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30Minutes to Mars外伝「黒犬街道」


ここはまだ地球軌道上。
グリニッジ標準時が適用される範囲内だ。

モニター端で上下に並ぶ地球時間のタイマーと、その時間に"四十分が加算された"状態で表示されているタイマーとを見比べる。
彼のホームであるドイツ、リムブルクは正午を過ぎる頃合である。

ふと、前方を見やる。
宇宙空間では全ての距離感が曖昧になってしまうが、モニターの計測表示を頼るのであれば小型戦艦数隻分の距離を置いたあたりか。

漆黒の空間内に、場違いなほど強い輝きを放つ、三角形状のフィールドがある。


時空転移門(ゲート)。


人類の歴史を塗り替えた、全ての「元凶」。

数十年前のある日、何の前触れもなく人類の前に出現したそれは、異なる空間同士を行き来可能な転送装置であり、その性質はかつて空想の産物とされていたワームホールを実在化させたようなものだ。

人類の科学技術水準を何世紀分も引き上げると同時に、新たな争いの種を蒔いたのが目の前にあるファーストゲート。

二度目の出現を果たした新たなゲートからは、地球への侵略者をも招いた。

こんな物さえ現れなければ、もっと平穏な時代を生きられただろうか。

宇宙空間対応仕様にカスタムされた愛機、地球連合製エグザマクス・アルトのコックピット内でグレッグ少尉は一人、そんなゲートに対し複雑な眼差しを向けた。

あと三十分もすれば「あちら側」から主賓が出てくる頃だ。
今回の任務はその主賓の護衛任務である。


「なぁ、アンタはどう思う?」


不意に飛び込んできた音声通信の識別コードを確認する。
発信元は今回の任務を共にする数機のうち、自機の近くへ配置された機体からだ。

秘匿性の高い本任務は通常と異なり、地球連合内からランダムに選出された人員を寄せ集めた急造の部隊編成で実行される。

そのため決まった指揮系統も持たず、互いに自己紹介でもなければ相手の素性も分からないという具合だった。

周辺には無数のデブリ(漂流する隕石や衛星、兵器などの残骸)が漂っている。
どの機体も、それぞれ身を隠すように手頃な大きさのデブリを盾にしているために機影までは確認できないが、相手の声からして過去に面識はないはずだ。

「どう思うって、何が?」

「あっち側の事さ。火星だかなんだか知らんが、本当にあんなもの存在するのかね?」


宇宙空間での任務というのは、とかく不安感を掻き立てられるものだ。
装甲一枚を隔てた外には、深淵な暗黒の世界だけがどこまでも続き、そこには一切の音もない。

話題は何でもいい、とにかく誰かと会話でもしたくなる気持ちは、この任務を数度経験しているグレッグにも分かる。
まだ若干の時間もあるので、少しこの男の世間話に付き合う事にした。

「そりゃあ、あるだろうさ。じゃなけりゃ、存在しない星の利権争いに地球中の国家が何十年も掛けたのが馬鹿らしくなるだろう」

「違う違う。火星が実在する事は俺だって分かってるさ。俺が言いたいのは、あそこにある"アーティファクト"ってやつだ」


アーティファクト。
それこそがこの任務で最優先とされる護衛対象であった。

地球連合と惑星バイロン、ゲートの因果に引き寄せられるよう始まった両惑星間の大戦を契機に、各所で同時多発的に現れ始めた超兵器群の総称だ。

既知の科学力を凌駕した性能を持つ各種兵器や、機動兵器のパーツ。
時には現行の兵器と何ら変わらぬ性能の「ハズレ」や、あるいは現代科学では原理すら解明できぬ、操縦者の意思で操作可能な遠隔操作兵器や相転移の原理を使用していると思われるような装甲など、眉唾ものの存在も耳にする。

そうしたアーティファクトの数々は、今見据えているファーストゲートの向こう側···火星に多く眠っていると聞く。

地球連合の中から選出された部隊が昼夜を問わずその確保に当たり、定期的に運行される火星〜地球間の移送に際して、その出入口となるゲート、つまり今まさにグレッグ達が目にしている場所から、アーティファクトを積載した輸送機が現れる手筈となっている。

言うまでもなく、輸送機に積まれたアーティファクト達は地球、バイロンどちらにとっても喉から手が出るほど欲しい存在だ。
故に復路となる輸送機の帰り道には、バイロン側からの襲撃も予想される。

そうした襲撃に備えた輸送機護送のため、今はグレッグ達がゲート周辺地域の哨戒に当たっているのである。


「普段俺達が使っている正規の装備よりも、すげえ性能のもんが火星にザクザク眠ってる。そんなもん、どう考えたってファンタジーだろう」

「おいおい。だったら今やってる任務は何だってんだ?俺達はいったい何を護ってて、バイロンはいったい何を奪おうとしてるんだ」

内心で苦笑しながら応じる。
過去に三度この任務を担当したグレッグだが、その内一度は実際にバイロンの襲撃にも遭遇し、どうにかそれを退けていた。

「そりゃあ、公には出来ないもんさ」

「公に出来ない?」

「ああそうだ。アンタは口が堅い方かい?」

「まあ、軽くはないつもりだ」
この男ほど気さくにペラペラとは喋れない、という意味も含めて。


「なら教えてやる。俺達が護ってる積荷の正体はな。
いいか、笑うなよ?

