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熾す人04_ダイアローグ|与儀 詠子 さん

下妻で出会った人たちと、私 大竹との対話の記録を公開します。
この街で、どんなことを考えて、どんなことを想って、どんな活動をしている方々がいらっしゃるのか。
変に飾らないそのままの部分を残したくて、対話(ダイアローグ)のまま記録していく試みです。
協力隊となった私 大竹との対話の様子を通じて、下妻に暮らす人、関わる人たちの姿と共に、下妻の雰囲気が少しでも伝わると良いな、と思います。

今回の話し手
与儀 詠子さん(50歳)
一般社団法人 下妻家守舎 発起人・代表を務める他、様々な市民活動に参加されている。(大竹は、しもつま3高設立契機となった2016年WSで与儀さんに初めてお会いしている)

0. ダイアローグ開始

大竹:なんか緊張しますね(笑)。宜しくお願いいたします。
与儀:改まって話すことあまりないですからね。
大竹:昨日あんまり寝れなかったんですよ、緊張して。だから、今年度一人目は与儀さんがよかったな、と思って(笑)。
与儀:笑
大竹:では、気を取り直して、まず年齢はおいくつですか?
与儀:50です。
大竹:それ、本当にびっくりですよね。
与儀:不詳ってよく言われます。実年齢より、上に言っても下に言っても大丈夫(笑)

大竹:所属されている活動団体は?
与儀:しもつま3高と、下妻家守舎と、Shishi♡maiと。あとはつくば市NPO団体(“矢中の杜”の守り人)と自分の音楽バンド(ぽんぽこ団)で活動しています。
大竹:ご出身は?
与儀:横浜です。
大竹:神奈川って言わない横浜市民(笑)
大竹:下妻はもう何年ですか?
与儀:嫁いできて15-16年ですね。
大竹:「与儀」という名字は沖縄の…?
与儀:義理の父が沖縄、義理の母が茨城の人です。
大竹:なるほど。
与儀:義両親が結婚した頃はまだ沖縄はアメリカだったので、「国際結婚」状態だったんだそうです。だからこちらに来るのにパスポートが必要で。
大竹:茨城に「入国」されたんですね、凄い時代だな!

1. 茨城に関わるきっかけ

大竹:一番長いのはどの活動ですか?
与儀:バンドですね。下妻来る前からやっていました。
大竹:バンドメンバーは下妻の方だけではないんですか?
与儀:そうですね、埼玉の方とかもいます。元々、石下の喫茶店に来ていた人との繋がり、ってなだけだったので。
大竹:横浜にいた時から?
与儀:そうそう。
大竹:横浜から石下に通ってたんですか?!何で?(笑)
与儀:うちの旦那が、東京に出てきていたんですよ、下妻から。旦那が高校までが下妻で、卒業して専門学校が東京だったんですね。で、東京で働いていて。私もその頃東京で働いていて、その頃知り合ったんです。それで「俺の地元でライブできるところがあるから」って連れてこられて。その頃は全然彼氏とかではなくて、音楽仲間でぞろっと来てたの。
大竹:茨城に南関東から…
与儀:「お金かからないらしいぞ」って。旅行ですよ。まだその頃TXがなくて、取手から電車で、楽器背負ってトコトコ来るの(笑)
大竹:(笑)どれくらいその期間があったんですか?
与儀:4〜5年あったんじゃないですかね。
大竹:じゃあ結構、県西エリアに外部の人として関わった期間があったんですね。
与儀:割と、こう、結婚してからハードに「ランディング」した訳じゃなくて、するーっと入ってきた。

