見出し画像

会社勤め(酒造会社)していた時のことなど

こんにちは、府中の酒屋「しめのうち」の大室元(おおむろ はじめ)です。前のnoteで以前、酒造会社の月桂冠に勤めていたことをちらっと書きました。その時のことを、ざっくりと書きたいと思います。

なぜ月桂冠に入社?

「就職先がなんで月桂冠なの?」と聞かれますと、ご縁があったから、ということでしょうか。家業が酒の小売業ですので、もともと酒と小売に関わりたいと思っていましたが、その延長上で食品、流通、物流業界にも興味がありました。それと私は大学時代に弓道部に所属していました。その当時、毎年京都で全国選抜大会があったのですが、その時に京都の大学と交歓戦(練習試合)を毎年行っていまして、京都の人たちと親しくなったのも理由かもしれません。部では主務(マネージャーみたいなもの)を2年務めたので、対外的な交流が多く、それは社会人になっても有益だったと思います。

1998年当時の月桂冠は

さてご存知の通り、月桂冠株式会社は京都市伏見区の会社。380余年の歴史ある、就職当時は清酒販売数日本一の会社でした。そのあとに白鶴、大関、松竹梅・・・と続いていたと思います。社員は700名以上いたと思います。ピーク時は900名くらいまで居たそうです。清酒業界の需要変動、時代のうねりも大きいものを感じます。

伏見は兵庫県の灘、広島県の西条とともに「日本の三大銘醸地」と言われる清酒製造業の集積地。伏見城の城下町として、多くの酒蔵がひしめき合う歴史ある水の都です。

画像3

無題

(月桂冠HPより)

福岡の地にて

就職後、数週間の研修を経て、最初の勤務地は福岡県博多の営業支店になりました。営業採用でしたから。福岡県、とくに筑豊・北九州地区のエリアを担当しましたが、他の先輩の手伝いで佐賀、大分にも応援に行くこともありました。主な仕事は卸店、小売店、飲食店へのルートセールス。福岡県、長崎県は歴史的に月桂冠の市場性がとても強いエリアで、県産酒よりも売れていました。「灘・伏見の酒」、俗にいうナショナルブランド(NB)と呼ばれる酒のブランド力が強い時代であり、品質としても信頼が高かったのでしょう。今よりも特定名称酒の市場が小さかったため、普通酒の価格競争力もあった。「どうせ似たようなお酒なら、安いほうがお得」という価値観があったのだと思います。その流れで紙パックにおける大容量パック競争の時代背景があったのは、企業間競争の流れの中では必然だったのでしょう。この話は、また別の機会に。

京都本社での仕事

福岡支店での営業時代は2年で終わり、入社3年目に京都本社の情報システム部に異動になりました。そこでは基幹システムの保守運用、主に経理、物流、販売情報のシステム運用を担当しました。初めてプログラミングを勉強したのもこの時期。レガシー言語であるCOBOLを必死に勉強しました。(そのわりに、今ではすっかり忘れましたが・・・。)2000年問題なんてありましたね、そういえば。ITの知識を学べたのは振り返ると、とても貴重な機会でした。他の食品メーカーが集まる研究会に参加したことも知見を広げる機会となりました。

その後、入社6年目くらいだったか、営業推進部に異動。主に商品の詰め口計画(ボトリング計画)と、全国の販売計画をまとめる仕事を担当しました。酒造会社にとって、生産計画というと2種類の意味があります。「醸造計画」と「詰口計画」。醸造計画とは酒そのものを作る計画のことです。日本酒は造るのも大変ですが、造るための計画を立てるのも大変です。米の仕入れから始まりますが、米の作付けされる前から購入数を農協と交渉しなければいけません。どれくらいこの酒質の酒を造るのか、そのために米はいくら必要なのか、を1年以上前から計画していくわけです。これは醸造部や資材課の仕事。

詰口計画、需要予測

私が担当したのは詰口計画という計画で、これは半製品とみなされる、タンクに入っているお酒を瓶など容器に詰めて、製品化するための計画です。月桂冠は毎日、何千箱もの物量が出荷されます。当時はお酒のアイテム数が季節ものも含めると300とも400ともありました、たぶん。容量も100ミリリットルカップから18リットルの大容器までさまざま。酒質も普通酒、吟醸酒、にごり酒、料理酒などさまざま。例年の実績や、今年の販売計画、特売情報を取りまとめ、需要予測し、今週必要な詰口計画に落とし込みます。製品部の詰口ライン計画担当者と綿密に打ち合わせを行い、在庫を余りなく、欠品なく造り続けるのが命題のパズルのような仕事でした。当時の販売数量ははっきり覚えていませんがおよそ30万石弱でしたか。1石=180リットル、一升瓶100本に相当します。30万石だと5万4千キロリットルくらいの生産量。なんだかピンとこないですが、大きい数字です。