·····ずばり、埋蔵金さ」


「ハハハハハ!!!」

「おい、笑うなって言ったろう!」

「ハハハ、すまんすまん。急にぶちかまされたもんだから、ついな」


埋蔵金。あまりに突飛な単語に、思わず相手の前置きを無視して笑ってしまった。


「なにも俺だって、全く根拠もなく言ってるわけじゃないんだ。
あのな、火星の開拓が始まった数十年前、***国が大量の国債を抱えていた事は知ってるか?」

「ああ。とんでもなく不景気だったらしい事くらいはな」

「その頃の大統領ってのが、これまた舵取りの下手くそな奴でな。国内の大企業や資本家に対して、軒並み対象課税を増やして解決しようとしたらしいんだ」

「それはまた、随分な愚策だな。
そんな事をすりゃ、みすみす高額納税者を国外へ転出させちまいそうなものだが」

「そこは大国ならではの"みかじめ料"ってことで治めようとしたのかもな。
で、そんな矢先にスカイフォールさ。***財団は知ってるだろう?」

「もちろん」

それこそ聞いたことのない者は居ないであろう巨大組織だ。スカイフォール···つまり今目の前にある、人類が初めて遭遇したゲートの出現時を境に、主に惑星開発分野を中心として急速に知名度を上げていった。

特に近年では彼らが今乗るエグザマクスの開発元企業、サイラス社の母体としても名を馳せる。

「どの国も血眼になって火星を開拓し始めた時に、財団は***国へ途方もない額の資金と、現地開発の為の人材を提供している」

「そりゃ、火星に移住した後の便宜を図ってもらうためか?」

「もちろんそれもあるだろうが、一番の目的は別にあったのさ。
財団はその時、とんでもない所得隠しの方法を思いついたんだ」

「·····おいおい、まさか?」
真に迫った驚き方をしてしまった。
もちろん話の内容ではなく、この男の発想の飛躍具合にだ。

そうと知らずか男は、より熱の篭った調子で話し続ける。

「そのまさかだよ。貨幣なんて価値はいくらでも変動しちまう。実際この数十年で、どこの国もとんでもないデフレを味わったろ。
だが、それがもし金塊ならどうだ。
何十年、何百年経とうが価値は変わらない。どころか、鉱物資源が掘り尽くされつつある今は高騰する一方だ。
紙でできた札束と違って経年劣化もしにくいし、何よりも物理的に隠すなり埋めるなりするにゃ最適だ。遠く地球から離れた火星は、まさしく究極のタックスヘイブンてわけさ」

にわかに話が都市伝説じみてきた。

「えーと·····つまりあれか?お前さんはあのゲートで行き来してる物資は、アーティファクトじゃなく財団の隠した金塊だって言いたいのか?」

呆れの混じった声を取り繕う気も起きず、問いかける。

「ああ。奴ら財団は今や地球連合の中枢にも顔が利く。お抱えの部隊を使って輸送機一隻を動かすなんて、お手のものだろうな」

「···地球の金塊をバイロン側が欲しがるとも思えないんだが」

半ば投げやりな気分で、もっともな疑問をぶつけてみる。

「甘い!甘いなぁアンタ。
バイロンの奴らが今最も力を入れている活動は何だと思う?」

「いや、わからん」

自業自得とはいえ、この会話に付き合うのも疲れてきた。

「地球への潜伏活動だよ。アンタも知ってるだろ。バイロン人ってのはな、俺達地球人と見分けのつかない姿をしているんだ。言語体系も、連合軍の統一言語とほぼ変わらんらしい」

「まるでメン・イン・ブラックだな。それで?」

皮肉のつもりだったが、相手は気付かぬ様子で続ける。

「となれば、一番欲しいものはなんだ?金さ。地球人の中に溶け込んで生活するには、何をするにしたって金が要る。山盛りの金塊とあれば、連中だって是が非でも手に入れたいだろう」

「·····なんてこった。俺達は、そうと知らず金塊の争奪戦に巻き込まれていたのか」

少し、棒読みが過ぎたかもしれない。
この男はもはや自分の熱弁に酔って、そんな事は気にも留めなさそうだが。

「まぁ、あくまで噂だがな。少なくともアーティファクトなんて都市伝説よりは信憑性のある話だと思うぜ」

「なるほどな。で、お前さんはその情報をどこから仕入れてきたんだ?」
今度は、少しだけ神妙な声色を作ってやる。

「悪いがそれは企業秘密ってやつでな。まぁ、いつの時代もアンダーグラウンドの情報網ってのはあるのさ」

(大方どこぞのネット掲示板か)と内心で呟く。

任務開始前の暇を持て余してはいたが、だからといってこんな無駄な時間を使ってしまったことを、少し後悔した。

アーティファクトという都市伝説は信じないが、埋蔵金という都市伝説や陰謀論なら信じられる。そんな思考回路には、自分ではおそらく一生かかっても到達出来まい。

そして実を言えば、端から的外れな与太話であろう事は察しがついていた。
この男の話は、前提からして破綻しているのだ。

何故なら。


アーティファクトは実在する。

他ならぬ自分が証人だ。

かつて、共に死線を潜った戦友を想う。
彼が戦場の只中で何かに導かれるよう手に入れた、あの銃。

敵を撃ち倒すたびに形状を変え、性能をも変容させる。
まだアーティファクトという概念自体が広く認知される前の出来事ではあったが、あんな規格外の代物が、アーティファクト以外の何だというのだ。

いつも「照準が左にずれる」と嘆いていたあの銃。
風の噂では彼も地球でどこかの小隊に編入されたと聞くが、今でも愛用しているのだろうか。


そして、自分達が当たり前のように使っている地球連合から支給された兵器類。
これにしたって、アーティファクトの技術を流用した物かもしれないとグレッグは考えていた。

今回与えられた宇宙仕様装備も、標準の狙撃用アーマーの発展形だと説明された光学センサー内蔵の見慣れぬ頭部や、機体各所に増設されたスラスター類など、少し前には戦場で見掛けることのなかった装備ばかりだ。

地球連合の開発力が優れている事や、乱立する民間企業がこぞって新兵器の開発競争に乗り出していることを差し引いたとしても、さすがにこの開発スピードは異常である。

何らか、他の要因が後押ししているのではないかと考えてしまうのが道理だろう。

とはいえこの男に、わざわざそんな話を聞かせる気分にもなれなかった。
むしろ陰謀論好きにはうってつけの都市伝説を自分も一つストックしていたな、と思い出す。

「どうも、俺はとんでもない秘密を知っちまったらしい。礼になるかは分からんが、こちらもこんな噂話を聞いた事があってな···
お前さん、『ヘルハウンド』って名を知ってるかい?」