2. 旦那様との馴れ初め…

大竹:何となく県西エリアに知り合いができ始めた頃に、旦那様とお付き合いに発展して…
与儀:で、そのあと一回別れて…

大竹:え、あれ?そうなんですか?!
与儀:そりゃそうだよ!じゃあ、理由を話すけど(笑)デートで砂沼にきたの。連れてこられたの。更によりによって北側に。今の球場とかがある辺りだと思うんだけど、今考えれば。その後、ジャスコに連れてかれて…「こりゃぁ、ねぇわ。」と。
大竹:プラン的に「ねぇわ。」となったんですね(笑)。何で当時そのプランになったんだろうな…。
与儀:「俺が子供の頃釣りしてた場所だ。」とか。彼には彼なりの砂沼への親しみがあって。
大竹:旦那様は案内したかったんでしょうね。
与儀:今でも、砂沼にヘラブナ釣りのおじさまとかいるじゃない。ああいう感じの若者が、たまたま東京の女の子つれてきちゃったって感じですよね。今考えれば(笑)
大竹:当時の与儀さんの服装って、今みたいにアウトドアウェアとかジーパンって感じではなくて、コンサバって感じだったんですか?
与儀:いや、コンサバではないですね。もうちょっとエスニックな感じだったかな、「チチカカ」が歩いているみたいな(笑)でも、いくらデートプランが「アウトドア」といっても、ちょっとセンスが違うかな、って感じて。
大竹:それで別れちゃったんですね。
与儀:もうちょっと真面目な話をすれば…正直言っちゃうとこの辺に仕事もないし、普通に考えて、就職して間もなかったから、やりたいことバンバン出てくるような歳だったので、それで「この辺はないかな」と。
大竹:未来が思い描けなかったんですね。
与儀:描けなかった、全然思い描けなかった。
大竹:それが17、18年前くらい?
与儀:いや、それはもっと、25年くらい前。
大竹:そうなんですか、じゃあ本当に石下に通い始めた頃?
与儀:相手は2つ年上だから、当時27、8歳とかじゃない?そうすると、丁度結婚したくなる年で。こっちはまだ卒業したばっかりで働き始めて面白くなってきちゃった頃って、タイミングずれるじゃないですか。
大竹:それでデートで、砂沼とジャスコを見せられちゃったら…
与儀:「なんか違うなぁ」っていう(笑)。

3. 初の地方転勤で地方の魅力を見出す

大竹:それでも石下には通ってたんですよね?
与儀:いや、その後私は転勤で九州に行っちゃってて、関東そのものにいなかったの。
大竹:へぇ、じゃあ戻ってから石下に通ってた?
与儀:いや、間が空いてるの。20代の前半に石下に通って、20代の後半がずっとこっちにいなくて、30代手前でこっちに帰ってきて、で、結婚している感じ。
大竹:じゃあ、戻ってきてまた付き合い始めたんですか。
与儀:なんか、初めてその時転勤で地方に住んだのね。地方って言ったって、福岡だから地方ではないんだけど。自分の中では「地方」。東京から初めて離れて。それで、「あぁ、結構いいんだな」って思って。働くのも、生活するのも、程々で「楽だなぁ。」と思って。あと、周りに結婚した友達がいっぱいできていて、20代後半って。
大竹:擦り込み(笑)
与儀:そうそう、隣の芝生が青く見えた(笑)
大竹:音楽仲間として会っているうちに、「じゃあ、より戻すか。」みたいな感じ?
与儀:そうそう、そんな感じ。
大竹:旦那様、一途ですね。
与儀:旦那は「結婚したい人」だったから。私はあんまり家庭が向いていなくて。見た目逆なんだけど、相手の方が家庭的かもしれない。
大竹:4、5年待ってらっしゃったってことですものね。凄いですね。
与儀:相手もモテたら違ったんじゃないでしょうか(笑)
大竹:そんなことないでしょう(笑)ところでこの話って載せて良いですか?
与儀:いいですよ(笑)使えるかわからないけど。

4. きっかけは「面白そうだった」から

大竹:ご結婚されてから、他の活動を始めたんですか?
与儀:そうですね。結婚してから、地元には根付いてなくて。仕事と、介護があったので。
大竹:介護。
与儀:そう、義理の父親が、結婚して割とすぐ倒れちゃって。結婚したばっかりの時は取手に住んでいたんですよ。アパートを借りて。それで東京に通えてたの。それで義理の父が倒れちゃって。義理の母一人だと、母も共倒れになっちゃったらもっとまずいことになるので、長男だから「じゃあ、実家行くか」って引っ越したんですよ。で、その時に、でもまぁ、仕事はやめられなかったので。介護と仕事でいっぱいいっぱいだったから、全然地元のことに首突っ込める余裕がなくて。こっちも結構、精神的に参ったこともあったので。
大竹:…そうですよね。
与儀:だから、実際地元に入り始めたのは3高入ってからですよ。
大竹:ああ、そうなんですか!
与儀:矢中の杜は、なんかマーケットか何かにふらーっと行って。「良いところだなぁ。」と思って。話をしたときにメンバーの人たちとも話があったので。何となく手伝い始めたらそのまま居ついた、みたいな感じでした。
大竹:3高に入る数年前?
与儀:1年、2年しか差がないんじゃないかな。
大竹:介護が落ち着いてから、外の活動に時間が割ける様になった頃、てことですね。その頃に「ワークショップ(WS)参加しませんか?」というお知らせを見たんですね。
与儀:でもあんまり内容、この間も話した様に、当時の頃を覚えてなくて(笑)「お知らせ版」を見たのは覚えているんですけど…。
大竹:他の皆さんにも聞きましたけど、WSに参加したのは「面白そうだったから」って話で、意外に皆覚えてないんですよね(笑)

