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ロボットなのかもしれない

ブリキの木こりは心を見つけるために旅に出たのだという。
昔読んだ本にそんなことが書いてあった気がする。
心は旅先の土産物屋にでも売っているんだろうか?

元来、感情を引き摺ることのない性格をしている。喜怒哀楽すべてにおいて。仕事は毎日ストレスが溜まっていき、もう無理!こんな仕事辞めてやる!って毎日心の中で叫んでいます。それでも業務を終え、コンビニで缶チューハイを買って飲み歩きながら家に着く頃にはそんなことはもうどうでもよくなってしまいます。気が狂いそうなほどストレスが溜まって、でもすぐに忘れてしまって。そんな毎日の繰り返し。

嫌なこと、つらいことばかり忘れるんだったらいいのだけど…。
いつか楽しいことや嬉しかったことまで忘れてしまうんじゃないかって心配になったりする。

小さい頃から人の模倣ばかりしていた。私の家は躾に厳しく、幼い頃から正しくあるように教え込まれてきた。
周りの子供たちは野山を駆け回って遊び、時には田んぼに入って大人たちに叱られる。
私は大人から怒られることは絶対にしてはいけない悪だと信じて疑わなかった。
それでも少しだけ羨ましいなという気持ちがあったと思う。

小さい頃から大人に求められる正しい自分を演じてきたせいかはたして自分がどういう人間なのかわからない。
だから今でも人の仕草や話し方、趣味嗜好まで真似してしまう。
そうでないと相手の求める自分でいられないような気がして。

心理学では相手と同じ行動をとることは好感を与えるらしいけど、あまりに真似ばかりされるのは気持ち悪いよなとか。

さてさて、こんな中身のない人間の模倣品ははたして正しく人間と呼べるのだろうか?
もはや心のないロボットとそう変わらないのかもしれない。
そんなことを思った朝。

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