アルストロメリア軸で考えるシャニマス5th Day1(追記:高山Pコメ、オーコメを受けて)

はじめに

シャニ5th Day1現地参加、Day2配信視聴しました。Day1についてはいろいろな意見考察が飛び交っていますね。
個人的に、Day1を語る上ではどうしてもアルストロメリアについて考えさせられることが多く、整理する意味で一旦書き連ねていこうと思った次第です。

以下ご注意ください
※ シャニ5thの演出に関する内容が含まれます。
※ お気持ち成分が含まれるため、気分を害される恐れのある方はブラバ推奨です。

Day1のテーマについて個人的な解釈

「 If I_wings. 」という5thのテーマが示すものは何か?
Day1に関しての自分の解釈は多くの方と同意見ですが、
 「 If I "lost" wings.」
= 「もし翼を失ったら」
= 「もしアイドルでなくなったら」
= 「最後のライブ」
というテーマだと思っています。

「最後のライブ」という部分が「サ終」というコンテンツ自体の最後なのか「物語の中の283プロとしての最後」なのかというところでも解釈が分かれますが、私は後者の意味で捉えています。
最後に至った経緯としては、プロデューサー不在説?灯織とルカの不在が絡んでいる?など様々な憶測がネットで見られますが、私はそこに関しては深くは考察していません。

とりあえず、
Day1は "もし283のアイドルが最後のライブを迎えたら" というIfの世界線
がテーマであるという解釈の元、話を進めていきます。

Day1世界線のアルストロメリアについて

Day1はコミュやMCでやたらと最後を匂わせるような演出がありました。
その中でも個人的に印象的だったのはアルストロメリアの演出です。

比較するのは良くないですが、明らかにアルストだけ"最後"ということが特別強調されたコミュ(幕間)と選曲だったような気がします。
幕間の内容は過去コミュをベースに組まれていたものの、あそこまで明確に最後のステージであることを強調し、尚且つなんの解決もないまま終わり…というのは、これまで見てきたゲームでのアルストのコミュには無い異様な雰囲気を感じました。

アイドルでは無くなる、アルストロメリアでは無くなるという結末が許せないという訳ではないです(冒頭でも書いた通り、あくまでIfの話として解釈しているので)。
個人的には、
「その結末に至る過程が3人にとって納得のいくものだったのか?」
というのが引っかかっています。
ゲームでのアルストのコミュでは、結末よりもそれに至った過程が大きなポイントとして描かれていると感じています。
未来へ進むことや変わってしまうことの怖さ、不安を抱えながらも彼女達なりの方法で、前へと踏み出していく。"未来への憧れ"という花言葉がぴったりな、そんな3人の姿に心を惹かれてきました。
だからこそ、「どんな想いでどんな行動をして最後を迎えたのか?」という過程は、Ifの世界線とはいえ曖昧で済ませていい問題ではないと私は思います。

ダブル・イフェクトについて考える

そんなアルストロメリアが最後の曲として歌った「ダブル・イフェクト」にも意味があるものだと思っています。
まず、歌詞の内容は「If I (lost) wings.」というテーマにぴったりです。また、ユニット曲のトリは2日間どちらもイルミネで固定でしたが、その直前は入れ替え枠になっておりDay1はアルストのこの曲でした。
これらのことから、ダブル・イフェクトという楽曲はアルストに限った話ではなく、シャニ5th Day1全体を語る上で大きなキーになるのではないかと考えています。

ということで掘り下げていきます。
まずダブル・イフェクトという言葉の意味についてですが、

2つの結果、1つは善い結果でもう1つは悪い結果、が帰結するような行為を合法的に遂行することができるのはどのような時であるかを決定するために、道徳神学・キリスト教哲学において行為の許容性を評価する規則である。

二重結果の原理 - Wikipedia

とのことです。
引用元に書かれている「要件」に関しては長いので割愛しますが、まとめると
ある"行為"によって"善い結果"と"悪い結果"が伴う場合、その"行為"は"善い結果"を期待して実行されるものであり、"悪い結果"も十分許容できるものでなければならない。
という感じでしょうか。(違ってたらすみません。)

これをシャニ5th Day1の出来事に当てはめて考えてみると、

  • "悪い結果" = 翼を失う(アイドルでなくなる)

  • "善い結果" = ?

  • 結果に至った"行為" = ?

