負け犬しもでさんの奇跡・10

しもでさん、通うお店を鞍替えする

引き続き、しもでさんが18歳の時のお話です。

当時は、安く遊べるマージャン店がほとんどありませんでした。
おそらく、片手で数えるくらいではなかったでしょうか。

そのうちの1つでもある、「ヤングモンブラン」。
そこのお客さんから、ある情報を聞いたのです。

「名古屋駅の近くに、ここより安い店があるんだよな」
「確か、ゼミナールとかいったかな」

しばらくして、マージャン劇画の広告で発見しました。
麻雀ゼミナール」(東京の明大前にもあった「麻雀ゼミナール」とは無関係)
このお店は、日本プロ麻雀連盟の古川孝次プロが経営していました。
今でこそ、鳳凰位を連覇するなど、実力も知られるようになりましたが、当時はまだA2リーグかB1リーグあたりだったと思います。

古川プロのマージャンの印象は、当時にしては珍しく、仕掛けを多用するスタイルでしたね。
今思えば、時代を先取りしていたのかもしれませんね。
とはいうものの、古川プロがお店に顔を出すのは、週1~2回くらいだったので、何度か同卓したくらいですね。
当時は古川プロの良さや凄さがよく分からなかったのですが、今思えば勿体ないですね(笑)。

それよりも魅力的だったのが、さらに安く遊べるという事です。
フリーで打つマージャンの魅力に憑りつかれつつあった、貧乏学生の私にとっては衝撃でした。
というわけで、今まで以上に安く遊べる麻雀店に鞍替えするのも、自然な行動でした。
ヤングモンブランも愛着があったんですけどね~。まぁ、止む無し。

新天地・麻雀ゼミナール

麻雀ゼミナールは報告通り、貧乏学生の懐に優しいお店でした。
ただ、打ち慣れた常連が集まった時は、ゲーム代が少し高めの卓が立つ事もありました。
当時の私には、実力的にも金銭的にも厳しかったので、基本的にはお安く和気あいあいと打っていました。

あと、待合席に置いてあった、多数のマージャン雑誌のバックナンバー。
月刊プロ麻雀」という、マージャン専門誌があるのを初めて知りました。

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マージャンが打てない時は、何十回も繰り返し読んでいましたね~。
おかげで、競技マージャンの世界に関する知識もたくさん身につきました。
学校の教科書はロクに読まなかったんですけどね~(笑)。

あと、ゲストプロが何人か来店されましたね。
故・安藤満プロ、浦田和子プロなど、古川プロと同じ団体の方が多かったですね。安藤プロについては、日を改めて話せればと思います。
珍しいところでは、銀玉親方こと山崎一夫さん、漫画家の西原理恵子さんが来てくれた事もありました。
当時はプロ自体が少なかったですし、東京のプロが名古屋に来てくれるだけでとてもワクワクしたものです。

そして、麻雀ゼミナールに通い始めて1年くらい経った頃。
マージャンに嵌った者であれば自然な流れ、「次のステップ」を踏む事になるのです。分かる人には分かると思いますが(笑)。
それは、次回以降にお話しましょう。

そして現在のマージャン環境

時代は変わって、2020年。
安く遊べるマージャン店は、溢れかえるほどあります。
それどころか、私の学生時代よりも更に安く遊べるマージャン店も、全国各地に増えました。

あと、大きいのが「ネット麻雀」。
15年くらい前の「東風荘」が、最初のネット麻雀ブームでしょうか。
東風荘出身のマージャンプロや名を馳せたユーザーも何人かいますね。
ただ当時は「所詮パソコンでしょ」「人と人が顔を合わせて打つから面白いのに」と思っていた人も少なくなかったです。

しかし、2010年あたりから台頭し始めたのが「天鳳」。
天鳳の存在は、既存のネットユーザーだけでなく、
巷の実力者や競技マージャンのプロまでも巻き込むものとなったのです。
ちなみに私も2012年から天鳳を始めて、今も楽しくやっています。

今思うと、学生時代に天鳳に出会ってなくて、良かったと思います。
だって、環境さえ整えば、メチャクチャ安くたくさんマージャンやれますからね。
それこそ、サルのように打ちまくって、現実を見つめられない引きこもりになっていたかも。
出会うタイミングって、大事ですね(笑)。

ではまた~。

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