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なぜジャニオタ(僕)はジャニー喜多川・性加害報道に沈黙したのか

ジャニーさんが2回目の死を迎えている――。
ただ、これはいつか迎えざるをえない死だったのかもしれない――。

実際に亡くなった4年前以上に、心は痛んでいる。

先に断言しておくと、この記事にあらゆる性加害を肯定する意図は一切ない。

だが僕にとっては“夢を与えてくれた人”であり、“自分の好きな人の好きな人”が性加害者と報道されている現状における葛藤をお伝えできればと思っている。

加熱するジャニー喜多川氏の性加害報道の渦中で、ジャーナリストとしての自分とファンとしての自分の間でどう発言をするべきか。大きな葛藤を覚えている。

僕は2019年に『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)という書籍を執筆し、タレントへの取材や、新聞・雑誌などのメディアでジャニーズに関するコメント・寄稿を続けてきた。その仕事はジャーナリスト・ライターなどと分類されるものである。

生粋のジャーナリストであれば、真っ先にこの問題に関して追及を始めていただろう。しかし、ジャーナリストである前に、いちジャニーズオタク(ジャニオタ)でもある。

小学生のときにSMAPに憧れ、その後自らもジャニーズJr.になろうと志し、ジャニーズ事務所に履歴書を送り続けた。そして18歳のとき、実際にオーディションも受けることができた……という経緯や想いはこのnoteや書籍にも書いた。

■小5の頃から知っていた


今回問題となった疑惑のことは、小学校5年生の頃から知っていた。
僕が初めて自分の意志で買った本は、ジャニーズの告発本だった。
小学校5年生になった僕を父は書店に連れていき「本はたくさん読んだほうがいいから好きなものを買いなさい」と言い、僕が選んだのは『ジャニーズのすべて』という本だった。
表紙を見てジャニーズのことに詳しくなれる本かもしれないと思い、父に購入してもらい、家でその内容を読んで衝撃を受けた。10歳なので詳しくは理解できなかったが、なんとなく悪いことが行われていることは察知できた。

だが、それでも目指し続けた。ただ、25年以上の間、自分では見てみぬフリ、というか、都市伝説のようなものとして脳内に封じ込めてきた。ジャニー喜多川氏に関するコメントをするときにも、そのニュアンスが出ないように、念入りに原稿チェックをしてきた。事務所に批判的なコメントをしたことは一切ない。

今年の3月、BBCのドキュメンタリーをきっかけに、ジャニー喜多川氏の性加害について、
まずはネットを中心に糾弾する声が高まった。
僕にもこの件について「触れろ」といったTwitterのリプライやDMが届いた。しかし、一切触れずにきた。

ジャニオタと呼ばれる熱心なファンの中には普段からTwitter上で盛んに発信する人も多いが、他の多くのジャニオタは少なくともネット上では大半が沈黙しているようだった。自分も含め、この件には触れたくないというジャニオタが多いことを強く感じた。

そして4月にカウアン・オカモト氏の記者会見が行われ、先日ついに事務所側が謝罪の動画を発表するという事態に至った。ついに民放キー局やNHKでも取り上げるようになり、世間の批判の声は高まっている。このタイミングで触れるようになった人もいれば、そうではない人もいる。ジャニオタの知人の中には、この状況が受け入れられず、毎日涙が止まらないという人もいた。

■なぜジャニオタはこの報道に沈黙してきたのか

では、なぜ多くのジャニオタはこの報道に沈黙してきたのか――。

もちろん実際に権力構造を利用した性加害があったのならば、それを肯定するつもりはない。普通ではない事務所だから、一般の規範を当てはめるなと言うつもりもない。だが、自身を含むジャニオタの心理を分析する本稿をお届けすることで、この混沌とした、単純ではない状況の理解の一助となれば幸いである。

沈黙を呼んでいる理由には、もちろん大前提として、自分の好きなタレントが「被害にあっているのでは?」という好奇の目に晒されることに耐えられない、という心理があるだろう。だが、それだけではない。

ジャニー喜多川氏の性加害報道を事実として認める、ということは以下の2点を認めるということになる。

①    ジャニー喜多川は性加害者である
②     ジャニー喜多川はセクシャルマイノリティである(そして、その性的関心は男性・少年に向いている)