「いや?何だそりゃ、随分と物々しい名前だな」

こうした話題が好きでたまらないのだろう。怪訝そうな言葉とは裏腹に、弾んだ声音が返ってくる。

「俺も詳しく知ってるわけじゃないんだ。ただ複数の戦地で同じような話を聞くもんで、どうにもただの噂話とは思えなくてな」

「ほう、どんな内容だ?」

「よくある話さ。地球連合内部で、正規の軍とは別に"闇の別働隊"が存在するってな」

「お!闇、ときたか。
いわゆる汚れ仕事を請け負う暗殺部隊だの、粛清部隊だのか?」

さも楽しげに物騒な単語を並べる。

「いや。隊と言いながら実際に目撃されるのが常に一機の黒いエグザマクスらしい。
なので、いわゆるワンマンアーミーってやつじゃないかと言われているな」

「ワンマンアーミー、ね。俺が言うのも変な話だが胡散臭い響きだ」

「違いない。いわく、目撃例のあった場所ってのもきな臭い地域ばかりでな。中南米の非合法組織が根城にしているエリアだったり、アジア方面の過激派テロ組織が潜伏しているエリアだったり。
他にはバイロンが議会を堂々と占拠しちまったもんで、国民全員が人質になっちまったエリアだったりな」

「つまり、連合としては表立って作戦行動に出づらい場所か」

「ああ。ただでさえバイロンからの防衛に人手が割かれてる時に、いちいち相手にゃ出来ない奴らばかりだ」

「あんたの話にケチをつけたかないが、そりゃどこぞの傭兵でも使ってるんじゃないのか?」

男の言う通り、多方面に渡るバイロンの侵攻に対しては、地球連合が正式にPMC(民間軍事会社)を利用する事もあった。
しかし、それならば都市伝説化するような所属不明機ではなく、むしろ友軍からの誤認防止に堂々と姿を現しそうなものである。

何より、ただ報酬の為だけに請け負うにしてはリスクが高い戦場ばかりを、かなりの広域に渡って転戦し続けている、という点も不自然だ。

もちろん、そんな目撃例全てが真実と仮定すれば、の話だが。


そんな思考を遮るように、コックピット内の"四十分が加算された"···つまり火星時間に合わせたタイマーから、作戦開始五分前を告げるアラームが鳴った。

「おっと!お喋りはここまでだな」

「ああ。アンタの話も面白かった。生き延びられたら、またこんな話を肴に一杯やろうや」

そう言いながらアルトの宇宙戦用武装であるビームライフルと、左腕に備えたサブマシンガンのセーフティを解除してゆく。

先ほどから身を隠しているデブリは、過去に撃墜されたシャトルの装甲板だろう。
手頃な取っ掛りをマニュピレーターで握らせる。アルトがすっぽりと覆われる大きさを利用し、このままデブリへの偽装を兼ねた簡易シールドとして利用するのだ。

続いて、全天周モニターのスイッチをオンにする。
先ほどまで前面のみに展開していたモニター表示が、グレッグの周囲全体に展開する。
頭上も、足元も、背後にも真空の星空が広がった。

実を言えば、この瞬間が一番苦手だ。
モニター越しの虚像と理解してはいても、身体ひとつで宇宙を漂流しているような感覚になる。
つい、着込んだパイロットスーツの気密をチェックし直してしまうのも習慣だった。

周辺に待機していた機体も、アルトのゴーグル状頭部を前方のゲートへと巡らせている者、グレッグと同じくデブリへの偽装を継続したまま姿勢を変える者など、めいめいの準備を進める気配がした。


残り三分·····


二分·····


徐々にカウントダウンしていくタイマー表示に比例するように、心拍数の高まりを感じる。


一分·····


三十秒·····


タイマーが残り八秒を示したところで、ゲートの光に変化が現れる。

均等な三角形を描いていたシルエットがぐにゃりと歪みながら、不定形の渦へと変わっていく。
光はさらに輝きを増しつつも、その光を遮る巨大な影が染み出すように現れた。

火星からの輸送機だ。

ゲートの輝きを後光にして現れたそれは、渦の中から這い出るような重さで、ゆっくりと体積を増していく。

アルトであれば優に数十機は積載可能な圧倒的質量を前に、モニター越しということも忘れ暫し圧倒されてしまう。

ものの数秒で巨大な影がすっぽりと吐き出されたことを確認するように、光の渦は再度集束し元通りの三角形状へと収まる。

同時に、今度は輸送機全体の表面が淡く虹色の輝きを帯びながら、周辺宙域の景色へと同化した。
光学式のステルス迷彩だ。

こちら側のモニターには、友軍からの誤射を防ぐために予め登録された識別信号を元に、簡易的な3Dモデリングで輸送機のシルエットが表示されるため、実像は見えずともおよその位置は確認ができる。

もしここにバイロンが現れようとも、当然あちらからの視認は不可能となる。

宙域に展開したアルト各機は、輸送機の位置を察知されぬようにつかず離れずの距離を保ちながら、周辺を警戒する。

そのうち何機かはデコイ(囮)担当の部隊だ。

先行してデブリ帯から飛び出し、輸送機の位置を特定させぬために敢えて異なる方面の宙域まで編隊移動する、という念の入りようである。


そうしている内に、数分が経過した。
今のところはイレギュラーもなく、輸送機は順調に進んでいる。

地球へ近付くにつれ、徐々に隕石群に混じって、過去に打ち上げられた衛星のソーラーパネルや外壁など、人工的な残骸も数を増していく。

輸送機に接触しそうな物体に関しては、こちらで細心の注意を払いながら軌道を逸らしてやるのもグレッグ達の仕事だ。

この辺りは"魔のデブリ帯"としてパイロットの間で有名な場所だが、その分だけ地球が近付いた事も意味する。

過去の同任務に照らして、今回はバイロンの襲撃も無さそうだ。

そうグレッグが胸を撫で下ろそうとした瞬間。


彼方から、幾条もの光線が飛び込んできた。


「!!」

まだ距離があるためか、あるいは足止めを狙った牽制射撃かは分からないが、向かって斜め上方から来た光線たちは、アルトと輸送機への直撃コースからは外れた周囲を通過していく。

