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新たな『ものがたり』が始まる!


カマ族の生き様! 

帰郷後6年が過ぎて、7年目に入った。

30年ほど前になるかしらね? アンタは、マグロやカツオと同じで動き続けないと死んでしまう部類だね!と云われた。
なるほど、そうか~と得心し、爾来30年。古希を過ぎた。
帰郷して付けられた名誉な称号がふたつある!
カマ族⇒暴走老人⇒適応障害 いずれも戒名にしたいと思案中!

決して、『お』は付けないでくださいな! LGBT法抵触の可能性(*^^*)




街づくりを目的に、当初は、冥土へ旅立った故・黒須秀樹氏と二人で一般社団法人を立ち上げようとしていた。


紆余曲折はあったが、正式に法人として令和2年1月に設立した。
むろん、収入は見込めないゆえ、大嫌いな滅私奉公ボランティアになる。
良し悪しは、置いといて、募金の実態もおいおいおい!が明らかになってる昨今。日本には、伝統的な相互扶助の仕組み『結と講』があるでは無いか?
とは思ったが・・・。
それでも、個人的には、生まれ育った故郷に貢献出来るなら可とした。
爾来、様々な活動を繰り返してきた。
なによりも、人生の過半を占めてきた農業・農村との関わり。
その中で得た、知識・体験・知恵を活かせたらの思いもあった。

勤め人を14年させていただいた。
18歳で進学を諦め、農協の職員として奉職し、8年半を勤め上げた。
3日で辞めようとしたが、当時の組合長だった、磯山八左ヱ門氏に諭され、約束を果たした。
退職したのは、八左ヱ門氏が組合長を退いたこと。
同時期に、支所管内で放火事件が相次ぎ、併せて窃盗も起きており、支所の二階に捜査本部が設置され、小生も何度か事情聴取を受けても居た。
噂でも農協職員の犯行とされていたことは後に知った。
消防団員をしていた同時期に、隣接した集落の子どもたちが七人も同時に水死し、捜索活動もしていた。
いろんなことが重なり、アテは、無かったが、退職願を出した。
宅建の免許を保持していたので、他市町村の不動産屋で丁稚奉公もありだな?とは朧氣に感じても居た。
両親も嫁も反対はしなかったのは、今にして思うとなぜだったんだろ?

二ヶ月後に、近所の知り合いの元地主さんが、何度か来てくれた。弟が常務をしている会社が子会社を関城町の工業団地につくっている!
そこへ行きませんか?のお誘いだった。
製造業は、オイラには無理!とは思っていたが、まだ、20代。
経験しておくのもいいか~と面接に出向いた。
希望はありますか?と問われ、現場をさせてください。
現場を知らずに他の仕事は出来ませんから~と一年間。現場でラインの監督をさせてもらった。
って、そんな生易しいものではなく、終日、立ち仕事。
ラインも観ないけりゃいけなかったが弱音を吐いたら紹介いただいた方に申し訳ない!とこなした。足の裏が腫れてパンパンになったが・・・。
たくさんのことを学んだ。
なによりも、原価管理、工数管理の厳しさと人間の能力の凄まじさを引き出していた製造業! 
日本の復興は紛れもなく製造業由来であり、農業は、コバンザメだったな~と感じた。これだと日本の農業・農協は危ういとも。

時代だろうし、持ってても、固定資産税だけが嵩むんだろうが、育ててもらった農協の支所が売りに出されている。
旧役場時代の建物を使っていたようだが、青春がぎっちり詰まってるんだけどね。まぁよくある話。
時計は、(たぶん)上妻村役場時代から使われていたもの。旧事務所を取り壊す折に、誰も要らないと云うので、いただいてきて、修理した。
一週間巻なので、時折、停まっているが、現役!

産直時代から自治体コンサル時代

製造業をスピンアウトし、三年目に、念願の農業へ戻る足がかりの機会を得た。とある市民団体と共同で野菜の宅配事業を手掛けることになった。
二年間、車で渋谷まで通い立ち上げの企画をしていた。
しんどい日々だったが、学ぶこと多数。
この日本初の野菜セットはバカウケして数ヶ月で二万人の顧客を獲得した
その後、三社の産直を立ち上げ、15年関わった。
最初の産直は、事業の転売を何度か繰り返され、現在は、とある上場企業の傘下に収まっている。
15年。それこそ34歳から48歳まで寝食を忘れて働いた。
最大でスタッフが100名も居た。車両が40兩。
客の居ない農業なんぞする積りは毛頭無かったが、当時は農業に戻れる要素は、まだ、無かった。農地が高く、また、耕作している皆さんもまだ、現役世代。小生よりも10歳以上年上の皆さんが現役だった。
すべての体験がそうだが、この時に得たモノ。農協時代、製造業時代も併せて人生の宝モノだが、後に、帰郷してから云われた言葉がある。

成功しなけりゃ事業では無い!と。
成功って、なんだろうね? たぶん、成功の概念が異質な人物の弁。
これは効いたな~
それで付き合いは辞めた。

そうだよな~事業企画って、他所様のためにしてはいけないよな!
自治体のコンサルも15年ほどさせていただいた。
併せて三十数か所の自治体に出向いた。これも貴重な体験。

