無限の可能性を秘めた農の世界!
一本のメール
数年前になるが、在京の知り合いからメールが届いた。
孫が生まれたんで記念植樹しようとしたが、高いし、条件が細かくて・・。
どこか無いかしら?と。
農地に紅葉を植えさせてあげた。
苗木は傍らにあった樹齢五年ほどのもの。
カネはイラン!と断ったが、お願いしたのでと数万円を置いて行かれた。
時折、観に来ているらしいが、いつも逢えてない。
が喜んでもらえて嬉しいかぎり。
来年は筍堀りに来ても良いか?との連絡。
いつでもおいで!とだけ返しておいた。
この季節になると、実生のイロハモミジが栗林で色づく!
たぶん、樹齢5年から10年程度かと思う。
栗林にもイロハモミジを植えていたのでその子孫かと思う。
今年の春に、庭先の畑に、たくさんの芽が出ているのを発見した。
チビと一緒に、掘り出して手入れをしていた。
48本掘り出して数本はよそ様にあげた。
数本は枯れてしまったが、残りは育っているので、農場のハウス内で育てている。18本が生き残り組!
来年も長女モミジの子孫が数知れず萌芽するかと・・・。
掘り出して置こうと考えている。
ハウスが縄文遺跡のど真ん中であることを最近知った。
とある平日に県の車が農場内の一角に停車していた。聞いてみると遺跡調査とのこと。
彼が立っていた遺跡は様々な言い伝えがあるが、『駒の墓』と呼ばれる遺跡。畑のど真ん中(と云っても南北朝時代の城の南東にあたる)に10坪ほどの土盛りした遺跡があり、そこにあるのが駒の墓。
子どもの頃に教えられたのは、黒い馬が埋められている。
それが地名の始まりと明治生まれの祖父が言っていた。
彼と立ち話をしていて、仰け反った。
当地のもっとも旧い遺跡は、ここから100mほどの距離にある、浅間塚(前方後円墳)と考えていたからだが・・。
この古墳は5世紀から6世紀の建立とされている。
なにゆえ、小さな前方後円墳が関西でなく、当地に点在するのか?は専門家にゆだねて、実は、当地を含め、南北に連なる大地は、縄文遺跡の上であることを知らされた。
一部には、集落跡まであったことが判明しているとも・・・。
晴天の霹靂とはこのことですね。
早速、市の博物館に出向くと、あるわあるわ、縄文以前の石器時代の遺跡まで残されていたことが判明した。
博物館の年表は写真撮影が禁止されている。遺物も同様に撮影は禁止。
止むを得ず、市の生涯学習課を訪ねた。
これは長くなるので、やめときますが、続々と新事実を聞かされた。
だって、誰にも聞いてないし~教えられても居ないし・・・。
古墳があることから、この前の水田は、鬼怒川の流れ跡であろうことは認識していた。古代では川べりに居住していた程度の知識はあったからね。
火と食糧と水。これが必須な時代がそこにあったはず。
この古墳は調べてみたら個人所有になっている。それも集落内の鉄人と呼ばれている長老のお宅が所有者。
モミジを植栽するのは、この周辺が最適だな~と勝手に考えている。
周辺農地も過半は所有者は耕作しておらず、川を越えて、白菜やキャベツ栽培の大農家が借用していることも判明した。
いずれ、周辺の土地の所有者と話し合いし、モミジと山桜を植えたらいいやね~と考えている。
当然、栗林で生育している5年生以上のモミジも移植してあげたいな~と。
古墳の周囲で桜を見て、春と秋に紅葉狩り。
想像しただけでワクワクします。
果樹園をつくろう! 併せてモミジ苑もつくろう!
当地は梨の大産地を形成してきた。
今でも数戸の農家が梨栽培を続けている。
が、リンゴの南限、柑橘の北限と云われている当地に他の作物は極めて少ない。指導者が存在せずに、離農していった皆さんが過半なんであろう。
事実、近隣では観光リンゴ園が点在し、近所には、直売を目的にしたサクランボ園もある。
誰かがリスクを抱えて挑戦しないと新しいものは導入できません。
昨今、話題のぶどうに皮ごと食べられるシャインマスカットがあります。
このぶどうは苗木が当初10万円だったそうです。
山梨に行くと、シャイン御殿が林立している集落があります。
大きなリスクをとった末なんでしょうね?
普及と共にシャインの価格も低下傾向のようですが。
一説では、巨峰の数倍の売り上げがあるとか。ちなみに、巨峰の反収がいくらかは知らない(*^^*)
販売を目的にすると収益源になるまでに数年を要する!
が、記念植樹にすれば、初期投資は抑えられるんじゃね?と考えた。
で、我が家に一本だけ自由に枝を伸ばしているサクランボのヒコバエを育成してみたら、これが育つ!