「敵襲だ!上から来るぞ、気をつけろ!」

誰かの分かりきった号令より先に、みな一様に射線の方へと向き直る。

グレッグも手にしたままだったシャトル外壁をそちらへ投げつけるよう放りながら、アルトの頭部を向ける。
モニターの先に、恐らくは推進機からの放射であろう複数の光を認めた。

七···いや八機か。

陽動の為に先行していった数機を差し引いても、まだこちらには十数機のアルトが居る。
数では優勢だが、なにぶんこちらは大きな荷物を護衛している。接近させては分が悪い。

「チッ、今回はハズレかよ!」

悪態をつきながらも、敵機へ向かいスラスターを吹かす。

グレッグのアルト含め、こうした宇宙空間での任務用にカスタムされた機体の多くは、何よりも機動性を、こと360度全方向へ対応可能な小回りを重視するのが定石とされる。

上下左右、天地の概念が無い無重力空間に対応するためには、機体の各部に無数の推進機を備え、いかなる方向へも瞬時に転回できる必要があるのだ。

そうした各部のスラスターをフルに活用しながら、対象への距離を詰める。
すでに敵は放射状に散開し始めている。端の一機へ狙いを決めて進みながら、グレッグは敵機の姿を捉えるや愕然とした。

「何だこの機体は···?」


大きい。


それが第一印象だった。

惑星バイロンの主力量産機であるポルタノヴァには違いないだろう。
肩や頭部の特徴的な丸みを帯びたフォルム。
やや人相は違うものの、アルトのゴーグルフェイスとは対照的な単眼も健在だ。

しかしその脚部、特に膝から下は明らかに通常機とは異質だった。
大きく「くの字」に湾曲した長い脚部。
さながら逆関節のダチョウを思わせるそれが、通常のポルタノヴァより1.5倍ほどの全長をもたらしている。
そして、正面から相対しても覗き見える、背面の大きな背負い物。
こちらは先ほど遠目に見た光から考えて、大型の推進機だろうと推察した。

明らかに宙間戦闘に特化させたカスタム機だ。
さしずめ『宇宙仕様ポルタノヴァ』といったところか。

「!!」

見慣れぬ機体に迷う間もなく、敵が動いた。

宇宙用ポルタノヴァは、大型推進機の印象に違わぬ速さでグレッグ機に向かいながら、その横をすり抜け背後へと翔んでいく。

「くそっ、行かせるか!」

各部スラスターを駆使し最小の動きで機体を反転させると、急ぎ追いすがる。

相手の目的はあくまでこちらの輸送機だ。
いちいち戦闘に付き合う気は無いのだろう。

対してこちらは、任務の最終段階で自分を含む護衛部隊も輸送機へと格納され、そのまま大気圏へ突入する手筈になっているのだ。
輸送機を失う事=地球へ帰還する足を失う事を意味する。

「先手を取られた!こうなりゃアイツらが輸送機を探してる内に追いつくしか···」

進行方向、光学迷彩中の輸送機周囲の様子をズーム表示させる。
バックス(護衛担当)のため迎撃には回らなかった三機のアルトが、綺麗な等間隔を描いて周囲を警戒する様子が映された。

「おい!バックスは素人かよ!?」

これでは、三機の中心に護衛対象がありますと喧伝しているようなものだ。

グレッグが舌打ちする間に、宇宙用ポルタノヴァはすぐさまバックスたちの方向へと、推進機からの軌跡を描いて向かっていく。

「アホ共が、言わんこっちゃない!こっちが追い付くまでどれだけ掛かると思ってんだ!?」

推力バランスを小回り重視に配置したこちらと、相手の大型推進器とでは直線速度が違いすぎる。

だが宇宙用ポルタノヴァの進行方向には、魔のデブリ帯·····無数の小隕石群が迫る。
あの速度を維持したままでは、全身に隕石の礫を受け自滅するだけだ。

「バカが、そっちは渋滞中だ!」

相手の減速を確信し背後からの攻撃に移ろうとするが
「減速しない!?」

恐らくは、両腕に備えた大型の手甲で飛来するデブリを跳ね返しているのだろう。
なおも加速を続けるポルタノヴァが進むたび、小隕石の群れがモーゼのように左右へと弾き飛ばされる。

