清水家からの決別

明日は成人式、誕生日は2月だからあまりそういう実感はない。明後日私は実家を出る。
原因は年末、立て続けに起こった事件のせいだ。

彼氏とのお泊まりデートが終わり家に帰った。そしたら父親にバイ菌なんだから早く風呂に入れと言われた。言い返す気力もなくただただその場で過呼吸になった。父親は体をさする訳でもなくただただソファーに座っていた。しばらくするとお母さんが来て背中をさすってくれただけどバイ菌だから早く死なないとって思った。

そしてその2週間後くらい経ったかな?くらいで今度は祖父からの攻撃を受ける。その日は確か年末最後のゴミの日だった。ゴミ箱からゴミを出す時、私を持ち上げてゴミの中に入れさせられるようになった。
きっと祖父的にはシャレのつもりだったのかもしれないでも私には理解できなかった。
ただでさえ病んでいる時期にボディーブローをかまされた気分だった。

私はこの家でバイ菌やゴミ扱いを受ける。その日から声や咳払いを聞くだけで動悸がして、過呼吸になるようになった。どうして私はこんな仕打ちを受けないといけなかったんだろう。
今まで何でも率先して家で手伝いをしていた。
なのにどうして?

私は父親との記憶はあまりない。自分を守るために解離してしまうから。
父親はテーマパークとか百貨店、イオンなどに連れていってくれる人ではなかった。
自分の仕事の都合で、農園の挨拶回り、媚び売りなどをしていて連れていってくれる場所はいつも農園や花畑、秩父、那珂湊だった。

あと、父親は『 北の国から』が大好きな人だったため一年に一回は北海道旅行をした。こうやって聞くと素敵な父親に見えるでも車の中ではいつものように暴君だった。思い通りにいかないとキレた。どうしたらいいか分からなかった。何に怒っているのかも私には分からなかった。覚えてないから。

私の父親の口癖は、お前が1番偉いのかだった。
偉いっていうか家族だし平等では?と思っていた。
私はたくさんの暴言と性的虐待、暴力で育ってきた。それが当たり前だと思っていた。
それはどうやら違うということを20年生きてきてやっとわかった。
散々父親の悪口を書いたが、母親は何もしてなかった訳では無い。私が虐待を受けている時は父親に蹴りをいれていたし、私がお説教という名の父親リサイタルを受けている時に反発してくれたのがお母さんだった。

先のことは分からない
でも、私が父親の介護をすることは無いよ。
母親はウェルカムだけど。
祖父もあと3年で米寿になる。でも出席するつもりは毛頭ない。
あと何も触れてなかったけど祖母のことは大好きなので安心して欲しい。

さようなら清水家。私の居場所はここには無い。これからは彼氏と手を取りあって楽しく生きていくよ。
家族LINEも抜けるね。今までありがとうございました。さようなら。

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