ライトノベルなんも分からん


こんばんは。
しめさばです。
ライトノベル作家をしています。

私は2018年2月にデビューした作家で、つまりは来年の2月で作家3年目を迎えます。
本当に、飛ぶように時間が過ぎてゆく2年でした。
幸いなことに新人作家である私にもたくさんお仕事をいただくことができ、今はそのタスク管理でてんやわんやしているのですが……。
そんな中で、ここ2年間ずっと考えていることがありました。
せっかくなので、年を越す前にそれらについてまとめておこうと思い、こうしてnote記事を作りました。
良ければ年末のちょっとした暇つぶしとして読んでいただけると幸いです。

『ライトノベル』ってなんすか?

冒頭で私は「ライトノベル作家をしています」と書きましたが、実を言うとこのライトノベル作家としてデビューしてからの2年間、ずっと「ライトノベルってなんだ……?」ということを考え続けていました。
それは、自分の仕事について造詣を深めるとか、職業知識として持っておく……とか、そういう高尚なお話ではなく、私の中の純粋な疑問でした。
ライトノベルってなんだ……?

というのも、私のデビューの仕方が、新人賞や大賞への応募という形でなかったのも、その疑問を助長する大きな原因だったのかもしれません。
こんなことをライトノベル作家が言うのは良くないことなのかもしれませんが、私は別にライトノベルが大好きで、ライトノベルが書きたくて作家になったというわけではないのです。
なんなら、いまだに、どうして自分がライトノベル作家をしているのかはまったく分かっていません。
サンドイッチ屋でバイトをしたり、ゲームのデバッグ会社で働いている傍らで「カクヨム」にて趣味として書いていた小説がKADOKAWAの編集さんの目に留まり、そこから書籍化打診が来た……というのが私のデビューのきっかけでした。
つまるところ、私は「趣味で行っていた活動がよくわからんうちに商業活動に変わった」という感じで、ぼんやりとデビューしてしまったのです。

そんなこんなで商業での1作目『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』は、完全に私のやりたいことを、編集さんに監修してもらいながら「ライトノベルとして」世に出した、という流れでした。
ですから、私は「ライトノベルとして1からパッケージングを考える」という工程を、1作目では行わなかったのです。
幸い1作目が順調に売れ、その後もライトノベルのお仕事をいろいろなレーベルからいただけるようになり、今もその作業を続けております。
しかし、そこでぶつかったのが、見出しにもタイトルにもした、「ライトノベルってなんだ?」という疑問です。

私も現代人ですから、気になったらまずは調べます。そうして出てくるのはまた曖昧模糊とした定義で、一番はっきり(分かりやすく)書かれているとすれば「表紙や挿絵にアニメ調のイラストを多用している若年層向けの小説」というものです。
確かに、それは私たちの知っているライトノベルの特徴を一言で言い表していて、ライトノベルをまったく知らない人に説明するとしたらこれ以外にはない、と思えるくらいに簡潔な説明だと思います。

ただ、「ライトノベル」という言葉に含まれる『ライト』という言葉、これが作家にとっては(もしかしたら、読者にとっても)非常に厄介に感じます。
作家同士の会話や、読者さんからの感想などで、「この小説(その時話題にのぼっている小説)、ライトノベルって言ってるけど全然ライトじゃないよね」という言葉が出るたびに、私は首を傾げそうになるのです。
ライトノベルって、「ライト(軽い、明るい)」からライトノベルと言われるのかな? そういうことなの?
と、思ってしまうわけです。

先ほど「ライトノベルが大好きで、ライトノベルを書きたくて作家になったわけではない」と書きましたが、もちろん、私もライトノベルは読んだことくらいありました。それも、「ちょっと読んだことがある」程度ではなく、様々なタイトルを読みました。ただ、それが「読書」という大きなくくりの中の一つの行動だった、というだけのことです。
純文学も読んだし、漫画も読むし、ライトノベルも読む。
そんな中で、自分の読んだ作品を振り返っていくと、余計にライトノベルを「ライトなもの」と定義することについて、疑問が浮かびます。

夢中になって読んだ『とらドラ!』はライトだっただろうか?
もちろん、楽しくて明るいシーンは多かった。でも私が感動した部分はそこじゃなかった。多分、みんなもそうだと私は思う。
『バッカーノ!』はライトだっただろうか?
口が裂けてもライトとは言えない。
『キノの旅』は? 『神様のメモ帳』は? 『ツァラトゥストラへの階段』は?
当時読んでいた作品を思い出すたびに、どんどん分からなくなります。
いや、分からなくなるというより、「違うだろ」という明確な気持ちが大きくなっていくのです。
ライトノベルを、『ライトなノベル』と定義するのは、私としては納得がいかなかった。

でも、私はライトノベル作家です。
ライトノベルを作っていかなければいけない。
じゃあ、ライトノベルってなんだろう。読者にとってのライトノベルは、私にとってのライトノベルは、いったいなんだろう。
そんなことを、「新たな企画を練る」という段階に差し掛かった時に、考えざるを得なくなったのです。


