【往復書簡】3通目(ジャッキーさん)

複数の人が同じ場にいるとき、「一対一の関係」だけでやろうとすると、けっこう大変なのです。しかし多くの人は「一対一の関係」に慣れていて、それでやっているのが一番楽なのです。だからできるだけそれを選びたいのです。
「一対一の関係」だけをやっていれば、「考える」ということは最小限で済みます。同時に意識する相手が二人、三人と増えていくと、「考える」ことが増えていきます。それは面倒くさいし、難しいことです。

「一対一の関係」についての話を読みながら、それってなんだか将棋や囲碁の対局に似ているなと思いました。別に毎回勝敗を決める訳ではないですが、発言と反応を繰り返しながらなんとなく良い方向に持っていく共同作業。このお手紙のやりとりだってまさにそんな感じです。いや、お手紙に限らずそもそも会話とはそういう性質のものなのかもしれません。

「間(ま)に自分が潰される」

これは先日とある学生のお客様から聞いた話です。ここでの「間」とはつまり「沈黙」のことで、それに耐えられず会話の途中で頭が真っ白になることがあると言います。また似たような悩みを持たれている別の方は、話の途中で次の話題が浮かばずに目の前が真っ暗になることがあると言われていました。こういう話は度々話題にあがります。人によって白か黒かの違いはあれど、これは一対一の会話において、特に知らない人を相手にした場合によく起こりうることのようです。

誰かと話す時には沢山のことを「考える」必要があります。この話に興味を持ってもらえるだろうか。相手が話したいことはなんだろうか。そもそも今話をしたいのだろうか。それこそ間に潰されないためにはどうすれば良いのか。など挙げ出すとキリはありません。

相手が知らない人であれば(次の手が読めずに)考えることは増える。考えることが増えると面倒も増すし、その中で最善手を常に出し続けることは当然むずかしい。見知った人との会話は(次の手が想像できるから)あまり考えなくても良くて楽。そもそも会話をしなければ考える必要もないから楽。と、楽へ楽へと行きたくなる気持ちもわからないでもありません。その先には「間に潰される未来」が待っていて、危ないなぁとは思いますが。

じゃあどうすればってやっぱり場数を踏んで慣れるしかなくて。それもただ当たって砕けるだけでなく、ちゃんと砕けないよう考えながら会話に臨む必要がある。相手の反応を予測して違ったら微調整。それを地道に繰り返す中で、ある程度会話の「定石」を掴んでいくしかない。そうやって真っ白になったり真っ黒になったりする未来を回避していれば、会話も自ずと続いていくはずです。

さて、「一対一の会話」だけでもこれだけ大変なんですが、さらにそれが複数人相手になると面倒さが跳ね上がります。その組み合わせの数だけ将棋盤が増えてテーブルはごっちゃごちゃ。いや、もしかしたら一方ではオセロをやっているかもしれないし、反対側ではチェスが始まってるかもしれない。もうそんなよくわからない状況が不特定多数が居合わせた場では当たり前のように起こっています。

そう考えると普段お店でなにげなく複数の知らない方と空間を共有している人は、知らずのうちにすごく面倒でむずかしいことをやっている。当然それを続けていけば力はつきます。道中の面倒や難しさをなるべく感じさせないようにするのが店主の勤めだし、できればおんなじゲーム(将棋なら将棋)で遊んでもらえるように持っていくのが我々の腕の見せ所ですね。僕はまだその辺が未熟で、いつだって異種格闘技みたいな多面差しをしています。面白いので良いですが、一方で「一対一の関係」に限界があることもひしひしと感じています。

そのために必要だと僕が思うのは、「一対一の関係」ではなくて、さまざまな関係のあり方を含んだ「場の関係」というようなものです。それは、その場にいる人たちがそれぞれ考えて、みんなで少しずつ調整しながらバランスを保っていこうという気持ちによって成立するものです。

「一対一の関係」が将棋や囲碁だとするならば、「場の関係」は人生ゲームやモノポリーなどのボードゲームでしょうか。人の数だけ盤を出す必要もなく、一つあればみんなで遊べる。ボードゲームと違うのは勝敗を決めるわけではないから、いつ入ってもいつ出ても大丈夫。そう考えると、特にお店という環境下においては物凄く理想的な気がしますね。

そういった「場の関係」には「コンセプトしっかり型」と「成熟型」の二種類があると、この数日間考えていました。

前者は文字通りその場のコンセプトが明確に決まっていて、それがわかりやすく提示されている場所。その場所ではみんなこのボードゲームで遊びますよというのがはっきり伝えられていて、場に加わる側もイメージがしやすい。例えば「メイド喫茶」などがそう。行く前からなんとなくその場での所作が想像できる。あとはうちの店が掲げている「ブックバー」もこちらに分類されるでしょう。

