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きっかけは「なんでこうなるの?」という驚き。「好き」に出会い、育て、やがて使命感へ。


「ラテアートってカッケェ!」という驚きと仲間との出会い
そしてラテアート日本一へ

コーヒー起業家の川野さんは、美味しいコーヒーで世界を明るくする「LIGHT UP COFFEE」の経営者兼バリスタだ。
現在はバリ島やベトナムでコーヒー生産も行うなどコーヒーへの飽くなき探求を続け、YouTubeやnoteでその魅力を発信している。しかし、当時の川野さんはコーヒーがそんなに好きではなかったらしい。

「大学に入学して、バイトを探していて。大学と家との間にあった昭島のコーチーチェーンで働き始めました。別にコーヒーが好きだったとかではなくて、いろんな種類のブラックコーヒーを出してるけど、この味の違いわかんねぇなと思っていました。」

そんな中で、まさに二十歳の時の出会いによって、ラテアートにハマって淹れ始めたのが始まりでした。

「今でも覚えてるんですけど。昭島のショッピングモールのエスカレーター横のスペースで、コーヒーを出すイベントやる機会があって。他の店舗から3人のヘルプを呼んだんです。後にオーストラリアでコーヒー開業してラテアートチャンピオンになったノブさんと、一緒にライトアップやることになった相原くんと、今フグレンのマネージャーをやってる高橋くんの3人でした。」

「ノブさんが目の前でラテアートを作る様子を見せてくれたんです。注ぎだけで白鳥の絵を作るんですよ!カッケェ、マジックみたいだなって。それを見た次のシフトの時からラテアートを練習し始めました。」

「どういう原理でそういうのが出来てるのかが気になって、YouTubeを見て、自分でもできるもんなのかな?って試してみる。一歩目はなんとなく理解ができて、ハートの模様だったらできた。でもさらに上のレベルの模様は作れないのが悔しくて。勉強の難問を解きたくなるような、そんな感覚でもっと練習したくなってのめり込んでいった。ヘルプに来てくれた3人との関係も続いて、同じように店長から刺激を受けた相原くん、高橋くんとは閉店後から翌日のオープンの朝まで店舗の使用を許可されていたので、自分たちで豆と牛乳をに持ち込んで練習してました。

「そんな折にラテアートの全国大会がありました。やっぱり大学生なので夜通し練習できて、圧倒的な量の練習を重ね、ラテアートで日本一に。」


ラテアートの練習を重ねていた時期に、かねてから行きたかったロンドン留学へ。「ワークショップコーヒー」と出会い、建物丸々一棟を緑に囲まれた空間のど真ん中に焙煎機がある空間や、そこでヘッドホンをしながら焙煎しているイケイケなバリスタたちに衝撃を受けました。コーヒーを仕事にしようと思った最初のエネルギーになります。

自分の手でつくったコーヒーを、お客さんに出す

2012年、相原さんが通っていた日本大学の文化祭でコーヒーショップをやることに。自分たちで豆を購入して、ラテを出しました。

「1日で300杯とか出たんです。うまいラテを自分の力で豆から選んで出すっていうところでの楽しさを感じていました。」

「そうこうしているうちに、どうやらコーヒー好きでいろいろ活動してる大学生チームがいるらしいぞ、と噂が立って、雑誌の取材を受ける機会がありました。それが活動内容やコーヒーの味わいの違いについて言語化する機会になり、ラテアートへの興味だったものがコーヒーの味そのものへの興味に育っていって。自分でもおいしいコーヒーをつくりたい、ということで融資を受けて焙煎機を買って、豆の焙煎を始めました。」

ライトアップコーヒー ロースタリーの始まりです。

ヨーロッパ旅行という名のコーヒー修行

「2013年の夏に再びそのメンバーでヨーロッパへ。自分たちで焙煎した豆を持って行き、飲んで感想をもらったり、イケイケの今じゃ考えられないぐらいのコーヒーコレクティブとかに持ってって、現地のバリとかと一緒にカッピングしたりしてコメントもらったりして。」

「生意気にもメッセージを送ると、けっこうみんなよく来たな!ってウェルカムしてくれて、自分たちの店のツアーとかロースターツアーとか組んでくれるんですよ。めっちゃガチのマネージャーとか代表の人が出てきて、一緒にカッピングして。1日ツアー3個ぐらいのツアーを組んで、1店舗で5杯ぐらい出てくるから、平気で15杯くらい行っちゃう。うまいコーヒーずっと飲み続けて毎日1杯飲みながら聞きながら飲み続けてコメント。ずっとずっとずっとやってんだよ。1ヶ月半。めちゃくちゃ鍛えられて。美味しい味がわかるようになって。帰って来たら自分が焼いた豆のいいところ、悪いところすぐ分かるようになって、めちゃめちゃ焙煎うまくなって。」

「やっぱ学生だからってのはあります。ピュアさを武器に、目キラキラさせてぶっ込める。可愛がってもらっていました。」


「好き」という気持ちは使命感に変化する

「ヨーロッパの旅から帰ってきた年の年末にめちゃくちゃ美味しいコーヒーができて。最後、僕が所属していた慶応の学祭でカフェを出して。ドリップメインやってたんですけど、それが超うまくて。こんなうまく出せるんだったら店やるかって?相原くんから誘ってもらって。休学届けを出して、2回目の3年生の時に店を出した。」

「大学生チームみたいな活動してても結局誰みたいな。発言力がないというか、存在感がないっていうか。店やってやっと同じぐらいの発信力になって美味しいコーヒーあるよっていう言葉に説得力が持ってると思って。気づいたら、自分が感動した美味しさをどうしたらもっと伝えられるんだろう、と使命を感じ始めてました。」

この二十歳を含む4年間に名前をつけるとしたら?

「好きなものと出会って、熱を高めた時期ですね。好きなことを仕事にするためには、壁は2つあると思うんです。ひとつ目は、自分がそれを好きかどうか認識する壁で、もうひとつがそれを仕事にしたいと思う壁。」

「僕は最初コーヒー嫌いだった。でもなんか面白そうで、ラテアートやり始めたのがその辺のカフェで。ラテアートを求めていろんなお店回って美味しいと感じてきたあたりでコーヒーが好きって言えるようになってきた。」

「あと、日本だと何かをほんとうに好きなやつはもっと好きだから、自分の好きレベルなんてと思ってしまいがちだと思っています。コーヒー豆買って家でやってる人に比べたら好きと言えないなみたいな。あるじゃないですか。けっこう好きって言えるレベルになるまでも、ある程度興味本位で行動しないと好きだって言える自信すらつかないと思う。」

「学祭とかでお客さんにコーヒーを提供する側に立って、うまいってよろこんでもらえることがすごくうれしかった。豆買って家で淹れることも楽しかったし、ラテアートを作ることも楽しかったですけど、消費する側から生産・提供する側の面白さにシフトし、仕事ってなってきたと思うんですよ。」

「二十歳のみなさんには、自分の好きなものを見過ごさないでほしいです。きっと、何かしらは引っかかるものがあるから。興味をもって育ててくれるとうれしいです。」

編集後記

きっと最初は、どうなってるの!?という好奇心から始まる。自分が受けた衝撃というか、心動いてる瞬間をしっかり掴むセンスが川野さんらしい二十歳の過ごし方のポイントになってたんだろうなと思いながら聞いてました。より多くの二十歳の人たちが、自分の好きなことを自分らしくできることを願っています。

取材・執筆 江口未沙


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