大竹:何でWSの後も、設立にまで関わったんですか?
与儀:WS自体が面白かったんじゃないですかね。
大竹:渡先生?(*当時のWSのアドバイザーと、3高の顧問を務める筑波大学芸術系の渡和由准教授)
与儀:渡先生もそうなんだけど、全体的に面白かったんですよね。仕事で、どちらかというとWSはやったりする側で。あんなに若い子が来ているとか、女の人が来ている和気藹々とした雰囲気では大概ないので、私が行っていたところは。もうちょっと政策的な話というか、間違っても楽しくはない(笑)。
大竹:かっちりした雰囲気ですね。
与儀:提言書作る、みたいなかんじですね。でも、あの時って、女子高生、女の子たちが、「演劇をやりたい」とか「ステージをやりたい」とか「足湯をやりたい」とか(笑)、「寝っ転がって本を読みたい」とか。すごく身体感覚に近いし、夢があったので、そういう話が楽しかったんじゃないかな。新鮮だったのもあるし。
大竹:同じ分野の仕事でWSを色々やってらっしゃったからこそ、「ゆるくて面白いな。」て感じだったんですかね。
与儀:そうそう。それから何となく、ずるずる居る感じ。あとは、知り合いが増えてきちゃったじゃないですか、それで。
大竹:ああ、じゃあそれまでは、本当に下妻市内の方とは知り合ってなかったんですね。
与儀:参加者、誰も知らないですもん。
大竹:知らないところに飛び込むって、怖くなかったですか?
与儀:そういうのも考えてなかった。

与儀:3高のWSに参加するちょっと前に、別のWSにも参加していたんですけど、あんまり楽しめなくて。「これはKJ法ね」とか、正に仕事でやっていることだから、WSの手の内が全部読めてしまう、っていう(笑)。
大竹:仕事でやってらっしゃると余計にそうでしょうね。
与儀:WSの進め方ももどかしく感じてしまっていたし、1年か2年か任期があって、月1ぐらいで話し合っていたけど「あ、提言書出して、これ終わりだな。」と。ゴールが見えたら、途中で行きたくなくなっちゃって。それからすると、3高のWSの方が圧倒的に面白くて。
大竹:途中から、実際に色々作る方向に活動内容が変わっていきましたしね。
与儀:それもあるし、いろんな人がいて、いろんなちっちゃい得意なことがあって。それでご飯は食べていけないんだろうけど、それで集まってワイワイやってるのが良いな、と思って。あんまり、難しいこと考えてなく、ただ楽しかったからだと思います。

