論理

ろん‐り【論理】
読み方:ろんり
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「—に飛躍がある」
2 事物の間にある法則的な連関。
3 「論理学」の略。

小学館 『デジタル大辞泉』

 或る業界に従業員として身を置き、日々働けば働くほどに、業務の根本にある(べき)論理が気になる。だが、概ねがマニュアルの記載事項や慣例といった表面的な話で片付いてしまう環境下において、それをきちんと理解している人間は決して多くはなく、疑問を投げた先から時折返ってくるのは、「明快」の二文字からは程遠い、納得のいかない回答である。

 従業員それぞれが論理を駆使することで、組織は幾分真っ当に運営されるに違いない。ただし、業務における論理とは法律のように明文化されたものもあれば、そうでないものまで多種多様である。ゆえに、すべての従業員に業務一つ一つの論理的構造を理解させるのはかなりの時間と労力を要するために、組織はマニュアルという形で業務に明確な手順・禁忌事項を設定することで、従業員に具体的な技術のみをインプットする。その技術に基づけば、個々の従業員において、擬似的に論理ありきの稼働が実現されるといった具合である。

 マニュアルによって組織の円滑な運営はとりあえず達成される。それゆえ世間には「理想的な従業員=マニュアルを遵守する人材」という考え方が浸透しているように思われる。本来、職業人に必要なのは論理を駆使する能力であり、マニュアルを遵守する従順さではない。だが、目的と手段を履き違えた多くの人々は、マニュアルを表面的に理解し業務を遂行していれば、それ以上を追求する必要性はないと考える。
 マニュアルはその性質上、「ある」条件に対応するものであり、「あらゆる」条件に対応するものでないことが大半である。ゆえに彼らをマニュアルに記載のないイレギュラーな事態に遭遇させれば、その考え方の問題点は露呈するだろう。彼らは応用が効かない(論理を使い慣れていない)ために、論理から外れたとんでもない判断を平然と下してしまう可能性がある。
 その結果、ある従業員が重大な過失を発生させたとしよう。対外的責任は組織が負ったとしても、組織内で彼の扱いはどうなるか。おそらく減給かクビである。ただ彼はこう抗弁するだろう。「あくまでマニュアルどおりに業務をおこなっていた」と。だが、残念ながらクビはクビである。
 あらゆる組織は従業員に対してマニュアルを与えると同時にマニュアル以上のことを求めているという、ある種不条理とも言うべき構造に気づかなければならない。要はマニュアルを以てマニュアルを飛躍し、その根本たる論理に辿り着かなければならないのである。

 再度述べると、マニュアルをなぞっていれば、組織が想定した範囲内では従業員として相応に機能できるだろう。だが、人間社会は想定外を次々生み出すことに長けているために、思わぬ事態は日常茶飯的に発生する。そして、雇用契約における業務内容にはそれに逐一対応することも含まれている。ゆえに逃げずに対処しなければならない。
 そこで用いるべき手法として論理的思考が登場するわけである。置かれた状況を細かく分解し、自分が持ち合わせている論理と照らし合わせ最適解を考えてみる。たとえ正解を導き出せずとも、禁忌を避けることくらいは可能だろう。分かりやすく言えば、人間らしく頭を使って、自分を守るのである。

 以上から、働くことにおいてその根幹たる論理を知る必要性は言うまでもない。また、職業人として身に付けるべきは、マニュアルどおりに働き続ける従順さ・根性などではなく、ブラックボックス化したマニュアルを紐解くことでその根本にある論理に迫り、さらには論理を理解した上でマニュアルをより妥当性のあるものに改善しようと試みるような、前衛的姿勢であると私は考える。

 私は上記の前衛的姿勢をモットーとして日々業務に向かっているため、あらゆる論理の吸収・実践を業務上の最優先事項としている。ただ、この態度は周囲にとってみれば賛否両論だろう。要は、扱いが面倒臭い変わり者にすぎないわけである。


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