「こっちはデブリを避けながらだってのに···!他の連中はどうなった!?」

確認のため彼方を見れば、先ほど出現した敵機中の三機が、同様の宇宙用装備で輸送機との距離を詰めている。

グレッグ同様に迎撃担当も、圧倒的な速度に追従しようと推進剤を使い切らん勢いでスラスターを吹かし続けているが、進めば進むほど両者の距離は離れていく。

「あっちもダメか·····!」

歯噛みしながら敵の背中を睨み続ける。

と、前方の宇宙用ポルタノヴァに対して一筋の赤い線が横切った。


「流星?いやモニターの故障か?」


訝しむグレッグの目前で、唐突に宇宙用ポルタノヴァが爆ぜる。

「な·····自爆か!?」

かなりの速度を維持していたのだ、推進器に負荷をかけすぎてオーバーロードしたのかと考えた。


だが。


「いや。燃えている·····?」


今度はモニターではなく、我が目を疑った。

ポルタノヴァが真空状態で「赤々とした」炎を上げているのだ。

ちょうど寸前に見えた、赤い線の軌跡をなぞるよう斜めに噴き上がった炎に舐められながら、もがいている。

呆気に取られたグレッグの前で、先ほどとは左右逆の方面から赤い線が奔った。

いっそう勢いを増す炎が、見る見るうちにポルタノヴァの全身を覆い尽くす。

ものの数秒で、白系統の色を纏っていた機体は見る影もなく、周囲のデブリと同化するような炭化した鉄クズへと変わってしまった。

モニターの故障などではない。

"何か"が起きている。

異変に気付いたのか、輸送機へ向かう一群の先頭を行くポルタノヴァ三機が、こちらへと進路を変える。

『7番機!どうした、そちらで何があった!?』

進路変更した敵機を追撃中の僚機から入った通信に、成り行きを見守るしかなかったグレッグもハッと我に返る。

『いや、こっちにも何が起きてるのか分からん!分からんが、いきなり敵が燃えちまった!』

『は?ふざけているのか貴様!』

『違う!見たままを話しているだけだ!』

『ま、まあいい!とにかく我々は輸送機護衛に回るぞ!』

『いやおい待て、今こっちに敵の増援が···』


皆まで言い終えないうちに、高速機動の三機はすでにこちらの射程へと迫っていた。

やはり、速い。

一方的に通信を切った僚機達は、宣言通り輸送機への直進ルートを行くようだ。

「あいつらビビりやがって!どのみちこいつら全部落とさなきゃやられちまうんだぞ!」

怯んだ僚機に毒づきながらも、前方へ向けてライフルを撃ちまくる。

「まぐれ当りで良いからよ!一機くらいは命中しやがれ!」

そう願うも、着弾地点より手前で三機は散開し、互いに通信を交わす。

『さっきの爆発はこいつの仕業かもしれん!油断するな!』

『あぁ、不用意に近づくなよ!』

『包囲攻撃を仕掛けるぞ!』

それぞれ周りを旋回しながら、徐々にグレッグとの距離を狭めていく。

「くそっ、当たれ!当たれって!」

グレッグも破れかぶれの射撃を続けるが、全周囲を目まぐるしく入れ替わりながらの高速機動に、モニターも敵の残像を映すばかりで、ただの一発も当てられない。

『おい、コイツてんで大したことないぞ?』

『ああ、こんな腕で俺達の宇宙仕様機を仕留められるとは思えん』

『ふむ。この様子だと先の撃墜はマシントラブルによる自滅か。これ以上の様子見は不要だろう、行くぞ』

合図と共にグレッグへの射撃が開始される。

「おわっ!くっ、このっ!」

『ちょこまかするな!落ちろってんだよ!』

全天周モニターいっぱいに表示される敵の火線と鳴り止まぬ警告音。

三方からの同時攻撃に対し、各部のスラスターを全て駆使してどうにか回避する。

敵の距離が近付いたことでグレッグからも相手を捉えやすくなっているはずだが、回避に手一杯で満足な反撃は出来ない。
辛うじて近距離戦闘用のサブマシンガンを斉射するが、散漫な弾丸では巨大な手甲で防御されてしまい決定打に至らずだ。

『せこい戦い方だな!もらったぞ!』

ついには背後に回った一機が、グレッグへと肉薄した。
両手は通常のマニュピレータではなく、近接戦闘用のクローアームへと換装されている。

「後ろ!?しまった!」

振り向くと同時に、しっかりと両肩の付け根を掴まれる。
左に備え付けたマシンガンを回転させ、がら空きの腹部へ照準を合わせようとするが、それよりも先に肩アーマーごと左腕が圧壊してしまった。
離れた左腕を名残惜しむように、胴体部の付け根から火花が飛ぶ。

「くそっ、だったらこうだ!」

拘束から不本意に解かれた左側面のスラスターを一斉に吹かし、時計回りに勢いよく回転する。
弾みで右肩アーマーも犠牲にしながら、どうにか拘束を逃れた。

「この隙に···!」

『ふん、猿知恵だな』

離脱を優先しようとするグレッグに、しかし残る二機のポルタノヴァが立ち塞がる。

「どきやがれぇぇぇぇぇ!!」

苛立ち交じりの射撃は空しく宙を切るだけだ。

二機のポルタノヴァが、回避姿勢のままグレッグへ大型ライフルを向ける。

やられる―――

硬く目を閉じたグレッグだったが、十秒以上を待ってもしかし、その時は訪れない。

「···?」

恐る恐る目を開けると、こちらを狙っていた2つの銃口は砲身の半ばから先を失い、その断面はマグマのように赤熱している。

『何が起きた···?』

半身を残し消失した己のライフルをまじまじと見つめるポルタノヴァへと、今度は直上から二本の線が引かれた。

グレッグの目が、線の消えた瞬間を捉えた。

まるで獣の爪に引き裂かれたように、いびつな傷痕が内部フレームを露出させている。

間を置かず、またもそこから炎が噴き上がった。

「うおっ!!?」

噴出した炎の激しさに自機も飲み込まれかねんと、慌てて後方へ退避する。

『サムがやられた!どうなってんだ!?』

『やはりマシントラブルではなかったのか···?』

グレッグを取り囲んでいた残り二機もすでに彼に構う余裕はなく、単眼の視線を忙しなく四方へ廻らせている。

果たして自分は、何に巻き込まれているのか。

唐突な出来事の連続に、事態を整理できず立ち尽くすグレッグ機へと、通信が入った。


「一つだけ訂正だ。議会を奪還したのは俺じゃない、ありゃ別の特務部隊の仕事だな」

「えっ?」


果たしてどこに居るのか姿も見えぬままだが、識別信号を確認するまでもない。

つい先ほど、作戦開始前まで話していた声だった。

「悪い、輸送機に近い奴から順に片付けてたんでな。こっちの援護が遅くなった」

直観的にグレッグはふと、今しがた赤い線が降りきた方へと視線を動かせた。

眼前で燃え続けるポルタノヴァから揺らめく炎の明かりが、宵闇の宇宙を微かに照らしている。
その朧気な逆光から、宙空に佇む影が浮かび上がった。

距離にして約三十メートルほど。

こちらと同じく、四肢を備えた巨大な姿。

指揮官機系統の縦長な二本のアンテナ、左右に向けて爪を広げたような両肩のアーマー、腰部の辺りからローブのように広がった何らかの装備。

細部まではっきりとは判別できないものの、辛うじてシルエットは窺えた。

「エグザマクス···なのか?」

自分の知るそれとは大きく異なる姿だ。

腰部の装備に巨大な鉤爪状の物体が、スルスルと収まる様子が見えた。
恐らくは、これが先ほどポルタノヴァを引き裂いた武器なのだろう。
彼が想像通りの存在ならば、さしずめ「魔犬の爪」といったところか。

