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ふたり史を育てる


妻はマッサージを受けるのが得意だ。

いつものようにテキパキと家事を済ませた彼女は、首のあたりを抑えながら「このへんが凝ってるんだよね」と相談してくる。

患部を見ながら「へぇ、そうなんだ」と答えると、「どうやったら治るんだろうなぁ」と独り言のようにつぶやく。

「マッサージしようか?」と言うと、いや、言い切る前には「お願いします!」とうつ伏せになっているのである。

一見、僕の優しさで提案したようにも見えるが、あきらかな"誘導"であり、巧妙なトリックだということに最近気づいた。

そのあとの立ち回りも見事で、もっとやってほしい箇所にくると、「あぁ〜そこいいッスね」「うまいッスね」と下っぱのような口調で褒めては、こちらの気分を乗せてくる。

翻訳すると「そこもっと重点的に」という指示なのだけど、こちとら気分がよくて気がつくことすらできない。

よく昔話で、王様が平民にマッサージをさせているシーンがあるが、あれの逆である。

妻はあえて平民のポジションをとり、「やっぱさすがッスね」と王様の気分を乗せながら、ゆうゆうとマッサージを受けているのだ。

こちらはていねいに上流階級マッサージを施していく。

王様サイドがあえて左肩を残したまま「そろそろ終わります?」と仕掛けると、「なにをおっしゃいますやら」みたいな顔をして左肩を差し出してくる。

あまり理解されないかもしれないけど、この王様と平民のやりとりを、僕たちはひとつのノリとして楽しんでいる。くだらない駆け引きをして、ケラケラと笑い合っているのだ。

僕たち夫婦には、こういった「お決まりのくだり」のようなものがいくつもある。

そのラインナップが増えるたびに、また自分たちにしかわからない身内ノリが増えてしまった。と嬉しくなる。

最近だと「肯定されてるのに否定されてると思い込んでいる人」や「自分の言い間違いを絶対に認めない人」などが追加された。

タイトルだけ見てもナンノコッチャわからないと思うが、とてもおもしろいという"自負"だけがある。よそで披露したらヤケドするか、運が悪いと火だるまになるだろう。

こうしてわれわれだけの「お決まりのくだり」が増えて、「ふたり史」みたいなものが積み重なっていくことが、30代になったいま、とても楽しいと感じるのです。

星の王子さまという絵本に、こんな言葉があった。

「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ。」

最初っからとくべつなわけじゃなくて、一緒に過ごした時間だとか、泣き笑いした日々が、少しずつその人を「とくべつな存在」にしていく。

くだらない駆け引きも、お決まりのくだりも、ふたりの関係性を育てる大切な肥料なんだろうな。そんなことを思った。

「マッサージ終わったよ」ようやく声をかけると、平民はぐっすりと眠っていた。


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表紙とアナザーカットたち↓

⌇ 絵 えりちゃん(妻)
✎  文 しみさん(夫)

夫婦で絵本をつくるのが夢です。

日記のようなエッセイを書いています。
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