5. 無理にまとめず、具体的な形や目標を「外していく」

大竹:3高で活動している目的、目標は何ですか?
与儀:目的、目標…。もしかしたら最初の頃の方が「まちづくり」とか難しく考えていたかもしれないですね。でも、実際には、あんまりそこに「目的」とか「目標」とか言っていても、みんな漠然と同じ様なことを考えていて、「楽しく暮らし易ければ良い」とか。それで「サードプレイス」とか何とか渡先生からの話もあって。でも、それって何となくイメージ的にモヤッとしたところは共通で、共有はできていたと思うので、あえてそこを言葉でまとめるのとか、手法でまとめるのもどうなのかな、と思って、途中からそれを外し始めた形です。
大竹:なるほど。今、5年目入りましたけど、年を追うごとに?
与儀:どちらかというと私は、「外していく」感じでしたね、そういうのを。
大竹:最初の方が「このために、これをしよう。」みたいなのを強かった?
与儀:もうちょっと計画的だったかも(笑)。最初、「酒楽の宴」をやり始めたのも、知り合いがあんまりいなかったっていうのがあって、個人的な目的もあったけども、周りの様子を見ていると、地元だからこその「縛り、しがらみ」があるのかなと気づいて。そういうのを一回ほぐしてから、新しく再生した方が、面白いことになるんじゃないか、と思って。
大竹:皆さんよく「与儀ちゃん、与儀ちゃん」って相談されていますけど、それは、WSや3高、Shishi♡maiの段階を通して、関係性が出来上がって行った、ってことですかね。
与儀:そうそう。繰り返すことで、いろんなことが洗い出されてきて。最初の一年ぐらいは洗い出されていくものをずっと眺めている感じはありましたね。「そっか、そんなちっちゃいことが障害になるのか」とかね。そういうのをずっと、最初の一年ぐらいは眺めていたと思います。
大竹:では、「酒楽」を始める前からポロポロと聞き齧っていたことを、もう少し俯瞰してみるために、情報収集するための酒場を作ったんですね。
与儀:そうそう。もちろん自分が飲みたいのもあるんだけど(笑)
大竹:なるほどなぁ。

与儀:あと、大きなイベントは市内であるんだけど、継続している人はいないな、と思って。ちょっと違う形で…。私は基本的に、作業とか一緒にしながら話しているのが好きなんですよ。会議じゃ無くて。
大竹:図面描きながらとか、落書きしながらとか?(笑)
与儀:落書きしながらとか(笑)、トンカチ持ちながらとか、そういうのが結構好きで。案外そういう中から次への話をしていたりするので。木を植えているとかね。そういう中で、そこで自分と以外でも話し合っていて、そこから、こうぽろっと次に進む人いるじゃないですか。スピンオフ的に。ああいうのが生まれるのが好きなの。そういう場だったら、正直お酒でも、ガーデニングでも、DIYでも実は何でも良かったりして。じゃないと生まれないんじゃないかな、と思って。多分そういう場を作りたかっただけだと思う。
大竹:会議って感じじゃ無くて、なんかやりながら、みんながぽろっと話せる、みたいな。
与儀:もちろんそこで議題に上がっている「デッキができる」とか、庭ができるとかっていうのはあるんだけど。それは一応もちろん達成するんだけど、それ以外のところで次の話してたり、種が撒けている。
大竹:確かに。私、これは最初、結構びっくりしたことなんですが、WSの場でも、みんながめいめい隣の人と話を進めたりしていて、でも一応意思疎通は全体でできているという(笑)。
与儀:それは下妻、あるかもしれないね(笑)。でもちゃんと聞いてて、横道も出来上がってる(笑)。そういうきっかけがあれば、まちづくりとか難しく考えなくても、良いんじゃないのかな、と。
大竹:じゃあ「酒楽」のお酒が入っていないのが、「スターティング・ラボ」ってことですか?
与儀:うん、スタラボとか、DIYをあっちゃこっちゃでやってるのもそういうことだと思う。
大竹:ゴミ拾いも?「サンタでゴミ拾い」もやってましたよね。
与儀:うん、だって、ゴミ拾いの時だってみんな関係ないことやってたものね。
大竹:私は行けなかったんですけど、ゴミ拾って練り歩いただけではない?
与儀:ゴミ拾って、私は「格好良いなぁ」という建物の写真を撮ってて。それをfacebookかなんかであげてたら、「こっちにもあります」「あっちにもあります」ってダイレクトメッセージに送ってこられてて(笑)。「あっち行った方がいいとか」、いろんなところで変なスピンオフが起きている、目的以外の。そういうので良いんじゃないかな。