宙間用迷彩なのか、はたまた元からの色かは分からないが、機体色は周囲に溶け込むような漆黒に染まり、赤い眼光だけが闇の中に浮かび上がっている。


「あんた·····実在していたのか」

「おいおい、人を幽霊みたいに言わないでくれよ。アンタが俺の話題を出したんだぜ」

声の主が、苦笑を滲ませて返す。

グレッグに倣ったのか、残るポルタノヴァも彼の存在に気付いたようだ。

一機は大型ライフルを上方に向け、もう一機はクローを構えながらそちらへ翔ぶ。


「こいつらが来た意味、分かるかい?」

「は?」

己に向けられた二つの殺気も意に介さぬ様子で、グレッグへの通信が続く。
まるで任務開始前の、都市伝説の続きでも話すかのような調子だ。

「このアーティファクト護送ってのは手が込んでてな。二〜三ヶ月に一度ほどのペースでこうして地球へ輸送機が帰ってくるんだが、実際にアーティファクトを積み込んでるのは、更にそのうち二〜三回に一度だけなんだ」

「なんだって?」

初耳だった。
まさか巨大輸送機まるまる一隻を、ブラフに使っているというのか。

話す間にもライフルからの射撃は続くが、再度姿を消した彼に当たった様子はない。
クロー装備のポルタノヴァも、攻撃目標を見失って立ち往生している。

「本当の話さ。もちろん積荷が全くの空っぽじゃ勿体ないってんで、帰還兵やら向こうじゃ廃棄できないゴミやらは積んでるらしいが。あ、ここ退避ポイントな」

グレッグのモニターに、周辺宙域を写したマップとそこに印したマーカーが表示された。

射線から離れろ、という事だろう。

二機のポルタノヴァは、周囲を警戒しつつも輸送機方向へ向き直る気配を見せる。

その片方の背に、デブリを避けながらジグザグに向かっていく赤い線が見えた。

原理は分からないが、どうやら彼の機体は離れた場所にいる相手を、あの「魔犬の爪」で攻撃できるらしい。

先ほどから見える赤い線はその軌跡なのだろうが、センサーを強化しているはずのグレッグ機ですら、暗い宇宙空間ではまるで攻撃を捉える事ができない。

「で、それだけ回りくどい方法でアーティファクトを運んでるにも関わらずだ。どうも最近、バイロンの襲撃がピンポイントになってきてる。
こうして"当たり"の時だけ襲撃を受けてるみたいなんだよな」

結果、襲撃者は新たに一機が「魔犬の爪」で切り裂かれ、炎を上げているわけだが。


今や彼の話を、ただの都市伝説とは一蹴できなかった。
なにせ当の都市伝説自身がそれを話しているのだ。

「それじゃあ俺が今まで担当した護衛任務も、襲撃を受けた一度だけが"当たり"の便だったって事か···でも、なんでそんな話を俺に?」

「んー、なんでだろうな。まぁアンタはこの任務を数回経験してるぽいし、さっき話した印象だと信用できそうだからな。じゃなきゃ、連合もそんな特別機を渡さないぜ」

特別機。やはり、見慣れぬ装備ばかりだったのには訳があったか。

「まぁ···だいぶ壊されちまったけどな」

「今回は相手との相性が悪かっただけさ。気にするな」


そう話していると、最後に残った一機が不穏な動きを見せた。

先に撃墜された機体が燃え広がる前にパージしたのだろう、一対のダチョウ型脚部が宙に漂っている。

それをおもむろに掴むと、自身の背面へと回しこんだ。
同時に背面の大型推進器がパージされ、接合部のアームが代わりに、両手に抱えた脚部をガッチリと掴む。

背面に新たな二脚を得た、合計四脚のポルタノヴァが完成した。


「おい、冗談だろ···」

「へぇ、合体すんのかよ?アレ」

驚愕するグレッグとは反対に、さして緊迫感のない声。

推力を捨ててまでハッタリを使うとも思えない。
あのポルタノヴァは何をするつもりかとグレッグ達が注視する前で、ポルタノヴァが「宇宙空間を跳躍した」。

「はぁ!?」

「おぉっ?」

グレッグのみならず、今度は彼も驚愕の声を上げる。
無理もない、相手は重力下のようにピョンと垂直に跳ね上がったのだ。

慌てて跳ねた方向へとモニターをズームさせると、四脚となったポルタノヴァが今度は頭上にある衛星の残骸を、背面二脚だけ器用に反転させながら蹴りつけるのが見えた。

魔のデブリ帯の通り名に違わず、一つのデブリを跳び蹴れば、その進行方向にも新たなデブリが迫る。

またもそちらに脚部を向け、軽く踏みしめる挙動をしたかと思えば、バネ仕掛けのように跳ね飛んでいく。
その姿はグレッグに、母国の冬山を駆け下りるアカシカを思わせた。

「そういう事か···!あの四つ脚、飾りじゃねえのかよ」

「ああ、器用なもんだ。あの動きはちょっと気持ち悪いけどな」

「言ってる場合かよ、逃げられちまうぞ!」

両腕に深刻なダメージを負った機体で何が出来ようはずもないが、相手が逃げた方角には輸送機がある。敵はまだ諦めていないということだ。
バックパックと脚部に二基ずつ、計四基残ったスラスターをフル稼働させ、デブリ帯を進む。

「分かってるって。こちとらプロだ、逃がしゃしないよ」

例によって「魔犬の爪」も二本同時に赤い線を引きながら相手を追うが、予測困難な動きを捕捉できず、ある程度の距離をジグザグに進んだ後、来た道を戻って行く。

グレッグは、彼の使う赤い線···いや、こうして見るとワイヤーか···に繋がれた鉤爪には、一定の可動範囲が決まっているようだと気付いた。

初めて彼の姿を目にした時同様、直線距離にして約三十メートル。
単純にワイヤーの長さが決まっているのか、あるいは遠隔操作可能な範囲の都合かは分からないが、デブリを迂回しながら伸ばしている現状では互いにワイヤー同士が絡んでしまわぬよう注意もしなければならないだろう。
見た目の鮮やかさに反し、グレッグならばすぐに音を上げてしまいそうな精密作業だ。

彼の黒い機影も、敵を「魔犬の爪」の射程距離に収め続ける為に移動を続けているのがうっすらと見えてきた。

なんの事はない、先刻までは「魔犬の爪」による遠距離攻撃のため、彼の機体自身は動いていなかったのだ。
視認困難な色と、攻撃を受けた瞬間に機体は別の位置に居る事。
これらの要因が重なって、姿なきワンマンアーミーの噂が生まれたのだろう。