ラノベの「文脈」

私はライトノベルを作るにあたって、何度か、様々なレーベルで、企画のボツを食らっています。
ボツの基準はいたって明確で、「これをライトノベルとして出して売れるかどうか」という観点で、作家の練った企画を編集さんや編集長さんが吟味し、行けそうならGOサインが出て、ダメそうならボツを食らう、というものです。
私が企画を提出すると、編集さんはたいてい(本心かどうかはさておき)「面白そうですね、これは」と言ってくださいます。素直にそれについては嬉しいと思っているのですが、後に続く言葉が「でも……これはラノベの文脈にはあんまり合わない気がします」だったことが数回、ありました。
そこで、私は「なるほど」と思ったわけです。

要素じゃなくて、文脈で考えるべきなんだ、と。

ライトノベルを『要素』で定義しようとすると、それこそ「読みやすい」とか「青少年をターゲット層にしている」とか、「可愛いイラストがついている」とかになってくるわけですが、『文脈』で考えるとちょっと違ってくる気がしたのです。

じゃあ、ライトノベルの『文脈』っていったいなんだろう。

その疑問が生まれたところから、私のライトノベル作家としての第二段階が始まったような気がしています。
なんとなく自分が面白いと思う話を作るんじゃなく、「ライトノベル」を作る。

その上でとても参考になったのが、あるレーベルで企画がボツになったときの出来事です。
それは上記の「ライトノベルの文脈には合わない」と言われた数回のうちの、一回でした。

あるレーベルで、私は「エロを思い切り書く作品」というのを、編集さんと一緒に企画作成していました。
性に奔放で怠惰な主人公が、様々な女の子と次々とセックスをしていき、明らかにそれは傷の舐め合いでしかないが、それでもお互いに少しずつ救われている……というような、そんな話。

ライトノベルという分野では、かなり長いこと、「ちょいエロハプニングはあっても、性行為自体は書かない」という不文律があったように思います。それは、読者として作品を読んでいる時にも感じていたことです。性行為が作品内でマストな要素だったとしても、そのシーン自体は「この後、セックスしたんだろうな……」と読者が想像する程度の描写にとどめる。そういった気遣いがあったような気がします(実際にはどうだったのかは、そのころは私はただの読者だったので、知りません)。
ただ最近はそういった縛りもなくなってきているようで、異世界モノなんかでもガンガン主人公とヒロインはセックスしています。時代の流れなのか、需要の流れなのか、分かりませんが……とにかく、そういった「セックスは書かない」という不文律は少しずつ薄れ、最近では思い切り行為シーンのある作品が増えているのです。
ですから、私も「他でやれてるし、思い切りエロ書いちゃってもいいんじゃないか?」と思い、セックスを主軸に据えた話を企画したのです。
担当編集さんも、「これが企画会議で通るかはかなり怪しいが、作品としてはかなり面白いと思います」と言ってくださり、企画とプロットを練り、なんとか企画会議まで進むことができました。
その結果は、なんと「ちょっと修正してほしい部分もあるけど、とりあえず進めていいよ」という判断だったのです。
正直私は「落ちてもしょうがない」と思っていたので(なぜなら、昨今のエロ作品よりもかなり詳細にセックスシーンを描写しようとしていたから)、GOサインが出るのは驚きでした。
そんなこんなで、編集部からの修正要望を組み込んだ詳細なプロットを作り、もう一度企画会議に通してもらいました。
すると、次に言われた言葉が、例のあの言葉だったわけです。

「修正してもらったところ悪いけど、やっぱりこの主人公はラノベの文脈には合っていないような気がする

それが編集部からの回答でした。
性に奔放で、いろんな女と罪悪感もなくセックスをし、(一応メインヒロインも存在する話だったのですが)メインヒロインを好きでいながら、ぞんざいに扱う。
そんなキャラクターが、読者に好かれるだろうか?
そういう疑問によって、企画は一旦ストップがかかりました。
そして、「この主人公をもっと『ヒロインに対して一途』なキャラクターにしてくれればGOサインが出せる」と言われたわけです。
結局、その主人公を「ヒロインに一途にさせる」という修正は、クリティカルにその小説の本質を変えてしまうものだったので、私は「それであれば、また別の話を考えさせてください」とお答えし、企画は完全にボツになりました。しかし、私は、編集部からのその判断に対して、なんの怒りもありませんでした。
あったのは、納得です。

なるほど、そういうことか、と思ったわけです。

私は、読書というジャンルにおいて、別に「主人公に感情移入する必要はない」と思っていました。
自分とは違う哲学を持った人間が主人公として動き、自分には想像のつかない物語を展開するのは、面白い。と、そう思っていたんです。
でも、それはライトノベルの文脈からははずれている、ということだった。
確かに思い返してみれば、私が夢中で読んだライトノベルの作品の数々も、自分が好きになる作品は(群像劇などは除き、)たいてい、主人公の思考に納得し、感情移入できるものばかりでした。
つまりそれは、読者から愛されるキャラクターである。ということです。

