【往復書簡】13通目(急行2号様)

急行2号様

先日お会いした際にもお伝えしましたが、前回のお返事、冒頭の謝罪文から本題への流れが潔すぎて楽しく読ませていただきました。これ以上ない「さっそく」をありがとうございました。更新はのんびりやりましょう。

ではさっそく、前回最後に書かれていた「無難」と「個性的」の境目についてお返事をいただいてから考えたことをつらつら連ねていきます。と、その前に先日の展示見ていただきありがとうございました。3人の展示に関する文章を寄稿しただけですが、そうは言っても飾られたものを見られるのはなんだか照れくさいですね。作家ではない自分には滅多にできない貴重な経験でした。

そもそもなんで「無難」と「個性的」は対義語みたいに扱われているんだろう。急行さんからのお返事を読んでまず思ったのがこれでした。無難は文字通り難が無い状態のことを指しているのでしょうが、だとしたら「個性的=難」になるのか。逆に「無個性=無難」なのか。どうでしょう。

この単語が形容詞としてよく使われがちなファッションを例に考えてみました。あらかじめ言っておきますが、僕は別にファッションについては詳しくも何ともない(むしろ無頓着な)ので、あらかじめそれを踏まえて読んでいただけると幸いです。

無難なファッション。連想したのは白シャツに黒スキニーのようなありきたりなもの。街中でたくさん見るような、量産型と揶揄される組み合わせ。酷い物言いですが、僕が好んで着ている服は大体こちら側に分類されます。他の人と一緒であれば「無難」と言って良いのかもしれません。こうやって見ると「無個性=無難」はそんなに違和感がありません。

では一方で個性的なファッションはどうか。珍しかったり奇抜だったり、他所で見たことない服装。いわゆる「攻め」の服装で、他に着ている人がいなさそうなものは個性的だと言えます。とすると、《同じ服装をしている人が他にいるか》という軸で個性的と無難を対義語として考えることはできそうです。あれ、最初の疑問はなんだったんだろう。

そうそう、「個性的=難」についてでした。言葉遊びみたいになっていきますが、どうぞお気になさらず。さっきの話の続きで考えますが、例えば他の人と異なる服装を選ぶのは難しいことなのか。いや確かにファッションに疎い僕にとっては間違いなく「難しい」のですが、ファッションが好きな人にしてみれば他人と違う服を選ぶことは楽しくはあっても難しいものではないような気がします。技術や修練を要するものというよりは、その人がどう向き合ってるか次第なはずなのに、どうして一概に「難」とされてしまうんでしょうか。

例えば制服などのように周りと同じであることを強要された教育のせいなのか。過去の往復書簡でも言及したような「(人と異なるものをわざわざ)探す遊び」をする人が減ったからなのか。はたまた安価な大量生産品しか選ぶ余裕がなくなったからなのか。答えが出そうにないので想像するしかないのですが、人と異なるものを選ぶことが難しいとされる理由はたくさんありそうです。

急行さんが書かれていた「無難」と「個性的」の境目には《他人との違い》という壁があって、それを越えるためには「浴びる遊び」と「探す遊び」にも共通するような「自分で考えて選ぶこと」が影響しそうだなんてことが一旦現時点で考えたことです。なお、「個性=難」についてはまだ納得しきれてません。

「無難」と「個性的」の境目は衣服の分野に限った話ではなく、急行さんがなされているような創作活動にも付きまとうものかと思います。急行さんは日頃作品を作られるときに「個性」を意識されていますか?

個展開催中で日々ご多用かと思われますが、しっかり防寒をして風邪などひかれないようご自愛くださいませ。


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