今はといえば、黒い機影は足裏のスラスターを景気よく吹かせ、なおも跳ね回る四脚の敵を追い続けている。
照らされた足周りの形状は、こちらもまた通り名に違わぬ獣の後脚を想わせた。

心なしか、先までの余裕もあまり感じられない。
いつの間にかグレッグへの軽口もなりを潜めて···
「しょうがない。少し本気を出すか」

「···と思えばこれだ」

「なぁアンタ」

「そう呼びかけられるのにも慣れてきたな。どうした」

「えーと、まぁなんだ。頼むから引くなよ?な?」

「はぁ?」
いや、やはりこの男の言動は先が読めないぞと改めつつ聞き返す。

「引くって、何に?」

「俺の本気にさ」

応答が返るのとほぼ同時に、漆黒の機体は、自ら激しい爆炎に包まれた。

「おぉっ·····おいおいおいおい!!今度はなんだ!なんなんだ!?」

このわずか三十分にも満たない間で何度驚いたか知れないが、最も大きな衝撃は間違いなくこの壮絶な自爆だろう。

散々敵を焼き尽くしてきた炎が、今や彼自身を紅蓮に染め上げ·····

「言っとくけど、別に熱くはないんだぜ。いや本当に」
染まったまま、その姿を保っている。

彼の機体は炎に焼かれるどころか、その身に炎を纏わせ一体化していた。
機体各所から噴き上がる炎は一定の範囲で揺らめき、彼を護る鎧のように留まり続けている。
一際目を引くのは背面から四方に伸びるアーチ状の炎だ。
大きく外側にはねたカーブを描いて、火の飛沫を上げながら彼の機体を煌々と照らしている。

亡き祖母に聞いた昔話を思い出した。

その目は地獄の業火のように燃えている。

その口からは硫黄の臭いのする炎を吐き出す。

その通り道は「黒犬街道」と呼ばれ、なんびとたりとも遮る事は出来ない。

━━━悪魔の使い、魔犬ヘルハウンド━━━

悪さをするとお前の所にもやって来るぞ、とお決まりの文句つきで聞かされ幼心に恐怖を抱いたものだが、なるほど。
まさしく目の前で紅蓮に染まる黒檀の機体そのものではないか。
見る者によっては畏怖を覚えるだろうその姿は、むしろグレッグには漲る力強さを感じられた。

「さっきから疑問だったんだが···その炎、一体なんなんだ?」

あちらの呑気さが伝播したのだろうか、あるいは彼の心強さに緊迫感が薄れたのだろうか。
つい場違いな質問をしてしまった。

「お、気になるか?
原理は俺もよく分かってないんだけどな。
このアーティファクト魔狼の心臓···いや魔犬だったか?いやちょっと待て、心臓でいいんだったか心眼だったか···?
ゴホン、とにかくだ。こいつに宿った能力で対象に触れるとな、たとえ水中だろうが宇宙空間だろうがお構いなしに、触れた相手を真っ赤な炎で焼き尽くしちまうんだ。
ご覧の通り、アーティファクトを宿した俺自身は焼かれる心配もない。便利だろ?
こいつを見つけたのは忘れもしない、俺がイギリスのカタコンベで調査任務をしている時だ。月明かりも届かない地下深くで俺は···」

「わかった!自慢したいのはわかった!こんな時に聞いた俺が悪かったから、とりあえずアイツを追ってくれ!」

悠長に長話を始めたこちらを尻目に、四脚のポルタノヴァは遥か先を跳び回っている。
あちらはもう輸送機目前だ。


しかし。

「ありゃ、随分と離されちまったな。よっ、と」

アーティファクト自慢に夢中で、今やグレッグ機より後方に位置する彼が事もなげに言うと、ドン!という破裂音(これも本来ならば宇宙空間では有り得ない事象だが)と共に、魔犬の姿が消えた。


いや、消えたのではなかった。


遠くを見れば、前方のポルタノヴァの首元あたりを片手で掴み、持ち上げるように掲げる黒い機体がいた。

「嘘だろ、一瞬であの距離を···」

彼の規格外な機体性能にも目が慣れてきたつもりのグレッグですら、背中に伝う冷や汗を感じる。

足元にはスラスターの光に代わるよう、やはり炎が揺らめいている。
文字通りの爆発的な加速は、あの炎の恩恵か。

『さて、と。なかなか頑張ったがアンタが最後の一機だ。おとなしくアーティファクトを諦めて投降するなら聞くぜ。どうする?』

『ふ、ふざけるな!地球の猿どもに情けをかけられるくらいならば潔く散ってやる!貴様を道連れにしてでもな!』

接触回線でのやり取りが、黒い機体からのオープンチャンネルを通じてグレッグにも届く。

バイロン人に快い印象は持っていなかったが、こうして聞くと彼らにも彼らなりの矜持があるのだろう。
道連れという宣言通り、自爆シークエンスを実行する気のようだ。機体の中心部に、光が集束していく。

「そうか。俺も、覚悟を決めた奴に手心加えるような無粋はしたくない。悪いが···燃やすぜ」

彼の言葉と同時に敵機を掴んだ右腕だけが、より一層激しく炎を迸らせる。

『うおおおおお!!!バイロン、万歳ぃぃぃぃっ!!!!』


断末魔を上げながら燃え盛る敵機を放すと、魔犬の全身を覆っていた炎も霧散するように消えていった。


「さて、と。アンタ動けるかい?」

もはや推進剤も残り少ないことに気付かれていたのだろう。
数秒前まで鬼神の如き戦闘をしていた者とは思えぬ気軽さで、こちらを労う声が掛けられたことに戸惑いつつ
「ああ。おかげでどうにかな。スラスターを使いすぎなけりゃ輸送機までは辿り着けそうだ」と返す。

