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荒波に揉まれ、投げ入れてくれた浮き輪を掴んで波に乗る

「この前10月頃に冷蔵庫が壊れちゃったんだ。俺が二十歳の頃に買って、35年くらい経ってたの。みんなに大往生だなって言われて。」

トラックからお酒を積み下ろしながら応えてくれた。サンカツさんは、代田の街で知らない人はいない、「ヤマザキショップ 代田サンカツ店」の店主池田さんだ。

「二十歳の頃何をしてたかっていうと、お店の仕事をしつつ学生をしてたな。日本大学商学部に通っていて、留年が確定しつつ、フラフラなんとかやってた。それこそ、成人の日とかは紋付袴で。で、友達とワイワイガヤガヤ。朝の6時起床で、帰ってきたのは夜中の3時(笑)。」

成人式の写真を見せてくれました。紋付袴姿がとても似合っています。

「俺、ただ単に大学生になってサークルに入りたかったのよ。ドラマの影響で。『ふぞろいの林檎たち』。知らないよねぇ。あと、学祭委員長やってたなあ。教室には行ってなくて、サークルの部屋にいたり、学祭の準備をしてたりして過ごしてた。最終的にはこの店を継ごうって思って。」

「なんかあったかいもん、飲む?」と、お店のコーヒーをいただいた。

「21歳の時にお父ちゃんが死んじゃったんだよね。それで学校もやめちゃって。お父ちゃんは殺しても死なない感じだったんだけど、癌になちゃって。入退院は繰り返していたんだけど、二十歳のあたりはほんと転換期だったよ。」

「お父ちゃんから店を継いだ当時は、絶対に負けるもんかって思ってたね。特に同世代には絶対に負けない、こっちの方がスタートは早いんだし一度地獄を見てんだよ、って思ってね。駅からちょっと離れてたから、協会とか商店街と協力せず自分の力だけでやってやるって思ってたね。今は違うけどね。」

「泳げない人が海に放り込まれたら溺れないように手足をジタバタ動かすじゃん。手足を止めたら溺れちゃうっていう。俺は当時右も左もわからないまま、荒波に揉まれてた。そんな中、知らず知らずのうちに周りの大人が浮き輪を入れてくれたから溺れずに済んでた。自分一人の力じゃどうにもならないんだって思い知ったな。」

「まずは、商売のやり方を教えてもらった。あとは、やらしい話だけど、お金の借り方を教えてもらったのは人生の中で大きかったな。借金って背負いたくないじゃん。でも借りないとそのときに目の前にあるチャンスを掴めないんだよね。借りて返してを繰り返して、信用が積み重なっていく。今でもそうやっているよ。」

「この経験が今の根幹になってるなぁ。負けたくないっていうのが段々角がとれていった。」

「だからそういうもがいている子たちがいたら浮き輪を入れてあげたい。大波がきたとき、波の中にいると波の中で上も下もわからなくなってるじゃない?本人にとってはすごい波だったと思うけど、外から見たら大した波じゃなかったり、どうしたら助けられるか分かったりするしね。」

取材中もお客さんの来訪が止まらない。最近あったこと、年末年始の過ごし方など、思い思いのことを話しながら買い物をする。

「人と話すのが好きなんだよね。今は人間関係がどんどん希薄になってて、多くのコンビニチェーンは利便性とか価格とかを重視してるよね。最初はそういう店に負けるもんかって思ってたけど、だんだんと『コンビニエンス』の対極にいる人たちを大事にしたいな、独自進化しようって思うようになった。」

「みんなが来た時より帰るときの顔がちょっとでもニコニコになってればいいやって。『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』の間しか一緒に居られないからこそ、その時間を楽しいものにしたいんだ。」


編集後記
たくさんの浮き輪を掴んで荒波を乗りこなしたサンカツさんの言葉は、話の内容からは想像ができないほど、終始朗らかだった。取材を終えてお店を出る時、お店から「こんにちは、いらっしゃい!」と元気に挨拶をする声が聞こえてくる。笑顔のサンカツさんとおかーちゃんにつられて口角が上がる。
またサンカツさんとお母ちゃんに会いに、帰ってこよう。

取材・記事:江口未沙


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