ボクのふるさと
息子には故郷(ふるさと)をつくってやれない。
そう思ったのは生後1年が経ったころだった。
というのも、僕と妻は根っからの移動好きで、前世はモンゴルの遊牧民だったんじゃないかと疑うほどに引っ越しを繰り返していた。
案の定、息子が1歳になったタイミングでシビレを切らし、引っ越しをすることになった。
片田舎の一軒家からシェアハウスに移り住むことになり、このタイミングで家具家電などはすべて手放した。
数ヶ月前に3万円で買った食洗機を1万円で売りさばいて「逆転売ヤー」としての実力をいかんなく発揮し、妻に詰められたりもした。
それからもお互いの実家に居候したり、シンガポールやマレーシアに2ヶ月ほど滞在したり、ヤドカリのように棲家を転々と変えている。
おそらくこれからもそのような暮らしをするであろうことは目に見えていて、我が子には "ふるさと" と呼べる土地を用意してあげることが限りなくむずかしい。
経験上、ふるさととは、時間をかけて愛着をもつ土地のことだと思う。
その土地に長く住んだことによって、親しい友人やよく通う店ができたり、名前のついていないような小道で遊んだり、真夜中の駐車場で語り合ったりして、少しずつ自分にとって特別な街になっていく。
そうしてやがて大人になったとき、ビル群の中でがんばるわたしを支える大切な記憶として、心に居続けてくれる。
そんな存在がふるさとだと思うのだ。
しかし、僕たち家族はひとつの土地に長くとどまることができない。
だから息子にはふるさとをつくってやれない。そんな不安があった。
そんな中、息子とふたりで一週間東京に行くことになった。僕の出張についてくるというのだ。
せっかくなので、懐かしの人たちに会いにいくことにした。
家族同然のように一緒に暮らしていたシェアハウスのメンバー、よく散歩をさせてもらっていた近所の犬とその飼い主、同い年で兄妹のように育ったいとこ。
息子はその人たちと前に遊んだことを事細かく覚えていて、楽しそうに話してくれた。
久々に会ったときには嬉しくて、いつになくはしゃいでいた。
この姿を見て、僕はとても安心した。
ああ、彼にとってのふるさとは "人" なんだな。そんなことを感じたからだ。
思い返せば、どこにいくかよりも、誰と遊ぶかをいつも楽しみにしていた。移動の多い彼にとって、どこで過ごすのかは正味どうでもよさそうであった。
USJについて開口一番「帰りたい」とつぶやいたほどだ。場所じゃないのだ。
土地ではなく、人がふるさとになる。
長く住んだ土地がふるさとになっていくように、大切な人と過ごした記憶がアルバムのように増えていって、彼のこれからを支えていくのだと思う。
息子にはふるさとがたくさんある。
いろんなところに。
これからも、増えていく。
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表紙とアナザーカットたち↓
⌇ 絵 えりちゃん(妻)
✎ 文 しみさん(夫)
夫婦で絵本をつくるのが夢です。
日記のようなエッセイを書いています。
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