「そうか。こっちはまだひと仕事残ってるんでな。先に行かせてもらうぜ」

「忙しいな。さすがは伝説のワンマンアーミー様だ」

「伝説は言い過ぎだっての」

照れ笑う気配を伝わせながら、漆黒の機体は宙域の闇と同化するように姿を消した。


グレッグが輸送機へと到達した頃には、デコイ担当の部隊含め、生き残った機体が揃って着艦準備に入っていた。
殿を勤めるのは、グレッグが不平を漏らしたバックス担当の三機だ。
他の機体の着艦を待つ間、第二種戦闘配置で周辺の警戒に当たっている。

「俺はドベかよ。ま、仕方ないか」

着艦の待機列最後尾に自機を移動させる。
順に収艦されていく他の機体を手持ち無沙汰に見ていると、比べて自機の損耗率の高さが際立つ。

「あーあ、つくづく今回は貧乏くじを引いちまったもんだ」

と嘆息したその時、バックス担当のうち一機が赤い線になぞられた。

「!?」

見る間に燃えていく僚機の横で、残る二機も次々と炎に包まれていく。
もはや見慣れた光景ではあったが、今度ばかりは叫ばずにいられなかった。

「あんた、なんで!?どういうつもりだ!!」

「あれ、言わなかったかい?ひと仕事残ってるって」

こちらの剣幕も気に留めぬように、呑気な声が返ってきた。

「裏切ったのか···!?」

「ああ。こいつらがな」

「えっ?」

「さっきも言っただろ?どうして"当たり"の便ばかりが襲われるのかって」

たしかにそう聞いた。
まだ種明かしはされていなかったが。

「あ、まさか···」

「そう、そのまさかさ。内通者の存在は分かっていた。問題は誰がそうなのか」


燃え盛る三機の機体。
彼らも今、コックピットの中でバイロン万歳と叫んでいるのだろうか。


「どうも奇妙だと思ったんだ。こいつらの陣形、輸送機の所在をまるで隠す気がなかったろ?」

それはグレッグも腹を立てた通りだ。
まさか意図的なものだとは考えもしなかったが。

「さっきの四脚にしたってだ。たった一機で輸送機に辿り着いたところで、こいつらが護衛についてるのにどうするつもりだと思ったもんさ」

普通に考えれば三対一の劣勢になるだけだ。
だがもしそれが四機で輸送機を囲む為だとすれば、意味合いは180度変わってくる。

「極めつけは今この瞬間だな。ドベで締め出されてるアンタ以外は全機着艦したが、怪しい動きをしている奴はいなかった」

「あえて言うならお前さんが一番不審だな。今頃艦内は大慌てだぞ」

「まあそう言うなよ。とにかく、こんなタイミングでこいつら三機とも何処かへ発光信号を送ってた。誰も護衛機のゴーグルなんて注目してないだろうタイミングで、チカチカとな。恐らく、もうじき敵の増援が来る」

その言葉を証明するように、遠くから無数の光が近付いてくるのが見えた。

数は十数機といったところか。

「あ、あと今の会話はきちんとそっちの艦内にもオープンチャンネルで流しといたからな。後で面倒な説明する必要はないぜ」

「抜け目ない奴だな。だが、にわかには信じられん。こっちのバックス担当三機ともが、たまたまバイロンの内通者だったって?偶然にしては出来すぎだろう」

「そりゃ偶然じゃないからさ。そうやって人員配置を仕切れる立場の奴が描いた絵なんだからな」

「となりゃ、少なくとも佐官クラス以上の人間だぞ?まさか、そんな連合軍の中枢にまで···」

「まるでメン・イン・ブラックだな」

ご丁寧に、グレッグの口調まで真似られてしまった。


「ハハ、ハハハハハ!なんてこった!ハハハ!」

グレッグの目前で、そこかしこに火の手が上がる。

十を超える増援が、全方位から輸送機に近付こうとした傍から切り裂かれ、燃えていく。

まるで盛大な花火だ。

そんな光景の中で、口をついて出たのは笑いだった。

都市伝説アーティファクトは実在する。

同じく、神出鬼没のワンマンアーミーも実在した。

そして今度はバイロンの潜伏員だ。

出撃前のくだらぬ与太話が、尽く目の前で実証されていく。

お膳立てされたような符合が妙に可笑しく思えて、今しがたまで死線をさまよっていた事も忘れグレッグは大いに笑い続けた。


花火も収まった頃合を見て、グレッグはもう一つの疑問を投げかける。

「なあ、じゃあもしかしてさっき言っていた埋蔵金の話ってのも···?」

「いや、あれは適当にでっち上げた。良い暇つぶしになったろう?」

「·····」

やはりこの男の言葉は話半分に聞いておこうと再認識したグレッグに、黒いエグザマクスの右手が差し出された。

「アンタ、名前は?」

「俺はグレッグ中尉だ。お前さんは···聞くまでもないな。また何処かで会えるかい?ヘルハウンド」

グレッグも、自機に残された右腕でしっかりと握り返す。

「アンタの運がよっぽど悪けりゃな。またとっておきのゴシップを用意してるぜ」

「ははっ、そりゃ楽しみだ。お互い達者でやろうじゃないか」

「ああ。じゃあまた、何処かで」

言い終えるまでの間に、彼の姿はまた周囲の闇と同化していった。

帰りの輸送機内で、グレッグは考えていた。

今回のような宙域戦特化の専用機を投入してきたということは、いよいよバイロンもこのアーティファクト奪取作戦に本腰を入れ始めたことを意味する。

対してこちらは、従来どおりに漫然と任務をこなす程度の認識しか持ち合わせていなかった。
今こうして生きていられるのも、たまたま運良く···いや運悪くか。ジョーカーを引くことが出来たからにすぎない。

今回の結果を受ければ、近いうちに地球連合も内通者の炙り出しと並行して、本格的な宇宙戦への準備に取り掛かるだろう。


護送任務で二度も襲撃を退けたとなれば、グレッグも徴用されるのはまず間違いない。

その時自分は、また生き延びられるだろうか。


「ま、よっぽど運が悪けりゃな」

輸送機の窓から、ふと外を見る。
ひたすら広がる虚空に、黒い魔犬の姿は見当たらなかった。


30Minutes to Mars外伝「黒犬街道」・完


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