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完成まで苦節30年、呪われた企画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』に遂に終止符がうたれる

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1月24日にようやく公開された『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』
この作品、映画業界では、呪われた企画と呼ばれていた。その原因は製作過程で、様々な不運に見舞われたからなのだが、この作品に関するゴタゴタは、以前、筆者のnoteでも書かせてもらっている。

↓の記事参考
【呪われた企画】『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』がようやく公開されるぞ【一人の監督の執念】

今回、上映された作品を、ようやく観てきたので、その感想を改めて記しておきたい。

【やはりテリー・ギリアム、幻想的なビジュアルが素晴らしい】

テリー・ギリアム監督の特徴は、何といってもそのビジュアルの素晴らしさ
その名を全世界に知らしめる事になった『未来世紀ブラジル』(1985年)から始まり、『バロン』(1989年)、『12モンキーズ』(1996年)など、近未来SFから、ファンタジーまで様々なジャンルの作品を撮っているが、どの作品にも言えることはアートワークが素晴らしいという事だろう。

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今作は、ドン・キホーテの妄想に囚われた、ある男を巡る物語だが、現実と妄想が入り混じっていく辺りの摩訶不思議なビジュアルはさすがの素晴らしさ。特に物語後半の館でのパーティーの場面は、圧巻の一言。「ああ、そういえば、このビジュアルイメージに惹かれてテリー・ギリアムのファンになったんだな」という事を思い出してしまった。思わず見入ってしまうくらいの映像を観れただけで、筆者的には満足だ。

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【大人達のおとぎ話、妄執に囚われた男の悲哀に満ちた物語】

物語が進むごとに段々と現実も妄想の境界があやふやになっていく…『未来世紀ブラジル』しかり、『フィッシャーキング』(1991年)しかり、そんな物語を撮ってきたテリー・ギリアム。それこそ、今作の題材は、ドン・キホーテだが、ドン・キホーテといえば、妄想と現実の区別がつかなくなってしまった人物の元祖。アダム・ドライバー演じる主人公の映画監督が、ジョナサン・プライス演じるドン・キホーテに取り憑かれた男と、ひょんな事から行動を共にする内に、徐々に摩訶不思議な世界へと迷い込んでいく様子が描かれる。一人の強烈な妄想を抱いた男と過ごしていくうちに、自分もその妄想に段々と侵食されていく…テリー・ギリアムはこういう関係性を描いた作品が多い。周りから見たら、哀れともいえる妄想に取りつかれたキャラクターに切なさと共感を覚えるところも、筆者が、テリー・ギリアムを好きな理由の一つだ。

フィッシャーキング

これまでの作品と同様、テリー・ギリアムだけあって安易な話では終わらせせてくれない。冒頭の場面からは予想もつかない場所に観客を連れて行ってくれる。この映画を一言で表せと言われたら、『大人達の御伽噺』と呼びたい。。苦味と哀愁に満ちたラストが、観終わった後も余韻に浸らせてくれる。

ドン・キホーテ②

【アダム・ドライバーの存在感が素晴らしい】

今作の主演を務めるのは、アダム・ドライバー
アダム・ドライバーと言えば、ここ最近の勢いは素晴らしい。『STAR WARS』シリーズのカイロ・レン役は言うまでもなく、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた『マリッジ・ストーリー』(2019年)、今年も新作で再びタッグを組みことになったジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』(2016年)と、映画ファンを賑わせる作品に次々と出演している。
今作でもその演技力を遺憾なく発揮しており、その演技力で、強引な展開に説得力をもたらしている。

ドン・キホーテ③

もちろん、自分をドン・キホーテと思い込んでる靴職人を演じたジョナサン・プライスの演技が素晴らしいのは言うまでもがな。ヒロインを演じたオルガ・キュリレンコも存在感を発揮している。

ドン・キホーテ④

役者の演技力で説得力をもたせてるが、展開や演出を強引に感じる場面もいくつかあった。正直、以前のテリー・ギリアムなら、勢いで持っていってる気もしただけに、そこは少し残念だった。
しかし、予想より遥かに素晴らしい出来だったのと、何よりまさか完成するとは思ってなかった作品を観れた事が感慨深い。
自身の作品で、妄執に囚われた男を撮ってきたテリー・ギリアムだが、実は監督こそが一番の妄執に囚われた男なのでは…という言葉で、この記事を締めくくりたい。

テリーギリアム①

願わくばいつまでも新作を見続けていきたいものである。

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