見出し画像

清水慎一自叙伝【3】菓子屋になろう!と決意する

前回までのエピソードを読んでから、先に進むことをオススメします🎶

僕は小学校4年生から野球をはじめて、中学高校大学まで、硬式野球部に所属していました。
大学時代のチームメイトや同リーグからは何人もNPBプロ野球選手になっています。

僕もプロ野球選手を夢見て少年時代を過ごしていましたが、さすがにそれは無理だと実感させられたのは、遅ればせながら大学時代でした。
大学2年生までは本当に順調にベンチ入りして試合でも投げていましたが、(あっ、僕はピッチャーです!よく見た目からキャッチャーだと言われますが…💦)3年生になってからはベンチから外れ、4年生の時はベンチにはいても試合で投げることはありませんでした。

それが、人生初の挫折と言ったら大袈裟かも知れませんが、自分が存在しなくても何の問題もなく動いている組織を見るのが初めてだったのもあり、自分の無力さを知ったショックは相当なものでした。とは言え、そんなに野球に没頭していた訳でもなかったのですが…。

そんな経験もあり、指導者になろうと思って教職免許の履修をして、高校野球の監督になるつもりで大学時代を過ごしていました。

大学2年生のとき、母が東京に来ることがありました。それまでは両親が仕事を休んで東京に来るような余裕はなかったので、稀な機会に母と将来の話をしました。
僕は、菓子屋を継ぐ気はないこと、高校教師になることを伝えたんです。そのときの母の反応は、「夢があるならがんばれ」というものでした。正直怒られると思っていたので、拍子抜けしたというか…安心したというよりも、申し訳ない気持ちになりました。

母が帰った後、ずっと考えました。

本当にこれでいいのか?

両親が守ってきたお店を、自分のやりたいことを優先させて継がなくてもいいのか? 

もし自分が店を継がなかったら両親はどうなるのか?店はどうなるのか?

身を粉にして働いてきてくれて両親…伊那市で一番になりたいと言い続けた両親…それを引き継がなくて本当にいいのか?

自問自答が続きましたが、気持ちが決まるまでにそう時間はかかりませんでした。

『母親を助けるために菓子屋の道に進もう』

後から聞いた話ですが、父もまた僕と同じように「菓子屋になりたいと思ったことはなかったけど、母親を楽にしてあげるためには自分が菓子屋を引き継いでいくという選択肢しかなかった」と話してくれました。

僕も菓子屋になりたいと思ったことは一度もありませんでしたが、『母親を助けたい』という理由でこの道に入ったのが全く父と同じだというのは、何か通じるものがあるというか「あ〜同じ理由で良かったな」と思ったことを思い出します。

僕はもともと菓子屋への憧れもなく、この道に入ったので、『普通の菓子屋』がわからなかった。だから、人と同じことをしていく菓子屋にはなりたくなかったし、今も色々なアイデアが湧いてくるのは、『菓子屋への憧れ』がなかった自分だから既定路線ではない手段を取れる自分がいるんだと思います。

YouTube
清水慎一パティシエチャンネル

https://youtube.com/channel/UCovy04AOB1g48h9UkOAwxYg

YouTube
清水慎一マネジメントチャンネル

https://youtube.com/channel/UCHRGvYW0dWbo5uA-r-EbLRQ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?