【往復書簡】7通目(急行2号様)

拝啓 急行2号様

シモダです。

突然ですが急行さん、徒競走は得意でしたか?

時節の挨拶をすっ飛ばしての質問。冒頭から大変失礼しました。というのも、数日前に京都で大学生とお酒片手に話した内容が面白くて、一刻も早く共有したく先走ってしまいました。

その子とは過去現在未来という大きな流れでの《時間》に関する話をしていて、その中で「時間がなくて○○ができない」と言わないようにする為の方法について一緒に考えていたのですが、そこで出て来たのが道具を使って効率化(時間を捻出する)ということでした。冒頭の質問に戻りますが、例えば100m走のタイムを縮めたいとした時に、使える道具は限られてきます。あくまで身体能力を測る競技。速いからといって車で走るなんてことはできません。

一方で、様々な道具を使うことによって目的地までの時間を短縮することができます。仮に競技内容が「100m走(ただし道具の使用を認める)」ならば、人類最速記録は何秒になるでしょうか? 

実際そんな競技はありませんが、現実世界での「いつまでに〇〇したい」に関していえば、わりと『道具の使用を認める』が許されているような気がします。目標(ゴール)を決める。どんな道具が使えるか想像する。実際に使う。それだけのことに気づけば、ある程度の「時間がない」は解消できる気がします。

また気づいても道具を扱えなければ時短できないので、急行さんが書かれているように、来たるべき日に備えていかなる道具をも「うまく使いこなせるように」なっておくと良いのでしょうね。

話は変わって、意思疎通に関して。「手っ取り早い言葉で済まそうとする」のは意思疎通を目的とするのであればむしろ逆効果だと思います。「伝わったような気分」「伝えられたような気分」のように、あくまで《気分》です。相手がどうかは関係なく、自分がそう思っただけです。意思疎通したいと言いながら、自分の意思を伝える言葉は省略する。不思議だなあと度々思います。

よほど阿吽の呼吸でもない限り、今こうしてやりとりをしているように自分の思考を細かく言語化しなければ伝わらないし、しても伝わるかどうか。現にこの往復書簡も毎回伝わるかドキドキしながら書いています。

どこまでいってもそれが気分か本当かなんてわかりようがないので、ある程度で納得しなければならないでしょうし、両者の間にすれ違いが起こらなければそれで良いような気もします。とはいえそれはそれでなんだか寂しいので、気分でなく正確に伝わってほしいし、相手の発信も正確に受け取れたらと思う次第です。

そんなことをここ数日考えながら、昨日は天神で開催されている銀ソーダさんという作家さんの個展を観に伺ってきました。もともとはご一緒する予定でしたが、その節は寝坊をしてしまい申し訳ございませんでした。深く反省をしております。書簡の中で謝罪をするのもなんだか新鮮ですね。

青を基調とした抽象画を描かれる方で、これまでに合同展などでは作品を観たことがあったのですが、個展の形で眺めるのは今回が初めてでした。ちょうど昨日は日中暑さが容赦なかったのですが、それを忘れさせるぐらい涼しげな作品で、時間を忘れて見惚れてしまいました。

抽象画のことはいつまで経ってもよくわかりません。それでも昨日は作品を眺めながら「どうしてここにこの色が使われているのか?」「このタイトルがあてられているのはなぜか?」などなど色々な疑問や違和感が浮かんできて、それが物凄く面白かったのです。今までは「綺麗……」で伝わった気分になっていたのが、もう一段階深いところに潜れたような気分になりました。

疑問や違和感の裏側には意味や答えがあると思います。提示された莫大な情報量の中からそういった部分を見つけて言葉にすることや、他人の解釈を聞くことは、意思疎通する力を養う鍛錬にもなるし、邪かも知れませんが、僕はそうやって絵画を楽しむようにしています。勉強だとは思ってませんが、これもまた勉強なのでしょうか?

いただいたご質問の回答、「もっと上手く書きたいし話したい、そんなときにもっとも役立った参考書的な本」ですが、どう上手くしたいのか、その時々で異なります。自分の文章が硬い(柔らかくしたい)時はさくらももこさんや大宮エリーさんのエッセイを読むようにしていて、かつそこに年相応の男性というエッセンスを加えたいときには穂村弘さんのエッセイも加わります。

逆に文章がゆるすぎる時には夏目漱石の何でも良いので手近にある本のたまたま開いたページを読むことが多いです。文章術に関する本も読みはしますが、どう書きたいかが決まってるときにはそう書いているお手本を読むのが結局もっとも役に立つと思います。話すときもだいたい一緒です。

絵のアイデアも語彙も結局は「組み合わせ」で、言葉をコーディネートするという考えは物凄く面白いですね。それで言うと、先にあげた僕が参考にしている著者さん方は自身を際立たせるコーディネートができてるし、それを真似するのはファッション誌を参考に服を買うのと似てますね。

ジョブズの黒タートルネックのような定番化しつつ個性がある言葉を見つけるのは面白い遊びで、急行さんが書かれているような「うれしい」「たのしい」「大好き」はいわゆる白シャツみたいなもので、DREAMS COME TRUEした今となってはそれで個性を出すのは少々難しいかと。

今回の書簡もそろそろ筆を置きますが、最後にこちらから質問です。今回、銀ソーダさんの展示作品を眺めながら《青色》の奥深さを体感しました。もともと好きな色なのですが、青単体も、白や黒と混ざり合ってる感じも、何とも言えない美しさがあります。また別の作品展を見にいった際、とある作家さんの紹介に書いてあった「芸術の血は青色である」の一文に心が震えたのもつい最近です。

いつか聞こうと思っていたのですが、急行さんにとって青とはどんな色ですか?


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