ということになります。
この
"善い結果"と結果に至った"行為"といった過程が伏せられているというのが、私がDay1に感じている違和感です
過程が伏せられている理由としてはだいたい以下の3つが考えられると思います。

  1. 運営側で最後に至った過程や意図はきちんと考えられているが、敢えて伏せている。後日同時視聴配信やゲーム内コミュ等で種明かしする。

  2. 最後に至った過程は彼女達の納得いく形で迎えたものではなく、外的なトラブルや誰かの独断によって導かれたものだった。

  3. あくまで"もしも"の話で、過程とかは何も考えていない。ただ最後というコンセプトでライブがやりたかっただけ。

私は1であってほしいと思っています。
キャストの皆さんや公式TwitterがDay1の不穏な演出に不自然なほど触れていないのを見ると、敢えて伏せているという可能性もあると思います。
テーマが「If I _ wings.」と伏せられている以上、「ちゃんと考えてるけど公式に説明したりはしないよ、自分で考えてね~」という可能性もありますが…。そんなエヴァみたいなことはしないで欲しいですね。

2は"善い結果"と結果に至った"行為"がそもそも存在しない(アイドル自身の意志によるものではないため役割を成さない)という解釈ですね。これも納得いかないわけではないですが、だとすれば演出がちぐはぐだったかなと感じます。
ストレイやアンティーカあたりはMCで匂わせるような語りはあったものの、基本は平常運転でしたし。(追記:平常運転というのは少し訂正させてください。最高のパフォーマンスで魅せるというストレイ、アンティーカらしい最後だったのは事実です。)

3だとしたら正直許せないです。
「If I (lost?) wings.」というテーマにアルストロメリアとダブル・イフェクトという楽曲が利用されただけ、ということでしょうか?
そうでないことを祈ります。
Ifの世界線だとしてもそこは確かに283プロのアイドルが存在している世界ですし、ライブという現実を通して演出するのであればなおさらその過程や背景は意識した上でやるべきだと私は思います。

MCやコミュの端々からはアイドル自身どこか煮え切らないような印象を受けたことから、現状2か3寄りなのでは…という感触になってしまい、モヤモヤが晴れません。

最後に

まとめると

  • Day1の演出の意図や"終わり"に至った過程は?

  • あの世界線のアイドル達は、アルストロメリアは、どんな気持ちで"終わり"を迎えたのか?

というのが感想…というより疑問点です。

Day1に関しては未だにアーカイブを見直したりは出来ていないです。金曜に高山Pの同時視聴会があるらしいので、その時に見ようかなーという位には持ち直してきています。
謝罪しろ!みたいな気持ちは一切無く、どんな意図や思いがあったのかが少しでも聞ければいいなあと思ってます。

Day1の世界線のアルストロメリアにとって、後悔のない"終わり"でありますように。

追記:高山PコメントとDay1オーコメを受けて

別記事にしようとも思ったのですが、うまくまとまらなかったので追記という形にしました。
発言を引用しすぎるのは無粋かと思ったので、控えめです。そもそもメモとかはしてないので発言内容は曖昧です。感じたままに書いていきます。
また、Day1オーコメ、少しでもモヤモヤを感じた方は是非見てください。
前川涼子さんの話を聞いてください。

以下感想です。


まず、「納得できる終わりだったか?」なんてことを上で書きましたが、それは制作陣ですら今はまだ描くことができないものだったのかなと感じました。"終わり"というテーマや一部台本は制作陣から提示されていたものの、どんな気持ちでどんな経緯で終わりを迎えてどんな未来へ歩んでいくのか、というのはアイドル自身、実際はアイドルを演じるキャストにほぼ全て委ねられていたと思います。(あくまで発言を受けて感じたことで事実かは分かりません。)
そんな中で、作品、アイドル、アイドルを演じる自分、ライブを見に来たプロデューサー、あらゆるものに向き合ってDay1を作り上げてくれたキャストの皆さんには本当に感謝しかないです。

反面、制作陣に対しては未だにモヤっとするところがあります。
283プロのアイドル達がアイドル以外の道を選ぶ(終わりを迎える)というテーマは、制作陣にもキャストにとっても想像できない、できれば向き合いたくない、難しく悲しいテーマであることは理解できます。それに向き合わないことが「不誠実」であるという、高山Pが語っていた姿勢も理解できます。
しかし、制作側という立場上、第一にあなたたちが作り上げたものが正解だと受け取られてしまうというのは事実です。終わりを演出すると決めた以上、納得できる終わりを描かないというのは、Day1の世界線のアイドル達に対して「不誠実」であるとは思わないのでしょうか?
あなた達が用意した台本や演出を受けて、少なくとも私は悲劇的な終わりを想起しました。そんな演出の中でもキャストの皆さんはアイドルと向き合い、最大限彼女達らしい終わりを演じてくださいました。
"終わり"という悲劇を作り出しただけで、アイドルがそれとどう向き合うかはキャスト頼み、それをどう受け取るかはプロデューサー頼み。
それは「誠実」と言えるのでしょうか?

「新ロゴの2つの羽根は異なる未来を内包している」というメッセージが込められているとコメントがありました。
これは、異なる未来も描き切る覚悟があるという意思だと受け取りました。アニメ化やルカ加入が発表され、今後のシャニマスにはこれまで以上に大きな変化が訪れることと思います。
シャニ5thは両日で完成するライブ、などと言われていますが、自分の中ではまだ完成させられずにいます。高山Pのコメントやキャストのオーコメを受けて少しずつ形作られている状態です。
今後のシャニマスの展開を受けてシャニ5th Day1がどういう影響を及ぼしていくのか、どういう意味を持っていくのか、ゆっくりと見守っていきたいと思います。

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