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忘れる前提で行動する


有能な経営者でも、メモを取る。忘れてもいいようにするためと、忘れてしまうためだ。脳に何かを留めておいたまま、他の動作や思考に移ることは出来なくはないが、その場合には「何か」が常に顕在化されていなければならない。要は、思考し続けた状態をキープしているということになる。そうすると必然的に現在の思考や新たな思考の余地は制約を受ける。制約を受けた状態で自由な拡散する発想や思考が可能かというと、それは困難だと思われるので、それを体感としてわかっているから、メモを取る。

片付けも似たようなことがある。モノの定位置を決める、モノの数を絞る。どちらも脳の使いかたと同様だ。
モノを使った後、モノの定位置に置く、戻す、の動作をしてしまえば、その時点でモノを認識することから解放される。数を絞ることも同様で、把握しておく事柄が減れば、その分、認識に必要な能力は解放される。

いかに解放された状態を維持するか。PCでいうところのワーキングメモリの空き容量をキープするか。

そのためには、一つ一つの動作のはじめと終わりを決めてしまうことが肝要だろう。モノであれば、置いておく場所と手仕舞う場所。ここが決まっていれば、使っている間も使った後も、余計な思考を必要としない。
記憶もそうで、メモの仕方とメモの場所を決めておく。これだけしておけば、忘れることし放題だ。

収納術が失敗するポイントもここにありそうだ。モノの定位置を決めることは手をつけやすいことだが、モノを絞ることを合わせて行わないと、定位置を把握するために思考が消費され、他の動作がままならなくなる。定位置にならべるだけで脳が疲労してしまう。また、定位置に納めるべきモノの数が増えれば、必然的に定位置を忘れることも起こり得て、そうすると「自分は片付けができない」といったネガ思考に陥ってしまう。人が物事を忘れるのは自然なことで、そのことでネガ思考に陥るとすれば、それは仕組みに間違いがある。忘れても良いように仕組み化することが必要なのである。

そのために、モノの定位置を決める、モノの数を絞る。一つ一つの動作のはじめと終わりを決めてしまう。