【往復書簡】13通目(ジャッキーさん)

3月の庚申で夜学バーさんにお邪魔したのも遥か昔。長かったのか短かったのかおよそ2ヶ月周期の庚申の日が再びやってきました。

4月の頭からひつじがはおやすみしていて、すっかり昼型の生活に染まっているのですが、せっかくなので今日は起きてお返事を書いています。今はもうこの時間帯(ただいまの時刻は深夜3時過ぎ)に起きている方が珍しく、なんだか体に悪いことをしているような罪悪感に駆られています。営業再開したあと元の夜型生活に戻せるか不安でなりません。

この2ヶ月間はほぼほぼおうちでのんびりしていたのでお話できる近況もあまりありませんが、なんにせよ3月時点で夜学バーさんに遊びに行っててよかったなと自由な往来を制限された今あらためて強く思います。

なんとなく忙しかったり面倒臭かったりで「また今度でいっか」と思ってしまうこともありますが、その《今度》が必ずくる確証はないし、目の前からなくなって気づいてももう手遅れなんですね。なので、行きたい場所には行ける時に行け。後悔のないように行動せねばなと自戒しました。

さて、ぬるっと本題に入りますが前回ジャッキーさんのお返事でこちらの手紙にちょっと難しい一文があると着眼いただきました。見た瞬間に「バレたか…」と顔を覆いました。さすが、目の付け所がシャープですね……!

拾い上げていただいた文章は、夜学バーさんでの体験での熱量を下地にこれまでのお手紙の中でやり取りしたお話を踏まえて書きました。補足説明を端折ったので余白(解釈の余地)が多くなってしまい自分でも些か乱暴だなあと思いつつも余白を埋めると熱量が消えてしまいそうだったので、勢いのままお送りした次第です。

こちらが残した余白の部分はたとえ異なる解釈が届いてもそれはそれで面白いなとドキドキしながら待っていたのですが、ジャッキーさんからのお返事にある解釈で相違ありませんでした。あまりにも相違なさすぎて驚き、読みながら「そうです、その言葉を踏まえて話を展開しました!」といつも以上に相槌を打ちました。

そんな風にこちらの解釈を汲み取ってもらえるのも気持ちいいし、こちらの想定になかった解釈をされるのも気づきがあって楽しい。最近またあらためて余白(行間)の面白さを再認識してるのですが、一方でそのおそろしさも感じる機会が増えたような気がしています。なんでだろう、ちょっと考えてみます。

余白を埋める面白さは見えない相手の解釈を予想するところにありそうな気がします。推理に似ているのかもしれない。予想するために相手のことを想像したり、すでに出ている情報(経験)を集めて組み合わせたり、その諸々の答えが当たっていたら嬉しいし外れていたら悔しい。

ジャッキーさんが前回のお返事を書かれたときも過去のお返事(情報)を集められたり、シモダならどう考えるかをご想像いただいたり(これはしなくても経験則だけで回答できるやもしれませんが)されて書かれたものと推察していますが、お互いにそのやり取りを繰り返しながら少しずつ相手のことを「わかっていく」過程に面白みを感じるような気がします。めちゃくちゃ個人的な見解です。

とはいえ他者のことを想像したり散らばった情報を拾い集めたりするのもそう簡単じゃありません。簡単にできてたら誰でも今すぐ名探偵です。ある程度クセづけされていなければ、意識して他者の行間を埋める(解釈する)ためにはある程度の余裕が必要とされると思います。時間だったり気持ちだったり、ゆとりがなければ他者に思いを馳せることなんてまずできないでしょう。

さてそんな中で話を少し戻しますが、余白におそろしさを感じている理由についてここまで書きながらなんとなく見えてきたので、その「なんとなく」の部分を引き続き言語化していきます。

二つあって、まず一つ目。余白を解釈するためにはもろもろの余裕が必要なのですが、その余裕を持てなくなっている人が昨今の某ウイルスに関する騒動を境になんだか増えたように感じます。一側面からしか見ていないし異論はあるかもしれませんが、少なくとも僕の見ている世界はそんな風に変わりつつあります。突っ込んだ話をしているので諸方面から叩かれやしないかとハラハラしていますが、幸い(?)このお手紙を熱心に読んでくださる方はそう多くないのでこのまま本音を書かせていただきますね。閲覧数はどうすれば増えるのでしょうか……。

そして二つ目。そんなこんなで余裕がなくなる一方で、世の中には余白が増え続けている気がします。例えば今は密を避けるために様々なものがオンライン化していて、ツールを使ってWEB上で行われるのが一部ではもはや当たり前みたいになってきています。僕もどさくさに紛れてzoomに課金してしまいました。

オンライン上のやりとりも楽しいのですが、対面の飲み会や話す機会と比較するとやっぱり物足りない。その物足りなさの原因をぼんやり考えていたときに浮かんだのが、オンラインは余白が多すぎるというものでした。画面の枠外は見えないので、対面の時には見えていたそれに対してその部分がまるっと余白になる。

オンライン上の余白を打開するためにはなんて話は今回の筋道から逸れるので割愛しますが、ともかく諸々がオンライン化することで(現時点では)余白の部分が増えているし、このまま(今後も)増えていくのだろうなと思っています。

余裕がなくなって余白が増える。そうなるともう世の中はどんどん殺伐としていくでしょうし、迂闊に発言もできなくなってしまいそうです。そうならないためにもどうすればいいのか。余白が増えるのは少なくとも密解禁になるまでは避けられない流れだとして、あとは個々の想像力を高めるしかないのかなと、ひとまずこのお話を着地に向けていきます。

想像力っていったいどうやったら養われるのでしょうか。

これまでのやりとりからガラッと軌道を変えましたが、よければ引き続きお相手いただけますと幸いです。次の庚申の頃には世の中がどうなっているのか。それもまた想像しがいがありそうですね。

そうだ。zoomを使ってオンライン上でも一度お話してみませんか。ジャッキーさんとなら余白も楽しめそう。ぜひご検討くださいませ……!

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