生活感のある単語について

最近、一番「生活感」のある単語は何かについて考えている。

太宰治の小説『人間失格』の中で、主人公とその友人の堀木が「悲劇名詞」と「喜劇名詞」について語り合う場面がある。汽車は悲劇名詞、バスは喜劇名詞といったように、単語の持つイメージがプラスかマイナスかを決める遊びだ。彼らに言わせれば、「喜劇に一個でも悲劇名詞をさしはさんでいる劇作家は、既にそれだけで落第、悲劇の場合もまた然り」ということらしい。

それと似たような感じで、言うなれば「生活感名詞」のようなものがある気がしている。

例えば、僕はMy Hair is Badというバンドが好きなのだが、彼らの曲には生活感を感じられる単語がよく登場する。『戦争を知らない大人たち』だったら「フライパンの残り」「溜まっていった郵便」、『卒業』だったら「田園都市、矢印は緑」「乾いたランジェリー」あたりだ。

このような生活感名詞を使うか否かは、結構バンドによってはっきりと別れている気がする。他にも、yonigeやamazarashiとかはこういう単語を歌詞に織り交ぜがちだ。逆に、RADWIMPSやBUMP OF CHICKENとかは全くと言っていいほど使っていない。ここはバンドの色が非常によく現れる場所だと思う。

さて、話を戻そう。僕が思うに生活感とは、人が生きる上でどうしても隠しきれない、飾り気のない姿のことだ。家具の色は全て白で統一され、ラベンダーのアロマが部屋全体に香る、まるで無印のショールームのような部屋よりは、古い畳の上に机が置かれ、昨日焼いた魚の匂いがまだ残っているような部屋の方が生活感があるように思える。周りに見せるためではない場所、Instagramに投稿する写真の画角の外にこそ生活感は存在する。

となると、一番生活感がある単語は「生乾き」あたりだろうか。他人に進んで見せたいものでもないし、生乾きの洗濯物が生じるのは自分の家以外では有り得ない。「ゴミ出し」「結露取り」あたりも考えたが、最も年中身近にあって、家以外では見かけない事象と言えばやっぱりこれな気がする。

飾らない故の美しさというか、停滞する幸せというか、そういうものが生活感名詞からは感じられる。だから少しばかりの楽しみとして、日常の香り漂う単語を探してみるのである。

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