もちろん入ってくる側からしたら、事前にわかるのは安心材料だと思います。しかも興味関心が強い人しか入ってこないから自然とフィルタリングされて、ある程度「一対一の関係」も「場の関係」も結びやすい。こう書くと良いことばかりのようですが、コンセプトでフィルターをかけてしまうと予想外の出会いが起こる可能性はがくんと減ってしまいます。これはよくありません。

もう一つ、本来ひつじがが目指したい「場の関係」が「円熟型」のそれです。それです、と言ってもわかりにくいですが、コンセプトに頼らずその場を構成している人々によって空気感が作られる状態です。なんとも夢見がちな話ですが、懲りずに引き続き理想論を展開します。

ボードゲームを使って喩えますが、空間の中に山ほど(無限)のゲームがおいてあって、その中のどれで遊びかは都度その場を構成している人によって異なる状態。これが僕のいう「円熟型」です。それをするためには店主だけでなく、その場にいる全員がいくつものゲームのルールを把握していく必要があるし、未知のゲームでも積極的に楽しもうとする好奇心を持っていなければ成立しない。

仮にそれが成立したら、前者のようにコンセプトでフィルターをかける必要がなくなり、意外な出会いの確率がドンと増加します。話題もその場を構成している人たちによって様変わりするだろうから、(頭は使うかもしれないけど)新鮮で楽しい。世代も性別も関係なく、ただ「考える」ことで人はゆるく繋がれるような気がして、ひつじがはそちら側を目指さねばと思っています。そしてこれは勘違いかもしれませんが、夜学バーさんにも似たような匂いを感じた次第です。

今はまだお店が認知されていないので、藁にもすがる思いで「ブックバー」というコンセプトにお世話になっています。しかし、一方で本以外の入り口も丁寧に開く心は忘れずにいたい。実際には店内で絵の展示を行ったり、椅子を持ってお散歩したり、こうやって長々とお手紙を書いたりなどで様々な扉を用意していて。ただ、どの門戸から入ってもその中で「考える」ことや「学ぶ」ことは大切にしているので、行き着く場所はおそらく同じ。だからこそ今少しずつですが別々の入り口からきた人たちがひつじが店内で混じり合う機会が増えてきています。そうやって「考える」ことを前提においた人たちが集まることで自然と「場の関係」も出来上がっていくものなのでしょうか。

さて、「円熟型」という言葉を使いましたが果たしてこの表現であっているのか。そのような場を存続維持させる上で必要なことはなんなのか。もう少し「場の関係」について深掘りをしたく、ジャッキーさんのご意見も伺えると嬉しいです。

僕もシモダさんもまだ三十代の前半(僕はぎりぎりですがここでは前半と強弁します!)なので、まだまだ動けます。動くというのは、簡単にいえば友達を作ること。お店で人を待つことが何より大切なのは言うまでもありませんが、こちらもちゃんと外に出て、土地や分野にこだわらず素敵な友達を探し歩いていく。それはインターネット上でもいいですし、本の中にだっているかもしれません。

そう、ただ扉を開いて待っていても人は来てくれません。こちらから動いて、友達を作ることは本当に大切だと思います。現にこのお手紙だって、偶然夜学バーさんに行かなければ始まらなかったかもしれないし、その前に偶然BarBookshelffさんに言ってなかったらなかったかもしれない。動かなければ何も始まらないし、動けば何かが始まる。ひつじがは今はまだ一人でやっているのでお店を閉めるリスクはあるものの、そのリスクを取ってでも外に出て、自分の中に新鮮な風を取り込まなければなあと思っています。澱まないように、滞らないように。

その上で日々発生する様々なチャンスに対して、どうすればスピード感を持って取り組めるか。ね、本当にどうすればいいんでしょうか。喫緊かつ永遠の課題です。僕も日頃の行動がはやい方ではなく、むしろ油断するとすぐのろのろしてしまうので、これまでもたくさんの機会損失を目の当たりにしながらよくないなあと思いつつ、それでもやっぱりのんびりしてしまいます。よくない。

お手紙もお相手いただけるのは本当にありがたくて、おかげでサボらず思考ができる。なので、変に近道を探さずにまずはこうやって対等にお話ができる関係性を草の根でどんどん増やしていくのが良いのでしょうか。ただそうは言っても時間は有限。お店だっていつまで存続しているかは誰にも(僕にも)わかりません。綺麗事を並べている間に潰れてしまっては元も子もないので、こういう話をしながらも水面下では可及的速やかにの精神でバタ足を続けて行かねばですね。

3月庚申の日におそらくお店にお邪魔できると思います。それまでにこのやり取りを何度更新できるのか。長々と書いた締めがこんな程度の低いダジャレでいいのか悩ましいですが、ここらで筆を置かせていただきます。

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