見出しでは①が強調されることが多いが、記事をきちんと読めば②の事実もすぐにわかってしまう。

1999年から始まった週刊文春のキャンペーンでは「ホモ・セクハラ」といった文字も踊ったが、さすがにLGBTQ理解増進法案が検討されている現在の日本において、②の部分が強調して報道されることはない。だが、結果的に②の要素は伝わってしまうことになる。①の要素にスポットがあたっていても、今回の報道はこれまで公然の秘密であった②の要素が白日の下に晒されることとセットなのである。一応付記しておけば、本人の同意なく性的指向が明らかにされることを「アウティング」と呼び、現代ではよくない行為であることが認知され始めている。

権力構造を使った性加害を肯定する理由にはまったくもってならないが、社長も男性で、タレントが全員男性の事務所において、②の要素がなければ、加害自体が起きていないであろうこともまた事実だ。2つの要素は密接に繋がっている。そしてもちろん②の要素単体だけでは、なんら責められるべきものではない。

高まる世間のバッシングは、この部分を明確に分けずにいるものが多い。実際、個人のSNSレベルでは僕のもとにも「気持ち悪い」といった差別的な声も届いている。

2009年当時「ジャニオタ男子」という言葉を初めてメディアが取り上げ、僕が雑誌に登場した際には、「でもゲイじゃない!」という惹句が踊っていたが、現在では同性のファンがつくことも認められるような雰囲気に変化したことを思うと、時代が逆戻りしてしまったようにも感じる。

脳科学者の茂木健一郎氏がジャニーズのエンターテイナーとしての実力にまで疑問を呈するなど、著名人の中にも、性加害についてではなく、すべてを一緒くたにし、ジャニーズ全体を責める声もある。本質的には性加害だけを責められていても、ジャニオタはジャニーズという文化まで含めて責められているように感じるだろう。

そんな心無い言葉は無視すればいい、前時代的だと切り捨てればいいと思うかもしれない。だだ、なぜジャニオタはそれに心を傷めるのか。それは②が現在のジャニーズ事務所をつくり上げるうえで不可分な要素であることに気づいているからである。

■ジャニー喜多川演出の根底にあるもの


ジャニー喜多川氏の演出家としての才能と、人を見る目がなければ現在のジャニーズ事務所の成功はないと言ってよく、それらは②の要素と不可分なものなのである。

ジャニーズJr.の多くは、ジャニー喜多川の作・演出の舞台や、意見が強く反映されたコンサートなどで経験を積んでいく。

例えばそこでは、少年たちが水着姿で水鉄砲を掛け合ったり、年齢を示唆する「14、15、16、17。その響きが好きだから!」という台詞があったりと、氏の②の趣向を感じられるものが多い。むしろ、氏の作・演出の舞台でそれを感じないように鑑賞するほうが難しいと言ってもいいかもしれない。

それをエンターテインメントとして昇華させられるのが氏の才能でもある。その世界観に魅せられて舞台に足繁く通うジャニオタも多い。

ジャニーズの世界では好きなタレントのオタクであることを「◯◯担」と表現する文化があるのだが、氏のつくり出すエンターテインメントや事務所のタレント全体が好きであることを指し示す「ジャニー担」という言葉まであるほどだ。僕もその異世界に魅了されてきたひとりだ。

半世紀以上に渡ってジャニーズ事務所が人気タレントが輩出し続けられる理由の根底にこの確固たる世界観があるだろう。その類まれなる感覚を持ってジャニー喜多川氏は“男性アイドル”というジャンルを創出したといっていい。本人も「確かに今はアイドルと表現されていますけれども、ガキタレ、ジャリタレは僕が作ったようなものですね」と自負する発言をしている。(週刊SPA! 1990年7月4日号)
氏に②の要素がなければ、日本に男性アイドル文化、いやアイドル文化自体が誕生していなかったといっても過言ではないだろう。

そして、どんな芸能事務所が真似しようとしてもできない要素がそこにある。②の趣向をもった氏だからこそ、驚くほどの少年を見る目。本人は「僕には20年後の顔が見えるんだよ」(TBS系「A-Studio」2019年4月5日放送)と言っていたというが、実際にジャニーズJr.として鍛錬を積むうちに、どんどんと魅力が増していく例は枚挙にいとまがない。

