、イチから文章読解で気を付けるべきところを改めて教えて貰いました。それも入試前日に。


塾講師をしていたからわかります。
こんな質問、入試前日にやることじゃないんですよ。
9割の先生は「コイツはもう無理、少しでも可能性のある別のヤツに時間を割く」
って判断をしているはずです。
してもおかしくないようなレベルだったんです。

それでも、彼は僕のために時間を使って、基礎の基礎から“次の日これさえやればいいよ”っていうことをめいっぱい教えてくれました。

当日、ファイトの言うことだけを信じて突き進んだら、、、


国語:当日点90点!

入試結果:見事合格!!!


それ以外の科目は思ったより当日点が取れなかったので、国語のこの点数がなければ、僕は高校に受かっていませんでした。


塾の授業を受ける最後の日、ファイトと2S写真を撮らせていただきました。
ヘッダー画像のあの写真です。

この写真は現像して、額縁に入れて保管しています。
(本と埃に埋もれてるけど笑)

そして別れ際、ファイトは僕にこうも言ってくれました。

「ShimoUくん、今年の中3生で一番頑張ってたよ」

ちゃんと見てくれてる人は見てくれてたんだ。
自分ではそんな自覚なかったけど。

なんかすごく嬉しかったのを覚えています。



僕は今でも、ファイトのことは忘れません。
というか絶対に忘れられません。
だって、僕の可能性を最後まで信じてくれた人だったから。
彼のおかげで今の僕がいれてるから。

だから僕が塾講師として中3生を指導させていただいていた時、山本ファイトのように、生徒全員の可能性を信じながら指導をしていました。

このこと、当時の教え子たちに伝わってたのかな?

僕が塾講師をしていた際、人間面での目標はファイトでした。ファイトが僕にしてくれたことをできる限り彼らに還元したつもりです。

このことは、また別の記事で綴らせてください。


とにかく!
山本ファイトがいなかったら、
山本ファイトが僕に向き合ってくれなかったら、
山本ファイトが入試前日に自分の休みを削ってまで僕らのことを気にかけてくれなかったら、

僕は今ここにいません。

だからこそ、その時の想い、相手を思いやること、その1つ1つが大事なのだと思います。
そのことを僕が身をもって経験してきたから。

形は違えど、僕にできるサポート方法で、僕にしかできないやり方で、周りで困っている方に手を差し伸べ続けたいなって改めて思います。


結局は助け合いなんだけどね。

ファイト先生、本当にあの頃はありがとうございました。
おかげで、今、毎日楽しく生活できています!!


あ、山本ファイトですが、
僕が高3に上がるころ、千葉県で中学校の先生を始められたそうです。
だから、もう簡単に会うことはできません。
Facebookとかで探そうにも、至難の業です。

英語科の先生みたい。
すっごく意外。

彼への感謝は、心の中に留めておくしかなさそうですね。



恩人③:高2・3の担任

高校生の頃の僕はズタボロでした。
何とかして入った高校で、勉強についていけなくなり、成績もよくなく、目標も見失う、そんな退屈に満ちた毎日を送っていました。

受験勉強ゆーても信じていたのは塾の指導のみ。
っていっても「一番大事」って言われてた英語の勉強時間を割かない、みたいな生活を送っていました。

今考えると、本当にただの阿呆です笑

じゃあ何してたかって?
日本史の勉強でした。


そんなズタボロだった僕のことを見捨てずに、最後まで応援してくれたのが、この担任の先生でした。

勉強すれば点数を取れたのが日本史、
そうするうちに、日本史の”ストーリー”にどんどんハマっていきました。
当時は日本史の勉強が息抜き&趣味のようになっていました。

高2・3の頃の担任は、そのことを見抜いていたんでしょうね。
日本史の面白そうな本を僕にいくつか紹介してくれていました。

そんな先生のことを軽く紹介します。

①国語科教師
②女性
③僕らの担任が教員生活最後
④博愛に満ち溢れた先生
⑤僕ら1人1人の可能性を信じてくれていた先生
⑥1人1人の”判断”や”個性”を尊重してくれていた先生