6. 「共有できない」当時の悩み

大竹:与儀さんは情報収集も目的にあったとは思うんですけど、それで結構大変なこともあったじゃないですか。「とりあえず、与儀さんに聞けば良いか」みたいな。折り合いつけるの大変じゃないですか?面倒くさいことになっちゃったなとか。
与儀:たまにある(笑)けど。でも、慣れてきちゃったのも慣れてきちゃったし。3高に関して言えば、この間、大竹ちゃんが出してきた組織図とか、フローだとか、ああいうのを出してくれたところで、「ああ、よかったな」と思いました。私が当時抱えていた課題は解決するだろうな、と。そういう相談先が3高ではなかったこともあって、一人で考えざるを得なくなっちゃったところが、キツかったと思うんです。
大竹:辛かった当時は、相談先や相手が、明確な相談相手が与儀さんの中でなかった?家守メンバーとかも?
与儀:家守メンバーとも当時はそんなに話してた頃ではないからなぁ。
大竹:そうですか!
与儀:意外に、皆さんが思ってらっしゃるほど、家守やる前は、そんなに話してたこともなかったと思いますよ、つながってそうに見えて。
大竹:じゃあ、結構本当に一人で悩まれてたんですね…
与儀:うん、例えば、人間関係のことを相談されたとして、あんまりそれを誰かに言えるものでもないですよね。
大竹:個人的に相談受けたものですものね。
与儀:そう、個人的に言われたものを、他の副会長とか、会長に話して良いか、っていうと…。3高の体制として言われていることならできるけども、あんまりその手の相談ってそうでもないことが多くて。そういうことに関しては、3高の人に相談したからって答えは出ないんじゃないか、と思ってしまうと、あんまり言えない感じもあって。
大竹:もやもやも解消しづらかったでしょうね。
与儀:そこはね。
大竹:最初の1、2年の頃かな。

7. 「固まらない」組織づくりを考える

与儀:そうそう。それで、3年目にむけて、一回役員改選するっていう時に、本当はその時点で少し入れ替えた方が良いんじゃないかと思ったんだけど。「入れ替えるったって、誰に…?」ってなって。これはちょっと無理だろうなぁ。と。でも、あえて、もう4年目終わるっていう時に、「入れ替えた方が良い」って言わせてもらったんだよね。役員をあんまり長々と続けているって、3高に限らずあんまり良くないな、と思っていて。せめて半分は入れ替えて、新しい意見を入れていかないと、「固まっちゃうな」と思って。で、ふっと周りを見ると、結構若い子が入ってきてたから。じゃあ今やらないと、とということで、少しずつ回してもらって。何にしても変えれば問題は出るとは思うけど、修正しながら、組織自体が劣化しない、古くなっちゃわないやり方を出せる団体ではいたいな。
大竹:それは「固まっちゃうな」というのは経験則で?
与儀:経験則だと思います。市内にもいっぱい団体さんがあって、他のところもいろいろあるけど、やっぱり「良いな」と思うところは固まってないですよね。固定メンバーになると、どうしても排他的になっちゃうから。それは、多分地方の一番辛いところだと思っていて。それ以外の考え方を持っている人が入ってくると「いや違うだろう」と排除していく。それで移住しても嫌な感じになっちゃうとか…。私は外嫁で来たけど、大体「嫌だな」って感じた部分って慣習の部分だったから。3高ってなんか知らないけど、たまたま、外から来た人多かったんだよね。
大竹:そうですね。中の出身であっても外の経験が多い人とか。
与儀:そうそう、そういう人が多かったので。柔軟な人が多いのに、それはそれで変に固まっちゃうと、また代替わりしないで組織ごと高齢化していく様になっちゃうと、それだけで若い人がいなくなっちゃうのかな、というのは避けたかった。
大竹:「固まっちゃう」のを避けたかったのは、仕事で見てきた経験もあるし、ご自身が嫁いで来られた時の実経験もあるしってことですか。
与儀:そうそう。それは多分、結構住み辛いからね。
大竹:良い団体を見てきた経験もあったから、目指すべき方向がわかったって感じですかね。
与儀:会社とか見ていてもそうですけど、組織全般かな。やっぱり、連綿と繋がるところって少しずつ時代に合わせて変わっていくし、「先輩が絶対」ってそんなんでもないというか。それは見習っておきたいな、と思ったんですよ。御隠居さんは御隠居さんで楽しくやっていて良いと思うし。別に、若い人には聞かれたら答えたら良いんじゃないかな?とかね。何と無くそんな感じ。