五割ほどの確率で根づいてくれている。
新品種も数本購入し、育成している。
たぶん、15本前後のサクランボが出番を待っている。
あと数年で収穫可能になるんじゃねえか?
サクランボと柑橘の相性がどうかは不明だが、サクランボは五月。
柑橘は秋から冬。
夏に収穫できる果物を植えたら、とりあえず、春~夏~秋冬と楽しめる。
ぶどうや琵琶が夏収穫なんですが、ぶどうはねえ~
棚をつくったり、摘果したりが大変なんだよね~
琵琶なら放置出来るな~ 西洋イチジクも放置できそうだな~と手抜きだけを考えてる。
こうしてみると、さくらんぼ~イチジク~柿・栗~柑橘の順に大きくなる。
ゆえに、南から植栽していくと、4~5種類の柑橘が楽しめることになるんだが。ビワも美味しいね!問題は病害虫かな?
果樹園は販売を目的にしないで、勝手に来て、勝手に食べられるようにするのが最善かも知れないね。農業としては、邪道ですが・・・。
トロピカル・ガーデン
二十数年前に復帰後の沖縄に上陸する機会があった。
ワクワクだったよね~仕事絡みだし、経費は団体持ちだからね~
空港降りたら、ハイビスカスの行列が出迎えてくれるものと考えていた。
ところが、空港で出迎えてくれたのは、蘭。
滞在中に、あちこち回って、ハイビスカス探したけど、あったのは、申し訳程度に植えられてた島特有のハイビスカス。
アカバナ~と呼ぶことは後に知った。
また、アカバナ~は、咲き乱れることは無いことも後に知った。
オイラの考えてた沖縄≠ハイビスカスで無いことも理由も後に知った。
台風よ。風よけで植えてるお宅があったことも知った。
誰かに見せようなんぞと思わないんだよね?
後に、離島にハイビスカス農場があることを知り、訪ねたが、同様。
台風よ。
沖縄で台風に遭遇したことのある方は認識できるであろう・・・。
風が下から吹き上げてくる! ハイビスカスを植えても、風よけの無い箇所ではぶっ飛ぶことを知った。
沖縄でなにゆえ、鉄骨ハウスでマンゴー栽培しているの?
風よけ! 台風除けでした~。
ちなみに、内地からアカバナ~でない品種改良されたハイビスカスを沖縄に送り、地植えさせてもらった。
一年経たずに、台風様がどこかへ持ち去った。50本を超える本数を植えたんだけどね~
春に、やんばるは、イジュの花盛りになります。秋には、街路樹にトックリキワタのなんとも表現のしようがないピンク系の花が咲きます。ゴールデンシャワー、月桃、カリアンドラ、、、、。数えきれません。
毎日夕刻になると手のひらよりも大きなドラゴンフルーツのビロードのごとく大きな花が開花します。開花後、一か月もすれば美味しくいただけます。
温帯北関東で亜熱帯を味わえる農場にしたい!
バナナ100本。ドラゴンフルーツ300本。フルーツパパイヤ20本。もちろん、マンゴーも20本。他のフルーツ群。スターフルーツ、ジャボチカバ、アテモヤ・・・う~んんん。どれほどの面積になるんだろ?
他にもトロピカルフラワー群は山ほどあるからね~
まぁ一歩ずつですね~
冥土へ逝く前に、遺しておかないといけない!と強く感じてます!
人まね、モノ真似!はしない!
昔からつるむのは好きでは無かった。
ゆえに、中学高校、社会人としても徒党を組むことは無かった。
父親が牛飼いのパイオニアだったことも影響しているのかも知れない。
物心ついた時には、家の周りは牛だらけ!
後に、知ったが、昭和30年代。
現代と違い、酪農家は、乳価が高く、子牛が生まれると一日でも早く母牛から子供を離したがっていた。
そのことを知った父親は酪農家で子牛が生まれると引き取りに行き、脱脂粉乳(戦後世代が給食と称して飲まされたあれ!)を飲ませ、肉牛にして出荷する!を生業としていた。
いずれ、この作業は、まとめて書いて置こうと考えてるが、今日は別。
誰に教わることもなく、ホルスタインの♂を肉牛として育てることのパイオニアだった。
そのことも脳裏にあったのかも知れない。
よそ様がしている農業をしようとは考えても居なかった。
農に欠けているのは、顧客を持たないこと。
顧客を持つ農で無いとこれからの農は成立し得ない!と40年前に考えた。
当然だが、生半可では出来ない。
離職後、三年目に縁があり、野菜セットの宅配を東京発で始めた。
それこそ、パイオニアゆえ、数か月で万を超える顧客を得た。
口コミ、マスコミの怖さを思い知った。
血反吐を吐きつつ10年間。氣力、体力の充実していた年代を過ごした。
思い知ったことが生きる財産になって現在に至っている。
やっと、理想の農の入口に立った、72歳。
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