山本周五郎の感動長編 【虚空遍歴 最終話】 朗読時代小説  読み手七味春五郎  発行元丸竹書房

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■山本周五郎の虚空遍歴

「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」ストンベリー
「人間の真価は、彼が死んだとき、何を為したかで決まるのではなく、何を為そうとしたかだ」ロングフェロー

 虚空遍歴が書かれたのは、「小説新潮」昭和三十六年から三十八年まで、山本周五郎、五十七歳から、五十九歳にかけての作品で、文庫の前書きには、「最円熟期における代表作と評価されている作品で世評が高い」とあります。
 上にあげた二編は、山本先生の座右の銘ですが、虚空遍歴に見事に反映されています。山本周五郎の過去、そして、未来の姿までが詰まった作品となりました。

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「ぼくが本当に小説らしい小説を書けるようになったのは、終戦後、それも昭和二十四五年以降のことだろう」
 そのころおたふく三部作をかきはじめたようですが、戦前山本ぶしといわれた自分の小説を打ち破ろうとして苦心し、納得のいくところまでこぎつけた、そんな姿を冲也に重ねて描いたのかもしれません。

 戦前の作品は、短くて独特の節がありますが、この虚空遍歴などはまったくちがう。文章のセンテンスは長くなり、原稿用紙をこれでもかと埋めている。
 ある読者から、描写がこまかい。ただくどいだけじゃないかと手紙がきて、大変怒ったという話が残っておりますが。

 海外の作家が小説技術のことで語っていたのに「細部描写」というものがあります。きめ細かに描写をくわえていくことで、臨場感やリアリズムを高めていくという技法ですが、山本周五郎という人は、英語学校の夜間部に通っていたそうで、時代小説を書き、日常にも和服を用いているわりに、日常の会話にも英語を頻発させ、海外の小説をよく読んだそうですが。
 旧来の技術を打ち破ろうと努力して、結果、近代のトップクラスの小説家に近い技術を体得して、そのうちでも群を抜いた腕をもつスティーブンキングなどのような作家と同じような批判をくらっているのが、なんともおもしろいですね。
 山本周五郎がいまもって人気なのは、近代の作家に近い技術を体得したから、といえるかもしれません。

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 冲也は、とにかく幸薄く、酒で身を滅ぼすことになるんですが、山本周五郎もその晩年は、なぜか冲也の後をたどりました。
 酒は仕事中は決して飲まない、という不文律を晩年は体調の悪化からかやぶるようになり、それも醸造酒は体に悪いからとウイスキーに変えた。ウイスキーはそれほどうまいものじゃない。一口目のにおいが気に入らない、といって鼻をつまんで飲む。食べ物もろくにとらない。口にするのはせいぜいチーズの欠片。このいっぱいを飲めば、原稿が進むんじゃないか。そう思って口にはこぶ。結果酒みずくになって、三八年には仕事場にボヤまで出す。頑丈な周五郎先生も、体はどんどん壊れていきます。
 あれが食べたい、これが食べたいと奥さんにいっても、結局は食欲がなくなり、箸がつけられない。原稿用紙にふれるな、といっては、書けないのに、原稿用紙をにらんでばかりいる。
 どうも、符紙をにらめっこする冲也を彷彿とさせます。

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 死ぬ、前々日だったそうで――
 周五郎先生が、夜中も十二時をすぎていたのに、かあさん、二時間ばかり起きて、話を聞いてくれ、と奥さんにいう。雪も降ってるし、寒い。明日にしては、と奥さんがいってもきかない。きょうは真面目にきいてくれ、という。そして――
「自分はほんとうにしあわせだった、かあさんのおかげで、思うように仕事も出来た。編集者にも恵まれたし、食べたいものも食べたし、飲みたいものも飲んだし、ぼくほど幸せなものはない」

 かあさんが一人になってしまうのは気の毒だが、印税だけでも食べてゆかれるようにはした。ぼくの作品は死んだ後の方が売れるんじゃないかという気がする。新潮社にたのんで、印税が月給のような形で出るように相談しておいたよ

 という。奥さんは周五郎先生の小説をあまり読まなかった。話の筋はおしゃべりも達人だった夫がたびたびきかせてくれるから。でも、ぼくが死んだら読んだらいい、と先生がいう。いろんな作品にきんべえ(夫人の愛称)が出てくるから。

 周五郎先生は奥さんに小説として手紙を残した。冲也は、おけいに浄瑠璃を。ともに不器用な人たちである。

***

「ぼくの小説の半分は、かあんさんのおかげでかけたんだ」
 これも晩年の言葉だそうですが、おけいには、奥さんきん女をかさねていたのかもしれません。

 作者は、最後のおけいの独白を、つけるか削るか迷ったといいますが、私はつけてよかったと思います。
 奥さんは「夫 山本周五郎」を著して、この偏屈な男の物語を届けてくれたように、おけいの独白も必要だったなあと思います。