大竹:大変だけど続けられた理由は「できそう」だから?
与儀:うん、「できそう」だから。あとはね、3高のことが好きなんだよ。
大竹:居場所になってる?
与儀:うん、自分自身の居場所にもなってるし、年取ったときにも安心感みたいな(笑)。見ていてほっとするじゃん、好きな人がわちゃわちゃやってるの見るとさ「またなんか好きなことやってんなぁ」って。
大竹:安心できるスポットが、Shishi♡maiも含めて、いろいろできたってことですね。
与儀:Shishi♡maiなんか、女の人はガンガン行っちゃうからね。「ああ、元気だなぁ」って(笑)。
大竹:私も、「元気だなぁ」って思います(笑)。本当に皆さん働いたり、子育てしたりする中で、よく気力があるなって。どうやってるんだろう。
与儀:私もそう思うよ。どういう1日のスケジュールですか?って聞きたくなる(笑)。それぞれ、生活で大変だったりはあるんだろうけど、とりあえず楽しそうな時間があるじゃない。ああいうのって見ていると安心するよね。

8. 見透かされる「腹の決め方」

大竹:私も4年前だと、私自身も何の立場で拘れば良いかわからなかったので、下妻の人たちを警戒していたのですが、今は結果、市民になっているから、割と腹が決まって、変わったな、と自覚があります。
与儀:地元に入るって、腹をどれくらい括ってるかっていうのを、すごい小さいところですごい見透かされる怖さはありますよね。
大竹:あります。
与儀:なんで3高だけじゃなくて家守も始めたかというと、やっぱりお金を出さない人は信用されないというところもあって。一応出資みたいなことをするわけですけど、その時点で、事業者さんが話をしてくれる様になったんですよ。そこが、3高と家守の大きな違いですね。
大竹:3高が事業者的な立場を担える組織かというと、それはまだ、そこまでいってないかな、と。
与儀:前はそう思ってたんだけど、そこを3高が担う/担わないは、一回置いておいて良いのかな、と。3高にそれを望むと、今の良いところがなくなってしまう気がして、それで別のものを作りたかった、生かしておきたかったの、3高を、潰すのは簡単じゃない?
大竹:そうですね。

9. 「しがらみ」に囚われず、価値観の違いを「諦める」

大竹:色々手探りの中、周りから「不十分」と言われることもあったと思いますけど、初期の役員の皆さんは、よく耐えてくださったなと思います。
与儀:こう言うの話していたら思い出すけど、忘れちゃうからね(笑)。
大竹:私はWS終わってから、間接的な関わり方になっちゃったから、あんまり大変だった部分は見えてないんですよね。
与儀:私は外から来てるから、何かトラブルが起きても、その場限りで済むんだけど、地元の人からすると、人間関係とか、そうもいかないこともあるよね。それを全部気にしすぎてたら何にも進められなくなっちゃうから、例えば、噂話は一切聞かない様にした、というか。
大竹:大事ですね。
与儀:今、目の前で喋ってくれているこの人しか信じない。この人の言っていることしか信じない、って言う風に割り切っちゃったら、すごい楽。噂は信じないで、なかったことにして。今目の前にいるこの人を私が信じられるかどうかだけにしたら、すごい楽になっちゃった。
大竹:それはこの4、5年の中で?
与儀:うん、じゃないと、その「しがらみ」に巻き込まれちゃうと、何にも動けなくなっちゃう。
大竹:なんかあれですね、「小学校の転校生」の立ち位置ですね。わかります。すごくわかります(笑)。
与儀:だから、こないだの大竹ちゃんの地域おこしの報告聞いてて「ああ〜!」って思った。(youtubeで公開中
大竹:与儀さんの立ち位置みたいなの?
与儀:うん。やっぱり、転校とかしていて、何が基準っていうのがないんだよね。その都度都度変わっていくから、「ここの常識」が「あそこの常識」ではないって体でわかっていくじゃない。
大竹:「それぞれで価値観が違う」というのを心底体感するには、自分の価値観が、いろんな価値観の中に晒されて、もみくちゃにされる経験が必要だなぁ、と思います。自分の価値観が沢山ある中の一つだと感じていたら、他の人の全然違う価値観も静観できるというか。
与儀:そうだね。その辺の鼻っ柱を、私も福岡に行ってベシャって折られた感じがするもんね。
大竹:その、与儀さんだと「南関東・横浜県出身」の?(笑)
与儀:そうそう(笑)、横浜県、学校は東京出身の(笑)。
大竹:(笑)。
与儀:自分にとっての地方が下妻で3カ所目なのね。仕事では役所の人とだけ話すことが多かったけど、それだけでも価値観って土地土地によって違うってわかるから。そこを知った上での、下妻だから、「ああ、こんな感じかぁ」ていう、どっかに「諦め」もあるんだと思う。