個人的には、⑤・⑥が本当に有難かったです。

当時の僕は、学校ではなく、塾の言うことを忠実に守っていました。

はい。”勝つためなら手段を選ばない”っていう当時のダメダメ思考ですね。
そして自分に甘い笑

本当にふざけている。

まぁそれはいいや。

とにかく、担任の先生はその自分の判断を尊重してくれました。
学校の立場とか色々あっただろうに。

先生が自分の判断を尊重してくれたおかげで、僕は塾中心の受験勉強に打ち込むことができました。

なんとか合格することができました。

学校の負担が少なくなるようにしてくれた先生には頭が上がらないですね。

大学受験の結果は、有難いことに満足のいくところに現役合格。
本当に頭が上がりません。


そして卒業式の日、
先生はクラスメイト1人1人に手紙をくれました。

僕宛の手紙にはこう書いてありました。

いつも自分に自信がなかった。いつも自分に甘かった。
それが大学行くぞ、日本史をやるぞと決めてから、
本当にたくましくなりました。
大学ではあなたのやりたかったことを全力でやってください。
あなたの笑顔は素敵ですよ


僕らへの深い愛情があるからこそのこの言葉。
自分のことをよく見ていてくれたんだな、、、

先生へ
あの頃はありがとうございました。

次いつ会えるかはわかりません。
でも、あの頃よりたくましくなっていると思います。
それは、高校卒業後に僕と関わってくれた全ての人のお陰様ですね。

大学時代を通して、僕は自分に厳しくなり過ぎたようです。
そのことが一つの原因だったのか、僕はメンタルを壊しました。
何事もバランスが大事ですね笑
23歳になって実感しています。
同窓会など、機会があればまたお会いしたいです。
当時のお礼など、またさせてください。



恩人④:高3の塾の先生(現代文)

以前のnoteで綴りましたね。
塾講師時代、僕は国語科と社会科を指導していました。

でも、僕は現役時代、国語が大の苦手科目でした。
何をしたらいいかわからない、文章も読めないし読書もしない。
センスのかけらもない。

そんな中受講した、現代文の授業では、それまでの常識を疑うような、
とても論理的で明確なわかりやすい現代文の世界がありました。

1年間かけてその先生の授業を完コピできるまでに成長し、
無事現代文を得点源にできるまで成長しました。

本当に有難い。この先生に出逢ってなかったら、僕は大学に合格できていません。

それだけではありません。

この先生は毎回の授業で、「僕らの力になりたい」と話してくれました。
どんな質問でもいいから、毎回の授業で「理解&次に活かせるように」と口酸っぱく教えてくれました。

実力を安定させるためにやるべきことも沢山教えてくれました。
”この先生の言うことなら信じていいんだ”って思わせてくれました。
…なんて傲慢なんだ自分は。


この先生への感謝はこれだけで終わりません。

高校を卒業してから僕は国語科と社会科の塾講師になりました。

僕の国語の授業は、この現代文の先生をベースにやっていました。
”再現性”ってヤツですかね。

この先生のやり方を僕が真似させていただいたおかげで、沢山の教え子たちの将来を切り開くことができました。

出会った頃は国語が全くできなかった教え子たちの才能を、沢山開花させることができました。
お陰で、僕も受験生指導で沢山感動させていただきました。
沢山の教え子に、自分の授業で感動してもらえて、沢山の教え子たちに頼っていただけました。
人生初の嬉し泣きも経験させていただきました。

この先生の指導がなければ、今の僕はいません。
そんな情に厚く、そして僕の現代文を克服させてくれた先生だったからこそ、僕は沢山の経験を積ませていただいたのだと思います。

…教育現場戻るのも悪くねぇかもな。
書いててちょっと思っちゃった。


ただ、思い付きで教育現場戻るのって、
自分も含めて誰も得しない。

これは、先日久しぶりに会った、”戦友”ともいうべき国語科講師の親友にも打ち明けましたね。

おい、聞いてるか
取り上げたよ。”俺を取り上げろ”ってDM来たからさ笑
いつか君との思い出は綴るよ。
「遠慮なく意見を交わせる相手」ってタイトルであなたのことはいつか取り上げます。
それまで楽しみに待っててください。
・・・俺のnoteに興味を持って読んでくれてありがとうな。


話が脱線しました。
僕の国語科講師時代に大事にしていた考え方は、これはこれでまた別のnoteで綴らせてください。



おわりに

今回も色々綴らせていただきました。

「自分、人間性終わってたな」
って思いました。

まだ自分には自信は持てないけど、
間違いなく人間面として成長できている。
それだけは言えます。

それは、自分のことを信用して、色々なことを経験させていただいたから。
僕と仲良くしてくださる皆さんと触れ合えているお陰なんだなって改めて感じれました。

みんな、これからもよろしくね。
一緒に沢山成長していこうや。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

ShimoU


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