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締め切り #012 ドラゴン竜とペン次郎とわたし/ 池上幸恵

締め切りから何日経ってもなにも書く気がしなくて、締め切りから7日が経ったいまようやく書く気になった。なぜなら、ドラクエ11のラスボスに負けてドラクエ11もやる気がなくなってしまったからだ。ラスボスの守備力が高すぎてぜんぜん攻撃がつまらない。ドラクエ11は、2017年に3DSというパカパカする携帯ゲーム機のソフトで発売されたやつをやっている。

テーブルの上のお皿とワインを片付けて、流し台に持って行くときに、小学生の頃はあたまに言葉が溢れてしょうがなかったなあと、通学路の風景を思い出していた。小学生のころに限らず、大人になってもそういう時はけっこうあるけど最近はほとんどない。あたまに言葉が溢れるのがどういう感じかというと、ひとりで学校から家に帰るときに、ひとりだけどひとりじゃないようにするために、わたしはいつもわたしのとなりや体のなかに何者かを置いていて、わたしの視点(目玉)はいつもわたしと、その何者かが同時に見れる位置にあった。感覚としては、「ドローン」につけたカメラを自分の周りに飛ばして、そのカメラ目線でじぶんを見ている感じ。そのカメラ目線と、自分の目玉と、頭の中にはいつもそのふたつの視点があった。

それでいつもわたしはその、体のなかの何者かと話をしていた。名前は「ペン次郎」だったり「ドラゴン竜」だったり、もっと恥ずかしい名前のときもあった。「ドラゴン竜」は帰り道よりもブランコに乗っているときによく現れた。あと、遅刻しそうで全力ダッシュで学校に向かうとき、風をきって走っているときによく右隣をヒュ〜ンと並走してくれていた。「ドラゴン竜」名前の由来は、ドラゴンも竜も強くてかっこいいから、それを足したら最強に強くてかっこよくなる、これは誰も気付いて居ない発明だ・・! と思ったから、という恥ずかしい由来で、あと、ふだんは「ドラゴン」と「竜」と分かれていて2匹でいるけど、強敵が現れたりわたしの遅刻がほんとにピンチのときには合体して「ドラゴン竜」になる、という設定もある。

それで、「ドラゴン竜」と「わたし」をカメラ目線で見ているとき、わたしは「ドラゴン竜」を喋らせたいように喋らせるときもあったけど、ほとんど放置していた。それでも「ドラゴン竜」は何かを喋った。長文でしゃべる場合はたいてい何かのマンガやアニメの受け売りみたいな、わたしを奮い立たせたりする言葉で、短く喋るときは、わたしの「目のことば」みたいなものを喋っていたんだとおもう。目で何かを見て、そこから出てくる脈絡のないことば。そのことばにわたしは度々感動して、いてもたってもいられなくなって全力で走ってみたりしていた。

小学生高学年くらいになったとき、「ドラゴン竜」や「ペン次郎」その他もろもろの私の体の中の何者かたちは最終的に「トロール」という存在にまとめられて、それ以降いままでずっと「トロール」として体の中にいる。わたしはそのどの存在にも、いつかの時期のじぶんのこころをだいぶ支えてもらっていたと感じているし、もう思い出すことのできない言葉やメロディをたくさんもらったと思う。最近「トロール」があんまり喋らないのは、わたしが生きることに対して怠惰になっているからで、だから「トロール」が喋らない時っていうのは、人生がうまくいってない感じってことだ。そうなんだよねえ、と思いながら、わたしは締め切りを17日過ぎ、ドラクエの次のゲームにとりかかっている。


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