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【生き残れるのは1人だけ】漫画『リバイアサン』が面白い!!

宇宙を舞台に少年少女たちによる生き残りを掛けた争いが繰り広げられる…

漫画『リバイアサン』は漫画サイト「少年ジャンプ+」で2022年8月から連載しているSF漫画だ。作者は黒井白。この『リバイアサン』既にフランスで出版されており日本に逆輸入されるという珍しい形式となっている。

物語の舞台は宇宙。漂流した宇宙船が発見されるところから話は始まる。船の名前は「リバイアサン」。かなり昔に消息を絶って行方不明になっていた船らしい。

リバイアサン号に乗り込んだのは「盗堀屋」と呼ばれる集団。難破船などから金目の物を盗む墓泥棒だ。

船内を探索する内に日記を発見する。盗掘屋は「リバイアサン号に何が起きたのか」を知る手掛かりになるかもしれないと、日記を読み進めていく。

日記はイチノセという中学生の少年が書いたものだった。彼らは修学旅行の途中だったらしい。しかし、船は突如何らかの事故にあい大きく負傷してしまう。

リバイアサン号が何らかの事故にあった場面。ストーリー面ばかりに触れてるけど、画の書き込みも凄いのよ。

事故の影響によって船内の酸素がいずれ尽きてしまう状態となったリバイアサン号。酸素の猶予はおよそ50時間。このままいけば船内の人間は全滅してしまうだろう。

ただし一つだけ助かる方法がある。それがコールドスリープ。コールドスリープして救助が来るのを待つのだ。だが、ここで大きな問題が発生する。コールドスリープできるのは1人だけ。

偶然にもそのことを知ってしまったイチノセとニカイドウ。他の生徒たちはいずれ酸素が尽きることも、コールドスリープできるのが1人だけということも知らない。

ニカイドウはイチノセに2人だけの秘密にしようと持ちかけるが、皆にばれてしまい、生き残りをかけた争いがはじまる…というあらすじ。

不可抗力とはいえ先生を殺してしまったニカイドウ。こうして頼りになる大人がいない状況になっていく。

物語はイチノセたちの視点(過去パート)と盗掘屋の視点(現在パート)が交互に展開されながら謎を解き明かされていく

筆者がこの漫画を面白いと思ったのは、過去パートの出来事はイチノセが日記に書いた内容を再現しているにすぎないという点。

つまり、日記自体が「信頼できない語り手」という可能性があるのだ。

信頼できない語り手とは…小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである

(Wikipediaより抜粋)

日記に描かれた内容は全て本当なのか?

イチノセの思い込みや騙りはないか?

そもそも日記は本当にイチノセが書いたものか?…等々

日記の存在によって、どうにでも状況がひっくり返る可能性があるので最後まで展開が読めない、そこが面白いと思う。

他にも謎な点は多い。例えば『リバイアサン』はなぜ長年の間、行方不明になっていのか?(事故の影響によって航路がズレたと思われるが、多数の生徒たちが行方不明になっていたらそれこそ大問題になってないだろうか)

また、事故の原因は何なのか?作中には地球と植民星との間で争いが起きているとい会話もある。果たして事故は偶発的なものか人為的なものか、気になるところは多い。

筆者が気になったのが『リバイアサン』というタイトルの意味。リバイアサンという名前自体はイチノセたちが乗っている宇宙船の名前だ。しかし船の名前は別にリバイアサンじゃなくて『サジタリウス』や『ヤマト』とかでも良い。

タイトルは作品を表すモノだ。敢えてリバイアサンというタイトルにしたのには何かしら意味があるはず。そこでリバイアサンという言葉の意味に注目してみた。

リバイアサンという言葉の意味は大きく分けて2つ
1つは旧約聖書に登場する海中の聖獣。作中でも「海を支配した怪物」と説明されている。ゲームや漫画などの創作物でもよく扱われるため、名前は知っているという人も多いのではないだろうか。

筆者はゲームでその存在を知った(画像は『FINAL FANTASY VII REMAKE』より抜粋)

もう1つが英国の哲学者トマス・ホッブズが著した政治哲学書。秩序を保つためには社会契約による国家の必要性を説いた内容となっている。

トマス・ホッブズの『リバイアサン』の表紙。高校時代に習った時に見たこのイラストが凄い印象に残ってる。

個人的に本作の『リバイアサン』というタイトルは、この2つの意味をもたせた「ダブルミーニング」だと思う。

1つ目の「怪物」という意味
これは先生を殺し、底が見えないニカイドウを指す言葉かもしれないし、コールドスリープを巡って最後まで生き残った1人を指すかもしれない。もしくは暴走した少年少女たちかもしれない。

もう一つはホッブズの著作内における意味。
著作の中で、ホッブズは、国家権力がない自然状態においては人々は殺し合いに至ってしまう(万人の万人に対する戦争)。だからこそ互いの権利の保障のために国家権力が必要だと説いている。

この主張を『リバイアサン』に当てはめると、大人である先生(ここでいう国家権力に該当する)が死んでしまい、自然状態になった人々がイチノセたちだ。抑止力がない状態(なおかつ生存の危機が迫っている)のため、殺し合いに至ってしまう、ということを指しているのではないだろうか。

黒井白先生は『リバイアサン』1巻の巻頭で「ただ、刺激的で暴力的なものを作りたいわけでなく、極限状態での人間の理性に関する物語を目指しています」とコメントしている。こうしたコメントを踏まえてみても恐らく、ホッブズのリバイアサンを意識してると思うのだがどうだろう。

ということで『リバイアサン』、まだまだ謎が多い作品だけに今後どうなるか分からないが先を読むのが楽しみで仕方がない。

※少年ジャンプ+のサイトでは3話まで読めるので興味持った方は是非チェックしてみて!


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