『冷たい熱帯魚』を観て、アリ・アスター監督を思い出した話

冷たい熱帯魚ポスター画像

先日、園子温監督『冷たい熱帯魚』(2010年)を鑑賞してふと気づくことがあった。観ていく内に、『ミッドサマー』(2020年)のアリ・アスター監督の作品を思い出す場面がいくつかあったのだ。
そういう風に感じたのは筆者だけかも知れないが、そう感じた理由を記しておきたい。

ミッドサマーポスター画像

園子温監督、最近の作品はそうでもないが、初期作品は特に家族がテーマに含まれている作品が多い。近親相姦が題材に含まれた『奇妙なサーカス』(2005年)、主人公がレンタル家族の一員になる『紀子の食卓』(2006年)、歪んだ父と子の関係性が描かれる『愛のむき出し』(2009年)など、そして『冷たい熱帯魚』も描かれているのは、冷め切った家族関係だ。

冷たい熱帯魚①

一方、アリ・アスター監督は、ほとんどの作品が「家族」が題材の作品となっている。この事に関しては、アリ・アスター監督自身も、インタビューで、家庭の影響を色濃く受けてると答えている(ちなみに園子温監督自身は自覚はないとの事)

ヘレディタリー①

二人の作品を思い起こして気付いたが、両者の作品はよく食卓の描写が出てくるところも共通しているといえる。両者の作品の多くに「家族」というテーマがよく含まれる。

また、両監督の作品にも共通している事だが、両者の作品は少し奇妙である。アリ・アスター監督は、『ヘレディタリー』(2018年)の時はそう感じなかったが、『ミッドサマー』とこれまでに撮った短編を観たら変な作品を撮る監督だなという印象を受けた。

アリ・アスター監督①


どちらもいわゆるテンプレ通りの作品ではないし、思わず笑ってしまうようなユーモラスさが含まれている。(ちなみに『冷たい熱帯魚』と『ミッドサマー』は男性が強制的にSEXをさせられ、その際にどちらもお尻を押されるという点で共通してたりする)

そして、面白いのは、どちらもパーソナルな物語に帰結しているという点だ。例えば、『冷たい熱帯魚』は、実際に起きた埼玉愛犬家連続殺人事件をベースにしているが、あくまでも事件はモチーフとして扱われており、終盤では家族の物語(もしくは園子温監督の人生哲学)となっている。

冷たい熱帯魚②

対して、アリ・アスター監督の『ミッドサマー』だが、スウェーデンの映画会社からこの映画の企画を持ち掛けられた時、監督自身が失恋をして、心にひどい痛みを抱えていたらしい。
どうりで『ミッドサマー』は、カルトの共同体に迷い込んだ若者を題材にはしているものの、最終的には、ダニーとクリスチャンとの関係性に帰結して終わる訳だ。

ミッドサマー②

実はこの二人、『ミッドサマー』公開時に対談を行っているのだが、その中で二人とも、どちらも自分は女性的であるとも答えている。個人的に園子温監督はどちらかというと男性的だと感じていた分、この答えは意外だった。ここでも二人は共通しているといえる。

もちろん、上記で挙げた要素だけでいえば、他にも類似してるような監督などは星の数ほどいるだろう。しかし、それまで意識してこなかったが、園子温監督とアリ・アスター監督は似ているかもしれない。もう少しこの両者について掘り下げてみたいものだ。

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