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清水慎一自叙伝【4】菓子屋での修業がはじまる

そんなこんなで、なりたくもなかった菓子屋になることになり、大学卒業と同時に都内のパティスリーでパティシエとしての第一歩を踏み出しました。

今でこそ、『修業』なんて言葉は使いませんが、当時は『修業』なのか『修行』なのかわかりませんが、とにかく厳しさに耐えて技を得るという時代です。

当時、『パティシエ』という言葉にさほど市民権はなく、『菓子屋』とか『菓子職人』という方がしっくりしていた時代の影響もあり、今となっても自分のことを「パティシエ」とはなかなか自己紹介したことのない清水慎一です。

それでも、ようやく『パティシエ』とか『パティスリー』という言葉が世の中に出始め、その中でも『カリスマパティシエ』がテレビや雑誌などに取り上げられるようになった頃だと記憶しています。

僕が菓子業の道に入って一番最初に修業させてもらったのは、都内中央区にある【東京洋菓子倶楽部】というお店でした。明治座や水天宮、古くから代々続く料理屋もあるような歴史のある街でもありながら、オフィス街もあり、その一角にあるお店で、少し歩くと隅田川があり街並みが綺麗な場所でした。(当時はそんなことを知る余裕もなく、だいぶ後になってから知っんですが…)

製造スタッフがチーフを入れて4〜5名、販売スタッフが3〜4名のお店でした。

僕は大学を出てから、この業界に入ったので、周りの先輩たちは年下か同い年。ずっと野球という縦社会にいた自分には、まず、それがたまらなく嫌だったことを覚えています。年下や同い年に敬語を使うということがたまらなく嫌だった…そんな頃です。笑

僕はとにかく不器用で、覚えも悪くて、怒られない日はありませんでした。でも、今思うと、あの頃の自分は本気で仕事をしていなかった…「適当に『修業』して、適当に数年の経歴作ればいいや…田舎で商売するんだし…ずっとここにいる訳じゃないし…」

入社間もない頃は本当にそう思っていたので、そんなヤツが仕事できるようになる訳がないし、チーフや先輩だって教えてくれる訳がないんです。

そんなことにも気付かずに、本当にテキトーにやってた自分でしたが、半年くらいしてからあることがきっかけで、仕事に本腰を入れるようになってなっていくのです…

続きはまた後日。

YouTube
清水慎一パティシエチャンネル

https://youtube.com/channel/UCovy04AOB1g48h9UkOAwxYg

YouTube
清水慎一マネジメントチャンネル

https://youtube.com/channel/UCHRGvYW0dWbo5uA-r-EbLRQ

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