負け犬しもでさんの奇跡・5
しもでさん、マージャン雑誌と出会う
マージャンの専門誌の存在を、高校3年くらいに初めて知りました。
ど田舎だと、一部マニアにしか興味を持たないような雑誌って、なかなか見つからないんですよね。
ちなみに初めて買ったマージャン雑誌が「近代麻雀オリジナル」。通称・近オリと呼ばれていました。
当時連載していたのが、確か…、
「ノーマーク爆牌党」「ナルミ」「阿羅漢(あらはん)」
あたりでしたかね~。
どんな内容だったかは、話すと長くなるので割愛。
で、近代麻雀のようなマージャン劇画誌に付き物なのが、マージャン店の広告。
「うわぁ、東京にはこんなにマージャン店があるんだぁ」
「東京に行く機会があったら、あちこち行ってみたいなぁ」
なんて思うわけですよ。
フリーマージャン店のマナーや知識については、
漫画家の片山まさゆき先生と馬場裕一プロ共著の、
「バカヅキハリケーン」を何度も繰り返して読みました。
詳しい内容については、これまた長くなるので割愛しますが、片山先生について少し話しますね。
片山まさゆき先生
初めて片山まさゆき先生の作品に出会ったのは、実はマージャン漫画ではありません。ファミコン通信(通称・ファミ通)で連載されていた「大トロ倶楽部」なのです。
テレビゲームネタ満載の、当時のゲーム好きならクスッと笑える作品でした。連載当時はちょうどファミコンやりまくっていました私。だからこそ、大トロ倶楽部のネタに「おお、分かる分かる」と、私の心の琴線に触れまくりだったのです。
で、ファミ通をパラパラ読んでると、
「大トロ倶楽部でおなじみ、片山まさゆき先生の麻雀漫画『ぎゅわんぶらあ自己中心派』がゲーム化!」
という記事を発見したわけですよ。
とはいえ当時は、
「へぇ、片山まさゆきってマージャンの漫画も描いてるんだ~」
程度の認識でしかありませんでしたが、少しだけ親近感が湧いてきました。
その後、近代麻雀オリジナルでノーマーク爆牌党を読みました。
当時はまだなんとなく読んでいただけでした。しかしその後、マージャンにどんどんハマっていくうちに、この作品の面白さがどんどん分かってきたのです。「競技マージャン」なるものに興味を持つきっかけになったアイテムの1つです。
さらに友達が持ってた「ぎゅわんぶらあ自己中心派」「スーパーヅガン」を読んでみました。
マージャン愛好家ならもちろんですが、当時の私のマージャンのレベル、というかマージャンをよく分かっていない人でも楽しく読める作品でした。
「咲-Saki-」や「ヒカルの碁」って、そのゲームの事とかよく知らなくても面白いって言う人が多いのです。これらの作品と同じくらい、片山先生の漫画って凄かったんですよ。
その後、片山先生と時々マージャンを打ったり、片山先生のマージャン店で少しだけお手伝いさせてもらったり、吉祥寺のバーで時々一緒に飲んだりするようになるのは、当然ながら当時は知る由もなく。
片山まさゆき先生が、自分のマージャン人生にこんなに影響していたんだなぁ、と記事にしてみて改めて思いましたね~。
次回は、フリーマージャン店デビューの話でもしますね。
ではまた~。
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