「かあさんは、仕事のことは何も手伝ってくれないが、ほかのことはよく面倒を見てくれる。よくやるな。ずいぶん心配をかけてすまないね」
 などといっている。
 奥さんには、男の人はもうこりごりと云われてしまいますが。
 

 最晩年、山本周五郎は、夫人にあてた色紙にこう書いている。
「我が人生の
もっともよく
有難き伴侶
わが妻よ
きんよ そなたに
永遠の幸福と
平安のあるように」


***

 死ぬときは、人に知られない山奥でひっそりと――といっていたが、寒い早朝に体が冷たくなって、医者が呼ばれてそのままひっそりと――
 前日に、気力をふるいおこし、数行したためた後のこと。
 山本曲軒先生の人生のしめくくりは、そんなふうであった。


「人間は、何をしたかではなく、何を為そうとしたかである」
 山本周五郎の遺書『虚空遍歴』お聞きください。





■登場人物
中藤冲也……26才で登場。端唄の名人として、江戸で有名になりつつある若手の実力者。その才能を周囲にみとめられながも、そのことに安穏せず、さらなる芸の高みを目指す。
おけい……冲也の端唄にほれこむ色町育ちの芸妓。独白の形で冒頭から一人語りを行う。物語の導き手。
お京……料理茶屋「岡本」の娘。のちの冲也の妻。幼なじみ。
新助……お京の父。岡本主人。
お幸……冲也の乳母。中藤家を出た冲也につけられ、ともに暮らす。
生田半二郎……冲也の幼なじみで親友。旗本の子だが、冲也の後を追って常磐津に弟子入りするも、女問題で破門。
岩井半四郎(大和屋)……芝居役者。冲也のよき理解者。
十三蔵(伊佐太夫)……常磐津の相弟子。半二郎を常磐津から追い出す。
沢村宗十郎(紀伊國屋)……芝居役者。45才。
市川八百蔵(立花屋)……芝居役者。30才
おぺこ(おりう)……岡本女中。他に、お夏、おすえ、お梅がいる。
西村……最初におけいを囲った老人。大名の老職。
中藤勘右衛門……冲也の父。
中藤勘也……冲也の祖父。故人
中藤祐二郎--冲也の異母兄(長男)。中藤家当主。
中藤角三郎--冲也の弟。
常磐津繁太夫(長沢町)……冲也の兄弟子。
常磐津由太夫……本名幸二郎。冲也に惚れ込む。
常磐津文字太夫……常磐津の師匠。冲也を後継者と考えている。
若師匠……文字太夫の息子。
おせき……文字太夫の姪。文字太夫の看病をする。
中島酒竹……浄瑠璃の台本作者。冲也の浄瑠璃の台本を創作する。
新井泊亭……浄瑠璃の台本作者。
杉沢冶作……台本作者。
竹島与兵衛……おけいの旦那。嫉妬深く、おけいと冲也との仲を疑う。本名、本多五郎兵衛。
吉原藤次郎……竹島与兵衛の家来。冲也をつけ狙う。
疋田京之助……竹島与兵衛の家来。冲也をつけ狙う。
久吉……芸妓。おけいの姐さん。松廼家を継ぎ、おけいを助ける。
蔵前の旦那……久吉の旦那。おけいのお金を管理している。
とき……鞠子の宿「池田屋」の女中。
はる……池田屋女中。
お松……袋井の宿「若松屋」の女中。
お常……若松屋女中。
お由……若松屋女中。
大谷小十郎……代官所与力。吉原たちに囲まれた冲也を助ける。
冶兵衛……池田宿の医者。冲也を助ける。
ほり……宿の女将。おけいに変装を教える
乞食……賤ヶ岳で乞食をしている。
矢島濤石……旅の絵師
ふくみ……柳ヶ瀬の宿の女中
伊之助……ふくみの旦那
おなつ……宿井筒屋の女中
無仏……僧形の医師。杉風庵無仏と名乗る。
初兵衛……大黒屋あるじ
おかじ……大黒屋女将
おれん……大黒屋女中
多助……金沢の宿の主人
仲山新平……金沢の芝居を取り仕切る
松島千蔵……金沢の芝居役者。冲也と山中温泉で芝居興行を図る。
菊五郎……山中温泉の山中ぶしの師匠。
お袖……岩井屋の女中。おけいに三味線を習ったことから、おしょさんとよぶ。冲也と関係を持つ。
松蔵……お袖の夫。極道者。
弁吉……おなつの許婚。

■この動画の目次
0:00 独白
12:42 十七の一
26:23 十七の二
38:31 十七の三
51:23 十七の四
1:04:31 十七の五
1:16:51 独白
1:29:52 十八の一
1:42:13 十八の二
1:54:31 十八の三
2:06:48 終りの独白

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