私はVtuberと名乗る勇気がない

自分のことをVtuberと名乗れない。
時々思う。

そもそもVtuberの定義というのはぼやぼやしていて、必ずしも皆が同じ共有をしているわけではない。
Vtuberという単語はそういうあやふやな言葉だからこそ、誰でも名乗れるし、名乗れない。私は後者だ。

そもそも、語源は動画で稼ぐYoutuberから来ているわけであって私のようなストリーミング主体の人間はストリーマーになるはずだ。バーチャルストリーマー。たぶん。

ただ、ここからがめんどくさいところで、Twitterの名前を「しもきたろん@Vストリーマー」なんて書くとこれも違う気がする。
Vtuberという単語が浸透しすぎているため、「Vストリーマー」という新たな単語に対して考える余地が与えられないように思えてしまうのだ。つまるところ印象に残らない。だったら、「Vtuber」で良くないか?と。
(Vライバーって書くと媚びてるみたいだし?)

結局のところ、「Vtuber」という単語の便利さに戻ってきてしまうのだ。

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海外のVtuberを見ていると、配信主体がtwitchだったりFacebookだったりするのに「Vtuber」と名乗っている人も見かける。これもちょっとモヤモヤしてしまう。twitch主体だけど、youtubeも一応やってます~程度にyoutubeチャンネルがあるなら納得できるが、完全にtwitchだけの活動ならばその「tuber」ってどこから来たんだって思ってしまう。
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こういうのを頻繁に見かけていると各大手配信媒体から、各媒体におけるバーチャル的活動の名称を与えればもっとこの界隈は盛んになるのではないかと考える。
ニコ生だったら『ばーちゃる生主』とか。そうしたらその新たな名称を与えられた人々が新たな居場所とコミュニティを作っていく。
配信媒体が違えば、配信においての苦労や工夫の仕方なども変わってくるだろう。新たな名称の付与は、各媒体における特別な情報のやり取りの場の誕生となり、そこから界隈が盛り上がっていくのではないか。
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そもそも、別の媒体にバーチャル配信者(Vtuber)が移る理由というのがyoutubeという媒体が飽和しているからであり、新規開拓が難しいからである。現にホロライブなどの企業Vtuberは界隈の到達の限界地点まで来ているように感じるし、個人なり企業なり新たに畑を耕さなければメリットが得られない地点まで来ている。それまでにVtuberというコンテンツは肥大化してしまったのだ。
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この肥大化してしまった”Vtuber”という言葉はひどくあやふやなため、Vtuber同士の言い争いの発生や、新規視聴者や未視聴者から誤解を生んでいる。

この誤解によって、本来のVtuberという言葉が表していた「何か」の輪郭が無くなることに私は不安を覚えている。なぜなら先駆者の思想が消えてしまうことは、界隈の混乱に繋がるからだ。そして何よりこの界隈を作った人々の思想は尊重すべきであり、それが消えてはならない。

日々この界隈は進化しており、そして新たな考えも生まれている。
それならば新たな名称が派生しても何ら不思議ではない。
痒い所に手が届く新たな名称の誕生はこの界隈は良い方向に引っ張っていくと思う。

おわり。

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