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じぶんを愛せよ。

2年かけてやってきて、ようやく肯定してきておる(誰よりもじぶんのことを)「汝の隣人を愛せよ」が結果的にその行為(からの体験)によって 自己 をも愛すことを身体で理解した。

褒められて伸びるタイプではあるけれど、無闇矢鱈褒められても、なんか、馬鹿にされていると感じることもある(分かりやすくするためにじぶんでは定義する嫌いはあるものの、基本、じぶんのことを「こういう奴」と他人に定義されるのが、嫌い)ので扱いにくい奴やなぁとじぶんでも思う...

人間嫌いで良かったなぁ、と思うのは、好きだとあまり「なぜ好きなのか」っていうことを考えないけれど(考えなくても心地よい状態だから)嫌いだとその理由を考えざるを得なくて。人間嫌いな人こそ人間関係を築いてみて「なぜ嫌いなのか」を知っとく必要があるみたいな。簡単にいうと、経験はしとくべし、みたいな。ただ、やりっぱなしじゃなくてやった後にその考察が必要な気がしていて。みたいなこともあって、色んな経験をしてきた!みたいな人を、単純に(すごーーーっ)とはあまり思わなくて(確かに、してない人よりしてる人の方が色んな気づきの回数は増えてはいるんやろうけれど)結局のところ、その人がどんな眼鏡を持ち合わせてるか、の話になっちゃうから。

あたしが「あ、これは違う」と思った瞬間が、過去にあって。言ったらそれが、そのままで居続けるかどうかのボーダーライン的なやつやったんやろうなぁと今になって思う。

でもそれって、過去の経験からじぶんの「ボーダーライン」「撤退ライン」みたいなものに気づいておく必要があるし、気づかずに突っ込むと大海の中で今じぶんが進む方向も分からずただただ溺れる人、みたいなのになっちゃうのかもしれん。

本をたくさん買って、たくさん読んで、たくさん書きます(たぶん)