酒類には賞味期限は無いが・・・

酒類には賞味期限が無く、表示義務としては「製造年月」があるだけです。ですので1年前、2年前の酒でも別に飲んで体に害があるわけではありません。しかしスーパー、コンビニとの取引が増えるにつれて、製造年月の古いもの(といっても2か月、3か月経過のもの)を荷受けしない、という会社が出てきました。日付のフレッシュローテーションを考慮しつつ、製造ラインを考慮しつつ(一升瓶、200ミリリットルカップ、180ミリリットル瓶、それぞれ詰め口できる製造ラインが異なる)、担当できるスタッフの人数の制約も考慮しつつ、詰め口できる酒質に注意しつつ(にごり酒や香りの強いリキュールを詰め口すると、ラインの洗浄に1日かかる)、急激な在庫に対応するため詰め口計画を変更してほしい、そうしないとコンビニからペナルティを受ける、商品がカットされる、といったプレッシャーを受けつつ・・・の楽しい職場でした。

おかげさまで、いち部署にいながら営業、製造、管理部門のすべての部門の人と交流する(ご迷惑をかける)貴重な機会とクレーム、相談を受ける仕事をすることができました。その時期に「全体最適」「サプライチェーンマネジメント」といった考え方が骨身に沁みて学んだのだと思います。振り返ると懐かしいものです。

酒造塾の担当

月桂冠で担当した仕事で興味深かったものの1つとしては「酒造塾」というものでした。これは全国のお得意先様をお招きして1泊2日の酒造体験をしてもらう、という年に1度のイベントでした。当時、月桂冠の内蔵と呼ばれる小規模の手作りできる酒蔵には但馬杜氏である小林敏明杜氏がいらっしゃいました。全国新酒鑑評会で金賞を何度も受賞した実力ある杜氏の指導の下、酒造りを学ぶことができる貴重な機会でしたが、その塾の事務局を数年担当しました。私も参加者に交じって一緒に体験する年もあり、楽しく酒造工程を学んでもらうことの一助を担いました。やはり自分で造った(手がけた)酒というものは愛着がわくもので、月桂冠のファンになってもらって販売に力を入れてもらう、というこの取り組み。全国の酒蔵でも同じような取り組みをされているかと思います。お酒というものが持つ魅力というものは、面白いものです。もちろん、月桂冠の醸造施設としては、大手蔵とよばれる大規模な醸造工場のほうがメインです。酒造会社の中では大きなプラントだったと思います。今考えてみますと、大きなタンクで酒を仕込むのは、とても難しいことだなと思います。酒造りとは菌が造るもの。発酵の話ですから、そもそも何が起きるかわからないものです。だからできるだけ小さなタンクで仕込みたいと考えるでしょう。しかしコストや効率を考えるとそうもいかない。安定したクオリティ、味のものを大量に仕込むことのリスクや難易度を考えると、果敢に挑戦していたのだな、と今ならわかります。

最後の地、愛知、三重

そんなこんなで京都勤めも10年ほど経過し、異動の時期を迎えました。次の異動先は愛知県名古屋市。久しぶりの営業職でした。担当は名古屋の百貨店、業務用卸と三重県全域のエリア営業。・・・三重県全域?名古屋市から熊野市まで、片道200キロメートルくらいあります。広いですね、三重県。農業、漁業、林業が盛んな県であり、工業地帯もあり、伊勢神宮を中心とした日本神道の中心地でもある。1年間という短い期間でしたが、食と酒、神道に関する私の興味が広がる機会となりました。これは現在にもつながります。

月桂冠を退職したのは平成23年(2011年)3月。ちょうど後任者への引継ぎで津市の得意先を回っている最中、東日本大震災が発生しました。三重県でも大きく揺れが感じられたのを強く覚えています。東京に戻ってからも計画停電の話があったり、子供がまだ小さかったりと、生活が落ち着くまで時間がかかりました。

思い起こすと、まだまだ書きたいことがありそうですが、今日のnoteはここまで。また次のnoteでお会いしましょう。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
読んでくださってありがとうございます!
19
はじめまして。大室元(おおむろはじめ)です。 東京都府中市に代々続く酒屋「しめのうち」、立ち飲み屋「なおらいスタンド宮」を営む大室家の11代目。 武蔵国総社・大國魂神社の隣に店を構え、地元を中心に商いを続けております。 お酒、府中、神社の事などお伝えしようと思います。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。