その気づきから、私の中の「ライトノベル観」は変わりました。

主人公が、どういった形でも良い、主人公として「かっこよさ」を持っていて。
ヒロインが、どういった形でも良い、「魅力的」な存在で。
かつ、ストーリーは、その主人公やヒロインの活躍が分かりやすく、ストンと納得できるもの。

そういったものがライトノベルと言える文章なんじゃないか?
と、思うようになったわけです。
もちろん、これが正しい『ライトノベル』の解釈だと言いたいわけではありません。あくまで、私の中での解釈の話です。
でも、その解釈を得てから、私はめちゃくちゃ仕事がしやすくなりました。

私は今まで、がむしゃらに「自分が面白いと思う話」を作り、それを編集さんに読んでもらい、それをライトノベルとして作っていくお手伝いをしてもらってきました。
そういうやり方では、編集さんに読んでもらうまでは、それがライトノベルの企画として適格なのかどうかは分からなかったんです。
だって、自分の中ではもちろん、面白いお話なのだから。

でも、ライトノベルというものについてなんとなく自分の中で答えが見つかれば、話は違います。

自分がやりたいことを、「ライトノベル」という型に落とし込んで、その上で、それが面白い形になるかどうかを、自分でまず考えることができる。

それは、私にとって、本当に大きな変化でした。
自分で一度チェックしたものを、編集さん、そして編集部のみなさんに、ダブルチェック、トリプルチェックしてもらうことができる、という感覚に変わったわけです。

そして、実は上記の「エロ小説」はネットの端で細々と今執筆、公開しているのですが、実際に書いてみて分かったのは、「確かにこの作品は全然ラノベじゃないな」ということでした。
明確に、何が「ラノベじゃないのか」というのは上手く言語化できないのですが、自分が読者としてあの作品を読んだ時に、「ライトノベル」として商品化されていたら「いやいや……なんか違うな」ってなる気がしたんです。
それは、あの作品が、ラノベの文脈をまったく踏襲していなかったからなんだと思います。
結果論ではありますが、ボツにしてもらえてよかったな、と、今はとても思っています。


作家はたいてい、「自分の作品は面白い」と思っている。

でかでかと見出しにしましたが、当たり前なことです。
編集さんや編集部が自信をもって送り出しているかどうかは別として、作家は間違いなく、自分の書いた作品のことは面白いと思っているし、愛している……はずです(少なくとも私はそうです)。

そして、その「作家が面白いと思っている作品」が、「読者にとっても面白かった」という事実が生まれてようやく、ヒット作というのは生まれます。
言葉にすると簡単ですが、それってめちゃくちゃ難しい。
しかも、ライトノベルというジャンルは、先ほどから何度も書いているように、裾野が広く、定義も曖昧です。
そんなジャンルの中で、ラノベ読者に喜ばれる作品を作り上げるというのは、「狙ってやるのは難しい」と、2年作家をした上でも、思います。
それでも、狙わないといけない。狙いのない作品なら、アマチュアでも作れるからです。
商業として本を出すからには、作家もプロとして仕事をするし、編集さんだって、出版社さんだって、皆プロとして仕事をしなければいけない。
ライトノベルを、ライトノベルとして世に出し、「ライトノベルとして面白い」と思われる作品を、作っていかないといけない。
ライトノベル作家というのは、そういうお仕事なんだな、と、様々な経験を経て、痛感する2年間でした。

いろいろ書きましたが、結局、明確に分かっているのは、「ライトノベル読者がライトノベルだと認めたもの」がライトノベルだ、ということだけです。
でも、そういうものを作るのも、「とりあえず面白いと思うものを作る」というがむしゃらな姿勢では難しくて。
きっと、ライトノベルというものの文脈を自分なりにかみ砕き、他人と意見を交わして、その上で、「自分たちがライトノベルだと思えるものを作る」ことが先決なのは間違いありません。
文脈を研究したうえで、それにしっかり乗るのか、乗らない部分を作るのか。その上で、面白いと思えるのか。
それはそれぞれの作家さんや編集さんの匙加減。
しっかりと考えてライトノベルを作り、それがライトノベル読者に受け入れられたとき、ようやく、私たちが書いた本は「ライトノベル」になるのだと思います。

ひとまず、私にとってのなんとなくの答えは、2年間で得られたように思います。
だから、今後はその答えが合っているのか、間違っているのか……それとも、なんとなくは合っているけど、もっと模索すべきことがあるのか。
それを考え続ける3年目にしたいと思いました。

今後も面白い「ライトノベル」を作っていけるよう、ライトノベルをもっとたくさん読み、たくさん書いて、研鑽してゆきます。
もっとライトノベルのことが知りたい。
まだ、分かったようで、なんも分かってない気がするから。


そんな感じで、自分の心の整理をつけるためにも、ライトノベルについて書きなぐってみました。
みなさんにとってのライトノベルって、どんなものなんでしょうか?
それも知りたいです。

それでは、今回はこのへんで。
良いお年をお迎えください。


しめさば

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