『一社)下妻ものがたり』でしたかったこと


緑は筑波山と雑木林と農地です! 仲間に書いていただいた。


得意分野は、農業と環境と循環。
なによりも、顧客が何を望んでいるかを知っている数少ない市民の独りと自負していた。
そう、まちぐるみ循環の街にしたかった。有名になれば、道の駅に限らず、農家が潤う。農家が潤えば、消費への刺激は大きい。
交流客(入込客)が増えれば、目覚める農家が増えて、横展開出来る街になる! そう考えた。
1)初めの一歩(有機資源の活用提案)
2)二歩目(観桜苑の三日月湖とヘラブナとタナゴと二枚貝)
3)三歩目(三者協定
4)鬼怒・小貝 ACT米(古代鬼怒川が創り上げてくれた肥土)
5)畑作公社(旧村の認定農家の会合)
6)一社)畑作公社(農業経営改善計画認定事業所)地域まるごと中間管理
他にも行政への提案機会があったが、むべもなく退けられたので、書かない! 書きたいことはたくさんあるが、愚痴やら中傷になりかねないからね。農に戻ろう!と志して40年が経過している。
こういうのを回り道と云うんだろうか?

彼が居たから今がある。右端が故黒須秀樹 

やがて農場は楽園になる!


老いて感じるが、この通りだよね・・。

ともすると夢物語を語って終焉しがちが農業だが・・・。
農家の諸君と話していて、面白いことに氣づいた。
農水の政策は、Organic指向。
それ以前に巷では国産への期待が高まっている。
輸入穀物の高騰は、畜産農家を痛めつけ続けている
ウクライナ侵攻の所為!と伝わるが、果たしてそうか?
小麦や、大豆を転作と称して、結構な面積の栽培をされている。


たぶん、理事者だけでも、合計で畑作30ha前後。
稲作は40ha前後あるであろう・・・。
売り渡し価格は、へっ?と思うほど安い。
小麦と言えば、パンやら麺類。
大豆は味噌が出来るじゃないか?
納豆の天然のバチルス菌が醗酵させてくれる藁が大量にある。
自然界のバチルス菌と国産の大豆と組み合わせれば、
天狗納豆がどんな作り方をしているか知らないが、あれは水戸。
藁納豆で水戸と県西で競い合ったら愉しいよね!

天狗納豆! 


国産小麦と米粉のパンやさんなんぞいいやね


機器と人財がありさえすれば、国産小麦のパンや麺が作れる!
米は、米粉パンがある。
むろん、米は主食ゆえ、いくら量が減ったとは言え、700万㌧以上の需要がある。
SNS上でやりとりしている皆さんは結構、食の確保に熱心であることも時代の流れ!これを掴まない手はなかろう!
道の駅やらSMの入り口で販売をしている間は、真の意味での需要は体感出来ない! 顧客と正対してこそ、需要が理解できる。
基本は理事、および管内の認定農業者で上昇思考のある皆さんと共同していく。
今だけ、カネだけ、自分だけ!の皆さんはご遠慮いただく!

タイトルは、とある人物に40年前に聞かされた事業三原則!
最近になって、やっと理解が出来た。
皆さん、得意分野があり、そのすべてを共有する必要は無い!
そのことを指している。
カネはタンスや銀行預金で2,000兆円が唸っている。
令和三年度のふるさと納税の総額は、8,300億円だそうだ。
比率はわからないが、返礼品欲しさだけとは思えない。
いろんな思いが、ふるさと納税に向かわせているんであろう。
受け取る側の自治体がどんな想いなのか? 氣になる。
1円でもカネを受け取る!と云うことは、想いも一緒に受け取ることになる。前年対比で◯◯%とか数値だけを観ていては時代の本質を見誤る!

ふるさと納税額の推移(総務省)

こちらはクラウドファウンディングと呼ばれるもの。
数十万円から数千万円もの資金を集めるケースもあるようだ。
これはカタチを変えた投資だったり、支援なんだろうね?
欲しいもの! 琴線に響くものには、日本人はカネを出す!

とあるクラウドファウンディング

農場はただの土壌ではなく、舞台と考える


スピンアウトした時期からこれは一貫している。
白菜やトマトやキュウリ、ナス、とうもろこしを育てるのが土壌だが、それだけではあるまい!
多様性を含んでいるのが農地。
とりわけ畑地と感じている。
フカフカの土の上の感触を知る者は少ない!
指がズブズブ入っていく土の感触を知る者は居るまい!

どうせやるなら愉しいこと、耳目を集めること!次々と日本初!

PRとはパブリックリレーションズの略。
まぁ近年は、マスメディア、SNS入り乱れてのPRが多くなっている。
民主主義を押し売りし続けてきた米国は、先の大統領選で本性を顕にしている。ブッシュ~クリントン~オバマと続いたやりたい放題がトランプによって寸断されたからね。よもやトランプが勝つとは思いもよらなかったんであろう。そんな世界の動向は無視して、地域だけを考える舞台があってもよろしいかと。
むろん、SDGsもCO2削減も時代の要請なら従ってもみる。
肝心なことは、関係者が愉しみを共有出来ること場にすることに尽きる。
幼児から爺婆までが愉しめる場にしたい!

For the Nature & Future&ちるどれん


 

そんなわけで、一社)下妻ものがたりは、第一幕終焉です。
今日からは、一社)畑作公社と㈱横島精密の応援団として命がけです!
循環農業の街!
交流農業の街!
耕畜連携農業の街!
農商工三全!

『結と講』の街!
キーワードはいくつもある!

下妻ものがたり・第二章!


こどもたちの笑顔がみたい!



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