ひらべったい幸せ
ひらべったい幸せを目撃した。
およそ1年前のことだ。
旅暮らしをしていた僕たち家族は、シンガポールから日本に帰ろうかというタイミングで「帰国して、どこに住む?」という話になり、シェアハウスをやっている友人に連絡してみた。
すると数時間後には「うちに住んでいいよ〜」と返事がきて、遊びの約束みたいなテンションで入居が決まった。
そのシェアハウスには、オーナー夫婦とその息子たち2人、ほかにも歳の近い女性が2人いて、僕たち家族を含めると、総勢9人が住む、にぎやかな一軒家となった。
そしてシェアハウスに住んでみて、僕はあることに驚いた。
この家、とんでもなく安心感があるのだ。
いるだけで落ち着くというか、なにもしなくても承認されているような、そんな居心地のよさがあるのだ。
妻もそれに気づいていたようで、「だよね?」と盛り上がり、この安心感の正体をふたりで推理してみた。
まず、この家はお金とかビジネスとかの匂いがまったくしない。
オーナー夫婦は平日も家にいたりして、野菜を育てたり、梅を漬けたり、ゲームをしたり、料理を楽しんだりしている。休日には農業をしに出かけたり、公園で遊んだり、近所の犬の散歩を手伝ったりする。
ほかの住民さんも、ずーっとNetflixを観ていたり、一日中寝ころんでいたり、夜にはみんなでバチェラーを観たりしていた。
なんだこれは・・都内にこんなユートピアが存在したのか。
これを見て妻が「なんか横の幸せって感じだね」と言い放った。
あまりにもクリティカルすぎる表現に、僕は泡を吹いて倒れた。そう、横の幸せ。まさにそれだ。
いわゆる「年収」とか「昇進」とか、そういった社会的地位が上がったりすることに感じる喜びが「縦の幸せ」だとすると、
このシェアハウスのように、趣味を楽しんだり、暮らしを愛でたり、大切な人との時間を過ごすときに感じるのが「横の幸せ」だと思う。
ここでは住民全員が、縦の幸せにあまり興味がない。
はたらく時間は最低限にして、あとは自分たちが豊かに過ごせることに時間を使っていた。
横に横にひらべったーーく幸せを広げていて、まるでメタモンのような家だった。
かくいう僕は、フリーランスを10年ほどやっていて、ひまな時間を見つけてはパソコンを開いて作業をしちゃうようなタイプだった。
ずーっと遊んでいると罪悪感に苛まれてしまう。
しかし、このメタモンハウスに住んでいると「仕事をしているより、いまこの瞬間を楽しんだほうが幸せなんじゃないか」と思えてきて、
すこしずつ横の幸せに浸れるようにリハビリをしていった。
そうして退去するころには、ただ漫画を読むだけの一日を過ごしたり、Netflixのドラマを一気見して銭湯にいったりもできるようになった。いまはゼルダというゲームにハマっている。
余計な罪悪感なんかもない。むしろこれが人生だよねって感じだ。
変わるきっかけをくれてありがとうメタモン。ふしぎなアメをあげます。
縦へ縦へと急ぎがちな世の中だけど、横に広げる人生も案外いいのかもしれないね。
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たくさんの思い出と、抱えきれないくらいのあったかい時間をくれたシェアハウス「とっと」のメンバー👇
表紙とアナザーカットたち↓
⌇ 絵 えりちゃん(妻)
✎ 文 しみさん(夫)
夫婦で絵本をつくるのが夢です。
日記のようなエッセイを書いています。
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