■何がジャニーズ事務所を“特別”にしているのか

なぜジャニーズ事務所は特別なのか。取材や講演会などで僕がよく聞かれるテーマである。質問の方向性が少し変わり、EXILEを擁するLDHのダンスボーカルグループと、ジャニーズのタレントたちの違いを聞かれることもある。

僕はEXILEを体育系、ジャニーズを文化系と例えるに留めていた。しかし、その根底には実は「ジャニーズには目に哀しさを感じさせるタレントが多い」という分析がある。

明るい曲を歌っていても、どこかに悲しさを纏っている。そこに少年の儚さも加われば、唯一無二のものになる。それは、他の事務所のタレントには真似できない、圧倒的な表現であると思っている。
僕自身、その悲しさに惹かれてきた面が多分にある。悲しさとコントラストになってより輝く強さに魅了されてきた。

だが、もし彼らが醸し出す悲しさの根底に、事務所の社長に性加害を受けたという事実があったとしたら――。そう考えると、彼らに魅了されたジャニオタたちは“性加害を受けた彼らの悲しさも含めて愛している”ということになる。

そこに、応援という名のもとに、無自覚に性加害を容認してしまっていた自分たちの責任を感じることになる。

ジャニオタたちは、ジャニー喜多川氏の圧倒的な才能と選美眼の上にジャニーズという世界が成り立っていることを感じ続けてきたはずだ。そして、それを下支えするのは②の要素であることも。

ジャニーズを深く愛していればいるほど、一連の問題については深く考えたうえで、しかしそれは事実であれば自分たちの心の痛みになるから、あえて不感症になってきた――というところが、ジャニオタたちの実感ではないだろうか。

他人事のように書いてしまったが、これは僕自身の話でもある。
告発が事実だとすれば、自分は“異常の上に成り立っていた異世界”を愛してきたということになる。
これまで、「男がジャニーズ好きなの?」と訝しがって見られてきた十数年がある。やっとその偏見が薄まってきたタイミングでこの報道だ。世間のジャニーズへの目の厳しさは、ジャニオタであることを公言しづらくしていくかもしれない。それでも「僕はジャニーズが好きだ」と言っていきたい。言えるような会社であって欲しい、とも思っている。
決してジャニオタを代表しようなどと思っているわけではないが、少しでも近い思いを抱えて悩んでいるジャニオタの人々と共有できればと思い、この文章を書いた。

■5月14日 発表の1時間前に


最後に、自分はジャーナリストなのかファンなのか揺れながら書いているこの原稿に、ファンとして参加した場所でのエピソードを入れてしまう無礼をお許し頂きたい。メディア取材も入っていない会場で、自分で購入したチケットで見た光景を勝手にここに記すことに葛藤はあるのだが、僕にとっては、現状を捉える上でとても重要なシーンだったので、記すことにする。

5月14日。僕は群馬県で、ジャニーズ事務所出身の4人組バンド・男闘呼組のライブに参加していた。1993年に活動休止した彼らが再結成し、30年前にまわるはずだった会場を中心に組まれた、復活ツアーである。色々な想いが重なって、ライブの半分くらいの時間、僕は泣いていた。
その終盤のMCで、メンバーの成田昭次さんがこう言った。

「4人を引き合わせてくれたジャニーさん、ありがとう」

ときに、ジャニーズ事務所代表取締役社長の藤島ジュリーK.氏が謝罪動画・文をアップする約1時間前のことである。当然、世間の関心も高まっていたタイミングだ。
既に成田さんはジャニーズ事務所の所属タレントではないし、強いて言う必要性があったわけではないだろう。もちろん、氏への感謝を述べたのは初めてではないが、この日は述べないという選択肢もあったはずだ。

それでも、成田さんはこのタイミングでその言葉を発した。ジャニー喜多川氏の名前を出した。そこには成田さんなりの、この状況に対する強い想いがあったのだと思う。
もちろん、感謝をしているタレントがいるから、その他のタレントの告発は嘘だなどと言うつもりはない。ただ、感謝をしているタレントがいることと、告発するタレントがいることは、相反しない、同時に存在しうる事実である。

物事は多面体で、プリズムのようにどの方向から光を当てるかで、反射する色を変える。
このとき成田さんが当てた光は、僕の目に、一連の報道とは違う色を纏って飛び込んできた。
(了)

(↑文章で伝えづらいニュアンスは音声メディアで補足してあります)

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