10. 人脈をつくって「やりたいこと」の原経験

大竹:その中でも、与儀さん自身でできそうなことがありそう、みたいなのが見えたから、やれてるっていうのはありますか?
与儀:私の中でやれそうって言うよりも、やれる仲間ができてきたからじゃないですか。一人でできる、なんて思ってなくて、自分に何が足りないかなんてことは、3高に入る前にはっきりわかっていたので。やりたいことがあったんだけど、どうやっても人脈がないなと。アイディアも結構出せる方がと思うんだけど。一人でコツコツ職人的にやれることならやるんだけど、街とか人と関わりたいとなる、人脈がやっぱり必要で。でも転々としちゃってるから、人脈がどっかに根付いたものがない、っていうのが一番これは痛手だなと。その痛手があるから、動いてるんじゃないですか?人に会わなきゃって。
大竹:介護に一旦区切りがついて、ふつふつ「やりたいなぁ」という気持ちが湧いてきた、みたいな?
与儀:最近考えていることは、自分がちゃんと根っこが欲しかったんだと思うよ。故郷みたいなのがなくて。それが欲しかったんだと思う。
大竹:居場所?
与儀:それが欲しかったんじゃないかな。子供の頃に、大宮ってところに住んでいて、埼玉で一番でかいくらいの神社があって、そこの土地の子だったの。周りもいわゆる旧家さんみたいなところで。大体もう小学校に入る時に、「あ、〇〇さん家の詠子ちゃんか!」って、あるじゃない?ていう感じで何も苦労しなかったのね。お祭りとかいうと、まず一番に何かやらせてもらえる、特権的な子、いるじゃない?そんな感じだったの。ところが、親の都合で横浜に引っ越さないといけなくて、引っ越したら、立場が逆になったの。もともと地元の人のつながりがすごい強いところで、そこに転校生で入っていったもんだから、そこの住所に住んでいても、お祭りとかがあっても、そこに入っていけないのね。もともとの輪の中に。普段は同じクラスとかで、普通に一緒にやってるんだけど、いざって時は、絶対外の子になっちゃうの。それまでの扱いから、180度違って、結構寂しかったの。お祭り好きだったのに。だから「入れないなぁ」って。で、そこから、転々と引っ越したり何だりしていくんだけど、どこにも根っこがない。器用にはなるの。いろんな土地の常識に合わせていく器用さはあるんだけど、結構それって寂しくて。家買うときも、変な話もうちょっと場所はいろんな所選べたんだけど、つくばに住もうかな、とか、つくば〜守谷くらいまででさがしてて。どうしようかな、と。「でもどうせ茨城に住まないといけないんだったら、もっと茨城然としたところに住もう!」と。
大竹:チャレンジャー(笑)。
与儀:それで田んぼの周りを選んだら、地盤が弱かった(笑)。でも、家買ったところで腹括ったのね、「ああ、もうちゃんと下妻に住もう」って。

11. 田舎での生存戦略

大竹:家を買ったのは、何年前?
与儀:えっと、2011年だから…
大竹:ああ、WS始まる数年前なんですね。
与儀:そうそう。で、物理的に下妻に家買っちゃったし。人生で2軒も家買えないから。じゃあ次に、「人だな」と思って。震災の時に家崩れちゃって、直してもらったりしたんだけど。下妻に住んでいて下妻に知り合いがいないというのが、「どういうことか」が身に染みてわかった。助けてくれたのは結局バンドの人たちで、バンドの人たちが助けてくれたんだけど。瓦ひとつ頼めないのよ、連絡先が分からなくて。
大竹:どこに頼めば…ってことですね。
与儀:タウンページだとか、ネットだとか、所謂公開された情報でしか繋がれない。だけど、実際にああいう時って、「〇〇さんの知り合い」とかで、瓦が来る順番とかもどんどん変わっていっちゃうの。それが田舎で、その輪の中には一切入れない。これは「歳とった時に危険だな」と思って。家買っただけでは済まない。
大竹:根付くためには人脈が必要だ、と。なるほど。
与儀:「こりゃあ、将来独居老人だなぁ」と、本気で思うわけさ。
大竹:誰も気づかない可能性がありますね。「あそこって空き家なんだっけ?」みたいな話になって…
与儀:怖いよね。
大竹:社会派ホラーですよね。
与儀:社会派ホラー(笑)
大竹:貯蓄額はあるから、住民税とかは正しく引き落とされてて…
与儀:ガス代も、基本料金は引き落とされていく…みたいな(笑)。こうして活動するのは、意外と個人的な理由かもしれない。

