陸で生きる生き物で良かったと思っていたけど


水泳が苦手だった。
陸に暮らしているのに、海だってないのに(長野県出身)なんで水泳の授業を受けなければならないのか、と本当に疑問に思っていた学生時代。

で、時は流れて最近正社員になった。
フリーランスで絵の仕事とバイトをしていた4年間に終止符を打ち、ちゃんとしよう、と思ったからだ。

が、3ヶ月で辞めた。

自分の中では辞めるだけの理由がちゃんとあったのだけども、言葉にしようとするとただ言い訳しているような気がしてしまう。

私は小さい頃から感覚がいわゆる「一般的」なところからずれているので、「そんなこと(その程度のこと)で辞めたの?!」と言われてしまうんじゃないか、と怖いのである。

別に自分の人生なんだから自分の好きでいいでしょ、「普通の生き方」を目指すんじゃなく、自分の心地よい人生を創造しなさい!という自分と、夢や理想という言葉にいつまで甘えてるの!現実を見なさい!社会に馴染む努力が足りないだけ、世の中から見たら本当に恥ずかしい人だよ!という自分が頭の中で起きてる間中、言い合いしてる。

日常の中で
ふ、と死がよぎる。

私が今、ここで死んだら

と考えて次に浮かんでくるのは夫の顔だ。

私の母も自殺している。
だから残された人の気持ちは分かる。

大好きな人が自分と同じような傷を背負うのか、
と思うと

無理だ、死ねない。となる。
(私は夫の飛び切りの笑顔が本当に大好き)

そして同時に
私の死にたいという感情は
自由になりたい、気楽に生きたい
という意味なんだよね
と自分の内側に声をかける。

死ななくても自由と気楽さは
手に入れられるはずだから
なるべく生きる方向で自由と気楽さを
手に入れられるようにガンバロウネ、と。


息してるだけなのに
今日もとても疲労感がある。

水泳が苦手だったから
陸の生き物で良かったわぁ
と思ってた。
生きていくのに支障はないな、
と。

でも
地上でジタバタして
息苦しさを感じている自分は
しっかり陸でも溺れてる。

陸でも全然死にそうになってるやん、
と重たい心と身体ベッドに沈めながら思う。

心を健やかにすることは
本当に難しいけど

いつか、いつかと思って
生きていく日々だよ。

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