青春の賞味期限
息子とはよくタッグを組む。
先日、カメラのキタムラに行った。
妻がプリントしたい写真があるらしいので、僕と息子もノコノコとついていくことにしたのだ。
店内にはたくさんのカメラとパソコンが並んでいて、3さいの息子はキラキラと目を光らせていた。
やってしまった。物損モンスターこと息子を、高額な機材に囲まれたユートピアにつれてきてしまった。あろうことか息子はいちもくさんに走り出し、高そうなカメラの前で止まった。
「これほしい!」
そう言って手にとったのは、最新っぽい赤いカメラだった。
おいおい。6万円のシロモノを行き当たりばったりで買うなんて、できるわけないじゃない。
「また今度ね〜」と軽くいなす。
" 今度 " という言葉は便利で、明日も、来年も、10年後すらも対象範囲にふくまれているので、大人はこれによく頼る。
すると息子は「今がいい!!!」と叫んだ。
店内に響きわたる声、うめぼしのような顔の息子。
プリント作業をしていた妻も「あのぐずってる小坊主、わたしの息子じゃないか」みたいな顔をして駆け寄ってくる。
子育てをしていると、この現象によく出会う。
大人が「今度ね」といなして、子どもが「今やりたいの!」と粘るやつ。
大人になった僕はモノゴトを俯瞰でみながら「まあいつでもできるし今じゃなくても」と後回しにしてしまうクセがある。
今やったら楽しそうなこと vs あとでやりたいこと、のバトルをしたら、後者が勝ってしまうのだ。
そのときもそうだった。今6万円のカメラを買うよりも、将来に残しておきたい。それで旅行とかいきたい。さすがに。となった。
いっぽう息子は、とんでもなく「今この瞬間」に執着している。彼にとっては今このときが楽しくなるかどうかがすべてだった。
この執着心に、なんだか懐かしさを感じた。
そういえば、学生生活ってそんな感じだったな。
あのころって「将来のために楽しみを後回しにする」なんて発想はなくて、今日が楽しくなるかどうかがなによりも重要だった。3年間というリミットのなかで、最大瞬間風速をどんどんと更新していくのだ。
そうして「最高の今」を積み重ねていくと、それが最高の思い出になる。
それを感覚でわかっている彼らは、そのときにしかできないことに熱中する。この熱中ってやつが、青春の原材料なのだ。
そんなことをぐるぐる回想していたら、息子がうらやましく思えてきた。コイツは青春しようとしている。
わかった。いいだろう。乗っかってやろうじゃないの。
さすがに6万円はむりなので、僕は息子を抱きかかえてお店の外に出る。さあ、全力で遊ぶぞ!
すると息子が「あれやりたい」と指をさした。そこにはあったのは証明写真機だった。
証明写真・・だと・・
すこしひるんだが、中に入ってみる。1枚1000円との表示がある。おいおい、値上げしてないか?
息子は薄暗いボックスの中、ここでなにがおこなわれるのだろうとワクワクしている。
よし、初めての証明写真だ。
千円札を投入し、写真を撮りはじめる。息子はテンションがピークに達し、動きまわる。
そうして撮れた一枚がこれだ。
最高の写真になった。まぎれもなく青春だった。
桜木と流川のようなハイタッチを息子とキメた。
そういえば、子育てにもリミットがある。「今度」で後回しにしていたら、もうできないこともあるんだよな。
「パパー!アイス買いにいこー!」
二度目の青春が、ドコドコと音を立ててやってきた。
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表紙とアナザーカットたち↓
⌇ 絵 えりちゃん(妻)
✎ 文 しみさん(夫)
夫婦で絵本をつくるのが夢です。
日記のようなエッセイを書いています。
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