12. 「下妻の唯一の不満は起伏がない所」

大竹:結局そうじゃないと動かないですよね、皆。個人的な強い欲求がないと。居場所を作るためには、いわゆる県南部の交流人口の多い、流動性の高い都市部ではなくて、田舎で根をはってみよう、みたいなで決定されて。下妻以外の場所で、今は住みたいと思いますか?
与儀:あー、住むのは下妻が良いかな。別荘は欲しいと思うけど。この間もfacebookに書いたけど、美穂村か大和村を狙ってます。
大竹:美穂村なら馬が持てる(笑)。大和村はどこらへんですか?
与儀:桜川の方。どっちにしても、あっちの山の方。加波山の方。
大竹:山か湖か。
与儀:下妻の唯一の不満は起伏がない所。
大竹:ええー!何で?歩くのが?見るのが?
与儀:見るのも。
大竹:山が一個じゃ足りないと(笑)
与儀:複雑に尾根がぐにゃぐにゃするのが、好きなの。
大竹:八郷は?
与儀:八郷も考えたことある。八郷は真面目に住もうかな、と思ったんだけど、ちょっとあまりにも仕事ができないかな…と。
大竹:ムサビ出身の若い面白い人たちいますよね。
与儀:茅葺の子とかね。でも意外と下妻から八郷って遠いんだよねぇ。結局ね、作っている人がなんかいっぱいいるところが好きなの。景観的な話もあるんだけど、作っている人がいるところが好きで。
大竹:活動している人たち含めて?
与儀:活動している人たちもそうだけど、トンテン、カンテン、実際にもの作っている人。そういう人ほど、困難な状況になっても他力本願にならなくて強いよな、と。
大竹:なるほど。
与儀:見ていて気持ちいいよね。お金なくても作れる人って、捻り出してでもとりあえず作るから。そういう「タフさ」が、なんかみていて安心なんだよね、「あぁ、この人は、死なないだろうな、病まないだろうな」っていう。
大竹:人間的な強さか。それは都市部とは違うってかんじですか?
与儀:いや、都市部とか、ではないよね。都市部でも作っている人は作っているし。あんまりそれは土地に関係ないんじゃないかな。
大竹:そういうネットワークに自分がアクセスできるかどうか。
与儀:どこにいてもやる人はやるし、やらない人はやらないだろうし。最初下妻に嫁に来たばっかりの頃は、そういう人が見えてなくて、そこが辛かったんだよね。なんか作ったりする話ができる人がいなくて。だけど3高入ったら、結構みんないろいろやるじゃない。本業と全然違うけど、さらっと結構なことやってのけちゃう人とか(笑)。
大竹:多才ですよね。
与儀:ああいうのみてると、なんか嬉しいもんね、「ああ、こんな人いるんだ」って。
大竹:じゃあ下妻には与儀さん自身が好きなものづくりや、「根付く」のができてるってかんじてるんですね。
与儀:できてるって感じるから、組織も残しておきたいし、残すためにどうするかな、って考えられるし。潰れちゃったらもったいないなぁ、って。
大竹:本当にこの4、5年のことだったんですね。前々からそういった課題意識を持っていた方だったのかな、と思いきや。一度アンケートとった時も「面白かった」しか書いてなくて(笑)。「面白いだけでこんなに大変なの続けられるわけないだろう!」って思ったんですけど、でも、本当にそうだったんだなぁ。って。
与儀:そう、大変なことは、あるよ。そりゃあ、あるけど、それ以上に面白いんじゃない。

(終)


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